自民党総裁選と分断社会について

 自民党の総裁が岸田さんに決まったっぽい。世論よりも党内の力関係で一番地味な人になっちゃったって感じだけど、本人にしてみれば悲願だろうな。けっこう何度もチャレンジしてたし。
 個人的には岸田さんの人柄とか思想が、候補者の中では一番ニュートラルな印象があったので、別にいいんだけど、岸田さんで衆議院選挙勝てるのかなっていう心配はある。太郎やさなえはキャラクターが濃かったからね。

 それよりも、菅さんだよね。本当にこれは総理大臣の仕事に限ったことじゃないけれど、どだい無理なことにチャレンジさせてたわけなんだから、多少の失敗も「まあ、もともと無理難題なんだから仕方ないよ」とか言えばいいのに、「失敗したのはお前のせいだ」って責めて、引きずり下ろしちゃうのは、あんまりだと思うけどな。
 「それはムリ」って、ハナから取り組まない人よりははるかにいいだろって。一応チャレンジしてくれたわけなんだからさ。
 
 ノラネコさんの『フリー・ガイ』の記事読んでて思ったんだけど、こういう心理って、結局、世の中には特権階級でも貧困層でもいいけど、自分とは関係のない世界に生きる人がいて、そういう対象に対しては、どうせ自分と関わる可能性はないから何を言ってもいいやっていうのがあるよね。
 もし、自分の友達や知り合い、職場の同僚に、そういう人がいたらとか、一歩間違えれば自分だってそうなる可能性もあるよな、とか想像できれば、発言に配慮ができるわけじゃん。まあ、総理大臣はないけど。
 
 あと最近、YouTubeとかで最近思うことは、なんかコロナやワクチンを既成事実化したいのか分からないけど、懐疑的な意見の動画を一方的に削除するじゃん。これは本当に、民主主義を脅かす暴挙だと思うよ。
 例えば、YouTubeの動画で、ワクチン推進派と懐疑派が議論するようなやつってひとつも見たことないしね。これも、もう反対意見の人とは二度とかかわらないからいいや精神の現れだよね。
 言い分としては、多分、『否定と肯定』って映画みたいに、デマを言う奴を一度でも対等に相手をしたら、デマを言う奴らの勝ちになってしまうって考えてそうだけど、この論理を現時点で真偽が本当に不明なものにバンバン応用させちゃうと、それはそれで恐ろしい分断社会ができあがるからね。

 本当に反対派の言っていることをすべてデマと決め付けていいのか、政府や専門家、マスコミの言うことが必ず正しいと決め付けていいのか、それこそがお前らが教育しようとしていたメディアリテラシーだったろって思うけどね。
 リベラルで自由なはずだったネット空間もついに本性を表しやがったなっていうね。プラットフォーム独裁というかね。政府の中や専門家の中にもミソもクソもいます、が正しいわけじゃん。

 話を戻すけど、一見パッとしない岸田さんが総裁選に勝てたのは、岸田さんの人柄が、党内を分断するんじゃなくて、うまく調整できたからなんじゃないかな。
 あいつとは二度と関わらないからいいや、あいつとは派閥が違うからボロカスに言ってもいいや、じゃなくて、もしかしたらひょんなことから将来関わるかもしれないから関係を切らないほうがいいとか、そういういい意味で八方美人な人が今後は重要なパーソンになるのかもね。
 まあ、個人的には党内を分断しかねない石破さんも好きだけどな。ああいう偏屈な人も社会には大切。
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