電磁気学の歴史

 いつかやろうと思っていた企画。というのも、電磁気学の恩恵を現代人はこれほどまで受けているのに、そのいきさつについて全く知らないのは、以下の科学者さんがあまりにも浮かばれねえだろってことで登場順でまとめてみました。

参考文献:山田克哉著『光と電気のからくり』『真空のからくり』ほか

古代
古代ギリシャのタレスが琥珀を毛皮でこすって静電気を発生させる。電気の語源がギリシャ語の「琥珀」に由来するのはこのため。

16~17世紀
大航海時代。

ギルバート(イギリス)
方位コンパスが北を指す理由を地球が巨大な磁石であるとして説明。医者でもあった。

18世紀
産業革命によって電気の研究も始まる。

フランクリン(アメリカ)
1752年に雷の日に凧あげをするという命懸けの実験を敢行し、雷の正体が電気であることを突き止め、避雷針を発明する。
フランクリンはもともと電気科学者ではなく、印刷、出版業出身の政治家だったが(しかもフランスと交渉しアメリカの独立を成し遂げたやり手)、ヨーロッパからの研究者がアメリカで見せてくれた電気実験とそのメカニズムの説明(電気は物質とは別に独立に存在している)に納得がいかず、電気とは物質に付随したものだと考えた。
さらにフランクリンは、電流は電気の粒から成り立ち、この粒が過剰になるとプラスに、不足するとマイナスに帯電すると考え、電気に正負の符号をつけている。電気は物体に付随する性質だと考えていたため、電気を与える方(琥珀)をマイナス極、与えられる方(羽毛)をプラス極とした。
フランクリンはこの他にも消防や郵便事業を始めたり、ストーブを発明しており、万能人間と呼ばれた。

ガルバーニ(イタリア)
1780年、カエルの実験でメスを入れたら脚の筋肉が痙攣することに気づき、動物が電気で動いていることを発見する。この発見はフランケンシュタインの着想になった。
また検流計(電気の量を測定するのではなく電気が微弱でも何でも流れているかどうかをチェックする装置)は、彼にちなんでガルバノメーターと呼ばれている。
ちなみに彼はナポレオン政権時にナポに忠誠を誓わなかったために全財産を没収されてしまった。

スタージャン(イギリス)
1783年に電磁石を発明。また、イギリス初の電動機を開発したことでも知られる。

1784年・・・蒸気機関の発明

クーロン(フランス)
もともとは陸軍のエンジニア(要塞を作っていた)だったが、1785年に、電荷を帯びた棒を糸で吊るし、それを別の電荷で引きつけ、その糸のねじれ具合を調べることで静電気の電荷を測定、クーロンの法則を発表する。
ふたつの荷電粒子の間に作用する電気の力(引力や斥力)は、ふたつの電荷の積に比例し、二つの電荷間の距離の二乗に反比例する。つまり、距離が2倍になると電気力は1/4に、3倍になると1/9にと減っていく。
ちなみに電流の1アンペアは1秒あたりに1クーロンの電荷が流れるという意味。

ボルタ(イタリア)
1799年に、ガルバーニの生体電気説(電気は生物だけが持っている)に対抗するかたちで、金属だけで電気を取り出せるボルタ電池を発明。
電池とは化学反応によるエネルギーで電位差を作る装置のこと。つまり電池が自由電子を回路に支給しているというわけではなく、あくまでも坂道を作ってあらかじめあった電子を循環させているということ。

ハーシェル(イギリス)
1800年に赤外線を発見。

19世紀
電気と磁石が関係していることがわかり電磁気学の研究が飛躍的に進む。

リッター(ドイツ)
1801年に紫外線を発見。
助成金でドイツにやってきたエルステッドに、電気と磁石は何か関係があると自説を論じた。これが後に大きな伏線となる。

1803年・・・ドルトンが原子説を提唱。

エルステッド(デンマーク)
コペンハーゲン大学の先生で、1820年に電流によって方位磁針の針が回ってしまうことを大学の講義中に偶然発見。
これにより磁場は永久磁石だけではなく、電流からも発生することがわかった。
そもそも磁石の力は、どういう了見で発生するんだということを理科の授業ではスルーしてしまうが、山田克哉さんによれば、そのメカニズムは量子力学に由来し極めて複雑である。
大雑把に言うと、永久磁石になぜ磁力があるかといえば、それを構成している原子が永久磁石であるからで、またその原因は、原子核の周りを回っている電子の運動によるというよりは、電子自身の自転(スピン)によるもので、したがって電子自身が永久磁石だということらしい。
このスピンの向きが揃っているため永久磁石は永久に磁石…うん、これは小学校の理科の手には負えない!

