『純粋理性批判』について

 カントの三批判書第一弾。二度と読む気はないですw。

 ここでは佐倉統さんの『進化論の挑戦』の文庫版150ページの記述をまとめてカントが何が言いたかったか考えてみようと思います。

 まずカントはニュートン力学に強く影響を受け、数学や物理学における抽象的な理論の形式がなんで成立するんだろう?と考えたそうです。
 で、人間が数学や物理学を成り立たせているのは、我々人間が「直観的に時間と空間を認識できる力(直観形式)」と「そこに因果律を見出す思考の力(思考形式)」を持っているからであり、その二つの力によって、わたしたちの経験の形式が形作られているとカントは考えたようです。

 ここまでは昔の私も理解はできた。で、この二つの力こそが人間のどんな経験よりも先だって存在しているもの(アプリオリ)である!とか言いだしたあたりから私はついていけなくなった思い出がある。

 「直観形式」がアプリオリってのは百歩譲ってまあ分かる。もしかしたら先天的かもしれない。
 でも比較的高度な「思考形式」が経験に先立つってのが本当かよって気がする。なにかを認識し感じたりする経験によって形成されている気がするから。

 そしてもうひとつ。直観形式と思考形式はアプリオリであるがゆえに、その二つの力によって導き出された数学や物理の理論のような法則性には縛られない(アプリオリの不可知性)とカントは言った。
 ここがかなり難しい。どういうことだ?アプリオリな直観、思考形式は、自身が導いた法則性に本当に縛られないのか?本当に?わかんねえ。

 これは『進化論の挑戦』でも「後にコンラート・ローレンツも指摘した」と書かれているけど、たとえばアプリオリな思考形式によって導き出された「進化論」は、人間の思考形式を形成する「法則性」をかなり合理的に説明しているのではないか?

 おそらく天才カントもそんなことは薄々知っていたと思う。でも、とりあえず現在(18世紀)の科学の段階で「これだけは・・・」っていう“基準”を設けてみようよ。そしてそれをアプリオリ(前提)ってとりあえず仮定しておこうよ・・・ってのが本心だったかもしれない。
 よって人間の認識パターン”そのもの”について論じれるような段階に、カントの時代はまだ科学が成熟していなかったんだと思っています。

 結論:現在の認識科学の下地を作ったのがカント。
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