評論家じゃなくて作家だから

 他の作品を酷評して見事にファンに嫌われているのが映画界だと井筒和幸監督、漫画界だといしかわじゅん先生って感じがしますが、ふたりとも評論家じゃないわけで。作家なわけで。
 プロの作家として仕事をしている(もしくはかつてやっていた)人というのは、他の人とは違う非凡な感性の持ち主なわけで。
 だから世間の大多数が絶賛している作品を理解できないこともあるわけで。仮に井筒監督がなんでもかんでも「この映画は面白い!」と言っていたら、ただの映画好きなミーハーのおっさんになってしまうわけで、そんな人はいくらでもいるわけで。
 批判を恐れて建前でみんな同じ感想を言ってもねえ・・・そもそも作家の人は批判を恐れずに作品を発表しているわけで、いまさら自分の批評の批評が来ようと屁でもないのかもしれません。

 だから井筒監督にしろいしかわ先生にしろ「特殊な人の特殊な見解による特殊な意見」だって思っておけば、別に腹も立たない。むしろ面白い見方をしていて興味深い場合もある。まあ作家は口が悪い人が多いからダメなんだけど(口を閉じて作品だけ送り出していた方がいい場合はありますよね)。
 でもそれくらいの事言わないと、読み手の反響がなくてダメなんだろうな。当たり障りのない意見なんてつまらないもん。
 井筒監督はかつてドキュメンタリー映画『ディープ・ブルー』を絶賛されていて私は「おいおい」と思いましたが、現在もコンスタントに映画を作り続けているのはすごいし偉い。本人に才能がなければ作家活動なんて継続できないわけだし(監督の映画は中学生の頃K氏に見せられた『岸和田少年愚連隊』しか知らないけど・・・)。

 そういえば岡田斗司夫さんも言っていたけど、今の文化や芸術ってインタラクティブ性がすごくて、作り手が作品において意味を用意するのではなく、受け手が勝手に意味を構築する場合がありますよね。
 だからデュシャンの『泉』も映画『告白』も、萌え漫画の『あずまんが大王』も、二次創作の同人誌も、AKB48も受け手が好き勝手に意味を構築できる「ゆるい文化」。
 受け手は「人の作品」を鑑賞しながら「自分の作品」を脳内で作り出して見ているんです。良くも悪くも「作り手→受け手」と一方的じゃないんです。
 そういう時代なんだとは思いますが、私は作り手が受け手を屈服させるようなパンチのある作品が見たいもんです。あ、『トイ・ストーリー3』だ。
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