アンペール(フランス)
エルステッドの発見に刺激され、1820年に電流と磁界の強さには関係があるというアンペールの法則と、電流と磁界の向きには関係があるという右ねじの法則を発見。

アラゴ(フランス)
1824年に、磁石にくっつかないはずの銅でできた円盤が、磁石に引っ張られて回転するアラゴの円盤現象を発見。
のちに電磁誘導によるものだと解明される(磁石を動かすことで円盤内に誘導電流が発生し、この誘導電流によってモーターのように円盤が回転する)。

オーム(ドイツ)
1826年に電圧と電流の強さは比例するというオームの法則を発見。

ヘンリー(アメリカ)
1829年に、導線に絹を巻くことで絶縁しコイルの巻数を増加させる(導線同士が接触しても大丈夫なようにした)ことで電磁石を改良する。
人格者だった彼は、自身の発見、発明を独占しようとはしなかった(人類の財産だと考えたため特許を取らなかった)。その例の一つがファラデーに先駆けて発見した電磁誘導だった。その後、業績を譲ったファラデーとは友人になった。
ちなみに電磁誘導の度合いを表すインダクタンスの単位は彼をたたえてヘンリーという。

ファラデー(イギリス)
1831年に、一本の鉄の棒に互いに接触しないように二つのコイルを巻き付け、一方のコイルには電源装置、もう一方のコイルには検流計を取り付け、電源のスイッチをカチャカチャやると検流計の針が振れることを発見し、この現象を電磁誘導と名付けた。
この時、磁場の強弱の切り替えギャップが大きいほど誘導電流は大きくなる(ファラデーの電磁誘導の法則)。これが発電機の発明につながった。
彼は電磁誘導の他にも磁力線の概念やイオンなどの用語も考案している。
このように数々の偉業と遂げたファラデーは、貧しい鍛冶屋のせがれで小学校レベルの学校教育しか受けていなかった。田中角栄級のロマンのある逸話である。
ちなみに中学校で習うフレミング左手の法則は、フレミングが大学の講義で学生に分かりやすくファラデーの電磁誘導を説明するために考えたもの。フレミング自身の発明としては世界初の真空管がある。

レンツ(ロシア)
1834年にレンツの法則(電磁誘導における起電力の向きは電磁誘導の原因を妨げる向きである)を発見。

モールス(アメリカ)
1837年に有線電信機を発明した画家。

ジュール(イギリス)
1840年に、ジュールの法則(電流による発熱)を発見。

ヘルムホルツ(ドイツ)
1847年にエネルギー保存の法則を発見。

プリュッカー(ドイツ)
1858年に陰極線の蛍光作用を発見。
彼の弟子のヒットルフは真空管の中に金属板を入れ、その影ができる方向から真空放電の向きがマイナスからプラスであることを突き止めた。

1859年・・・ダーウィンが『種の起源』を発表。

メンデレーエフ(ロシア)
1869年に元素の周期表を発表。
つまり山田克哉さんによれば、電気の研究は、原子の概念を考慮しないで別個に行われた。

マクスウェル(イギリス)
1873年にこれまでの電磁気学の集大成的ルールであるマクスウェル方程式を発表する。
マクスウェルはファラデーとは対照的に高等教育を受けたエリートで、ファラデーの電磁誘導作用(磁場が電場を作る)の逆(電場が磁場を作る)もいけるんじゃないかと考えた。
マクスウェル方程式は4つの式で構成され、そこから以下の5つのルールが導き出せる。
➀磁場を時間的に変化させると、時間的に変化する電場ができる。
②電場を時間的に変化させると、時間的に変化する磁場ができる。
③電荷は電場を作る。電荷なしでは電気力線の数は変化しない。
④磁場は電流によって作られる。
⑤時間的な変化によらず磁力線は絶対に輪っか状に閉じている。

