インクレディブル・ファミリー

 「面白い度☆☆☆☆☆ 好き度☆☆☆☆☆ アメコミ愛☆☆☆☆☆」

 ちゃんとできれば子育てはスーパーヒーロー並みの偉業よ。

 実は、ピクサーの長編アニメの中で前作の『ミスター・インクレディブル』だけは感想の記事がない。これは、なんでかっていうとあんまり好きじゃないんだよ(ただし超面白いが)。
 あまりに当時のピクサーアニメとは異色で、けっこう人が死ぬんだよね。特にスーパーヒーローに憧れるオタク少年が黒幕だったとか皮肉が効いてて上手いんだけど、けっこう残酷な形で死んじゃうし。え、死んじゃうんだっていうね。
 これは、結局前作が『ウォッチメン』をベースに作っているからで、で、すごい上手にあの深い内容の作品を子供向けに解釈し直しているからこその、隠しきれないダークさが、私にはちょっと受け入れ難かった。まあ、今は『カーズ2』とかもけっこう悪役死んでるし、ピクサー作品で描ける作風の幅を広げたって意味では重要な作品だったんだろうな、と今では思う。
 曲もビックバンド的ですごいいいしね。アメコミの黄金時代である60年代(だっけ?)あたりを明らかに狙って時代設定してるしね。今回の映画もカメラのデザインが古くて、ああ、そこらへんなんだっていうね。家具のデザインとかもそうだよな。

 で、まさかの続編なわけです。なんか15年ぶりくらいな気がするんだけど、前作の最後の最後に出てくるモグラっぽいヴィランがなんとそのまま15年ぶりに登場で、つまり前作の直後から始めてしまうという意表をついた展開で、うわ~そうきたか、そして『ドリー』の時同様なつかし~!っていうwあの最先端のアニメ会社だと思ってたピクサーがなつかし~レガシーを持ってるのがすごいよね。自分も歳をとったよ。
 ほいで、まあ、今回はね。すごいよ。これ作った人相当アメコミ読んでるよね。それも、『ジュラシック・ワールド』みたいにオタクっぽく読んでるんじゃなくてさ、先行研究的に、表面的なデータとかじゃなくて、本質的な部分、なんというか先人作家たち(スーパーゴッズ)のアメコミ魂とか、アメコミ愛をすごい勉強して、作品にふんだんに取り入れてるよね。よくできてるな~って。一作目は、まさかの『ウォッチメン』だったけどさ、今回はなんとなく、スタン・リー作品というか(凶暴なアライグマ出てくるしな)。あれだね。もっといえば『X-Men』によせてきたよね。抑圧されるスーパーヒーローを、性的少数のLGBTとか、発達障害とかの人のように解釈しているところとか『X-Men』っぽいな~っていう。

 で、前作で『ウォッチメン』を扱いながら、描ききれなかった「誰がウォッチメンのウォッチメンになるんだ」っていうテーマを、なんと、すごいですよ、男性社会に対する女性のフラストレーションとともに重層的に描くという、うわあああよくできてるな~!っていうね。
 だから、フェミニズムとか、ジェンダーとか、そういう女性問題の本質的な問題、大正デモクラシーとかで日本の女性運動が結果的にそこまで芳しくなかった、その痛いところ(男なしで自立するよりも男に従っといたほうが楽と考える女性がわりと多かった)をさ、ウォッチメン的な依頼心、もっと言えばル・ボンとかボードリヤールとかオルテガとか、マスメディアに追従する大衆社会の非民主性をも踏まえて、やっちゃうっていうね。すごいよ。
 こういう、西部劇の時代に逆行しかねない、でもアメリカ社会の本質を鮮明にしてくれるメッセージ(統治者にただ守られているだけでいいのか、当事者意識がないのは民主社会としてまずいんじゃないのか、など)はさ、アメコミはすごい好きで、マーベル映画とか超やるけど。メチャメチャうまいよ。本当にすごいよね、ピクサー。DCの『ワンダーウーマン』とか爪が甘いもんね。脚本二回読んでいるのかな、とか思うよね。

 だからさ、なんか怪しい兄妹が出てくるんだけどさ、この映画では徹底的に男は蚊帳の外にするよなって思ったからさ、まあ、黒幕は妹の方なんだろうけど。強いヒーローが弱い民衆を守ること自体を父権主義として解釈していて、それを女性キャラを活躍させることで相対化しているわけですから、今作ではその象徴の三浦友和さん、そしてあの気は優しいんだけど頼りにならなさそうなお兄さんは、ただ、ひたすら情けないっていう。

 前は何が正しいかはっきりわかっていたんだ。でも今は、何が何やらわからない。

 でもまあ、よく妹にお兄ちゃん殺されなかったなっていう、そういうドキドキはあったけど、前作は結構殺されてるからね、こいついうやつ。でも、ああいう形で決着させたのは、まあテーマ的にそうなるんだけど安心したよ。これがやっぱり、前作よりも後味がずっといい理由です。
 ただ、これ果たして女性の人にとっては後味いいのかな。気になる。結局、その路線(黒幕スクリーンスレイバーのイデオロギー)で女性が強くなるっていうのは、男性社会の基準をある意味において承認しかねず、野郎どもの土俵でのし上がることにほかならないんじゃないの?っていう難しい部分はあるよね。まあ、そのツッコミを保守的な右翼的なイデオロギーの正当化に使っちゃダメなんだけど。
 だから、重要なのは、女性の権利を向上させるために政治家がトップダウンで女性活躍社会!って強制するのはおかしくてさ、個人が判断できる選択肢を増やしてあげたり(もっといえば選択肢に関与しない)、自己決定権の保障なんだろうね。
 いわゆる、サザエさんのフネさん的にやっていきたい保守的な女性もいるし、男社会に入ってバリバリ活躍したい女性もいるし。もっといえば、そのどっちか選べ!じゃなくてさ、別にその中間のファジーさがあってもいいし、時と場合やその日の気分で変えたっていいわけじゃん。
 そういう柔軟な生き方を認めることが社会においても大切だよってことを、黒木瞳さんはあの柔軟なボディで教えてくれたのかもしれません。
 あと後味といえば、エンドロールのキャラソンは笑うよね。あれはフルバージョンをサントラに収録して欲しいね。『キャプテン・アメリカ』の戦時国債を買おう!のやつ以来のヒットです。

 ♪イラスティガ~ル!
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