古生物学における本質主義

 相変わらず舌鋒鋭いサイエンスライターの金子隆一さんですが、それに関連して古生物学に本質はあるのか考えてみたいと思います。

 私の本質主義に対するスタンスは「学問に本質は存在しない」という『系統樹思考の世界』の著者の三中さんと若干違っていて(いや一緒か?ちょっと“本質”の定義によるんだよな)、まずもって自然現象には本質が先だって存在し、その本質に完全にたどり着くことは科学には限界があるので(不確定性原理、ゲーデルの不完全定理など)不可能だけれども、研究を重ねるごとに本質に近づくことはできると考えています。

 よって私はパラダイムシフトも「科学に対する認識が180度変わる革命」と捉えてはおらず、「これまでの理論の補正、それが大きいもの」としています。
 これはなぜかというと、進化論が発表され「生物は不変である」というこれまで生物の捉え方は大きく変化しましたが、だからと言ってこれまでの生物学が全否定されたわけではないと思うからです。
 ポストダーウィンの今日の生物学は、やはりアリストテレスなどの先人の理論を土台に、正しかったものは残し、誤っていたものは捨てながら、取捨選択をして、生物に対する認識が鮮明になっていったと捉えるべきです。

 つまり科学理論も生物の進化と同じようなパターンをとるわけですが、問題は生物の進化には決まった方向性があるのか?ということ。
 これがなく、まったくランダムの結果が現在の生態系だとするならば、科学理論には本質は全く存在せず、本質に近づくこともなく、その時代時代でぐるぐる流行が変わっていくだけとなります。
 ちなみに宇宙が消滅して、ふたたび無から宇宙が誕生した時、水がある地球のような星ができて、地球のような生物が同じような歴史をたどって人類のような知的生命体に進化するのは確率上ほぼ不可能とするのが、この意見です。

 もうひとつは私の主張なのですが、進化の原動力はランダムなのですが、生態系を取り巻くさまざまな内的外的要因によって、結局選択肢の幅があまりなく、進化のパターンは何度実験を繰り返してもある程度収斂するのではないか?というものです。
 例えば最近話題の量子進化論。トラやヒョウといった動物の模様のパターンは発生学をふまえた複雑系数学の数理モデルで、ランダムでも結局ああいう模様になることが証明されたようです。
 つまり進化の原動力はあくまでもランダムで運命論的な定向性はないが方向性のパターンはある程度絞られるのだと思っています。運命論でもないけど非決定論でもない。

 そう考えれば、私は科学理論にも生物進化と同じで方向性のパターンがあり、思考錯誤を重ねることで理論の方向性はかなり絞り込まれていくと思うのですが、どうなんだろう。
 新しい理論でも古い理論でも間違っているものは淘汰され、正しいのは理論の背骨や核となって残るから、本質は絶対分からなくても、本質らしきものにはなると思うんだけど・・・

 で、ここからが本題。では古生物学に本質はあるのでしょうか?私は無いと思います。だから金子隆一さんの言うような「正確な恐竜」なんて永遠に解らないと思います。これは学問本質主義のグールドですら著書『干し草のなかの恐竜』できっぱり否定しています(下巻23ページ)。
 もちろん恐竜の化石が発掘されていることから6500万年前には確かに本質はあった。しかしそれはもう失われた。よって科学の理論としては6500万年前の本質に近づくことはできるけど、本質にはならないということです。答え合わせができないから。

 さて、答え合わせができないということは、「その存在を完全否定することは事実上不可能である」という「悪魔の証明」がかなりしゃしゃり出てきて、だから金子氏が憤慨するような「オレ基準」の稚拙な恐竜のイラストや、不親切な恐竜展がはびこってしまう。
 つまり日本の恐竜文化は心霊現象や超常現象と同じ問題を抱えているのです。
 映画『ジュラシック・パーク』の襟巻をつけたディロフォサウルスは、おそらくかなりの確率で存在しなかったでしょうが、存在した可能性を全否定は絶対にできません。

 つまり金子さんはそういう意味で「恐竜文化界の大槻教授」なのです。古生物界ではありません。あくまでも“恐竜文化界”です。
 そして科学の立場は基本的にニュートラルで、政治的、文化的啓蒙をしませんから、科学の世界にいる古生物学者は、恐竜文化など相手にしません。文化を自然科学のコンテキストで論じるのはおかしいのです(社会科学とかならOK?)。
 恐竜イラストレーターとして有名なG・ポールも「おもちゃとして売るなら好きにやればいいじゃん」とノータッチです。 
 よって金子隆一さんも恐竜における最新の研究だけ客観的に伝えていれば別にいいのですが、「日本の恐竜マニアのレベルは低い!」と主観的啓蒙を始めた時点で、彼の論はサイエンスからサブカルチャーにまで降格するのです。
 
 結論:金子さんが「恐竜文化評論家」ではなく「サイエンスライター」を自称するなら、自然科学の恐竜の本で自分の愚痴とかはしないでほしい。あれ余計なんだよな。
 愚痴だけで一冊の本にまとめた『知られざる日本の恐竜文化』はその点は評価できるけど。

 しかし私も矛盾してるな。同じサイエンスライターの竹内薫さんの愚痴はすっごい笑えて好きなのに・・・やはり文章表現の仕方かなあ。私も気をつけよう。
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