これにより電場と磁場は統一されて電磁場となった。
さらに➀と②からマクスウェルは、電場と磁場が交互に波のように伝わっていく電磁波の存在を予言したが、実際に電磁波が観測されたのは彼が亡くなって8年後の1887年のヘルツの実験だった。
ちなみにマクスウェル方程式(から得られる波動方程式)でマクスウェルが電磁波の速度を計算したところ、光の速度と一致した。これにより光の正体は電磁波だということが突き止められた。

ベル(アメリカ)
1876年に電話機を発明。優秀な教育者でもあった。

エジソン(アメリカ)
1879年に白熱電球を発明(厳密にはフィラメントに京都の竹を使って改良した)。
ちなみに同じ年にファーブルが昆虫記を出している。
また、直流を用いた送電方法に固執し、交流を支持したニコラ・テスラとは電流戦争を繰り広げた。

アレニウス(スウェーデン)
1887年に電解質溶液の電離説を発見。

1889年・・・ガソリン自動車の発明

レントゲン(ドイツ)
1895年にX線を発見。

マルコーニ(イタリア)
1895年に無線電信に成功。

ベクレル(フランス)
1896年にウランの放射能を発見。

JJトムソン(イギリス)
キャベンディッシュ研究所に所属していた物理学者。1897年に電子が存在することを確認。
ちょっとガスが入っている“ほぼ真空”の放電管に発生させた陰極線の道すじが、それと垂直な電極によって曲げられることから、陰極線の正体は光ではなく(※光に電荷はない)マイナスの電荷を持ったたくさんの粒(電子)であると結論づけた。
トムソンはこの実験を発展させ質量分析器を作り、電子の電荷と質量の比率である質量電荷比が、どんな種類のガスをガラス管に入れても、どんな種類の金属を電極に使っても変わらないことを突き止め、電子の発見者として1906年にノーベル賞を受賞した。
ちなみに質量電荷比は、陰極線が磁場の強さに応じてどれだけ曲がるか(質量が大きいほど曲がりにくい)、また陰極線が当たった物体がどれだけ暖かくなるかを調べて求められた。

キュリー夫妻(フランス)
1898年にラジウム、ポロニウムを発見。
夫人の方が有名だが、旦那もなかなかで、強磁性体の磁気は「キュリー温度」まで熱するとなくなることを突き止めた。
が、放射能でボロボロになった体でフラフラになって馬車にひかれて若くして死んでしまった。

プランク(ドイツ)
1900年に、レイリーやウィーンの数式を継承&改良するかたちで、電磁波の持つエネルギー量は連続的に変化できず、不連続的(デジタル)に変化し、また、物体が光を吸収したり放射する値は、必ずプランク定数h×電磁波の振動数ν(ニュー)の整数倍であるというプランクの黒体放射理論(エネルギー量子仮説)を発見。これが量子力学の誕生となった。マジで新世紀の始まりである。

20世紀
アインシュタインに象徴される核物理学の時代が始まった。

1901年・・・スウェーデンでノーベル賞が制定。

ラザフォード(イギリス)
1903年に放射性元素の崩壊を提唱する。

アインシュタイン(ドイツ)
1905年に『動く物体の電気力学について』で特殊相対性理論(重力を考慮しないやさしい方の相対論)を提唱する。
素朴な疑問を大切にするアインシュタインは、動く電荷によって磁場が発生するというなら、観測者がその電荷と一緒に動いたら、その磁場は観測できないんじゃないかと考えた。
この相対的な関係は電場も同様で、だから磁石にコイルを通過させるだけで電流が流れるのだと考えた。
このアイディアを発展させると、動いている定規の目盛りを静止している観測者が読むと、長さは縮んでしまうことになってしまう。
こうして、これまで絶対的な尺度と思われていた長さや質量や時間は相対的な尺度に過ぎないと、アインシュタインの理論は各界に波紋を起こした。
さらに事態をややこしくしたのが、光の速度で、これは例外的に絶対的だった。つまり仮に光の速さで光と併走しても光はやっぱり秒速30万キロメートルで進んでいるように見えるのだという。
ちなみにE=mc2という有名な式だが、これは質量に光速度の二乗というとんでもなくでかい数をかけた値がエネルギーの合計と言うことなので、とっても小さい原子ですらとんでもないエネルギーを持っているということになる。これこそアトミックパワーである。
実は、アインシュタインは同じ年にもう一つの偉業をなしている。
それが光量子仮説で、光を真空中の金属に当てて電子をはじき飛ばす光電効果の実験結果(光が金属に当たった瞬間に電子ははじき飛ばされる。金属の種類と光の色の組み合わせによっては、どんなに光を強くして長い時間当てても電子ははじき出されない、など)が、光を波と考えるとつじつまが合わないことから、光には粒的側面(一発勝負的性質)もあると考えた。
この時の光は光子(フォトン)と呼ばれ、こういうダブルスタンダードも光が小悪魔的な所以になっている。
ちなみに光子のエネルギーの量は、その光のによって決まり(E=hf)、金属の中の自由電子にぶつかると自分が持っていたエネルギーを気前よくすべて与えて消滅してしまう。

ラザフォード(イギリス)
1911年に原子核の存在を確認。

ミリカン(アメリカ)
1911年に行なった油滴実験で、電子一個分の電荷を測定。その値は、だいたい1.6×10-19クーロン(自然定数)。
油滴実験とは、上下に電極がある装置の中に霧吹きで油を噴射し、その粒を、電極の電気力と油滴にかかる重力を釣り合わせることで空中に静止させ、この時の電場の強さから油滴の電荷を測定する実験。
このとき測定された電荷の値が、必ずある定数の整数倍になっていることから、電子一個分の電荷が求められ、この数値とJJトムソンが出していた、電荷/質量の割合から、電子一個分の質量も算出された。

ボーア(デンマーク)
1913年に原子構造をモデル化する。
プラスの電荷を持つ原子核と、マイナスの電荷を持つ電子が互いに引き寄せられて水素原子がつぶれてしまわないのはなぜか?という考えてみれば不思議な問題に真剣に取り組み、陽子の周りにある電子の軌道は複数あり、そこを回る電子の角運動量は飛び飛びの値を持つ(電子は勝手気ままな軌道を取れない)と考えた。
熱エネルギーが与えられた電子は外側の軌道に移り不安定になるため、電子は軌道を内側に移しながらクオンタムジャンプを繰り返す。この時に光が発せられるから、熱された物は光るのである。

1919年・・・野口英世が黄熱病を研究。

コンプトン(アメリカ)
1923年に、光(光子)が電子と衝突し電子を吹っ飛ばすとき、その分のエネルギーを消費させる(=振動数を減らす)コンプトン散乱を発見。

パウリ(オーストリア)
師匠はボーア。1924年にスピンまでを考慮に入れた同一の物理状態は一つの粒子が独占してしまうと言う排他律を発表した。
これによれば、1番内側の軌道(n=1)は2席、次の軌道(n=2)では8席、その次(n=3)では18席・・・と電子が座る席の数はあらかじめ決まっており、原子の周期はこのルール(席の数は2n2)に基づくとされている。

ド・ブロイ(フランス)
1924年に、質量のない光(電磁波)が粒子としてふるまうことがあるなら、逆に質量のある電子などの粒子も波として振舞うんじゃないかというド・ブロイ波(物質波)を提唱。
ド・ブロイの式は「波長=プランク定数/運動量」と表され、この式を波の性質と粒子の性質(運動量は粒子の性質)に置き換えれば、「波動性=プランク定数/粒子性」となり、プランク定数が波動性と粒子性の橋渡しをしていることがわかる。
ちなみにプランク定数は6.6×10-34J・sと極めて小さい。そのため、電子のような小さな粒子(=運動量が小さい)の波動性は観測され、野球ボールのような大きな粒子(=運動量が大きい)の波動性は観測できない。

ベアード(イギリス)
1925年にテレビジョンを発明。

ディラック(イギリス)
1928年に電子のスピンを盛り込んだ『相対論的量子力学』の論文を発表。これによれば電子のスピンはたった二つの回転方向(座標軸から必ず上向きか下向きに54.7°)しか存在しなかったり、スピンの強さも(√3/2)×プランク定数÷2πという値で確定していることから、地球の自転やコマの回転とはメカニズムが本質的に違うらしい(というかよくわかっていない)。

クノールとルスカ(ドイツ)
1931年に電子顕微鏡を発明。
可視光線の代わりに電子線を当てるタイプの顕微鏡。電子線を観察したいものに正確に当てるには、真空と高い電圧を作らなければならないので、光学顕微鏡よりはるかに大掛かりな装置が必要になる。しかし光より波長が短い電子線を使うため分解能はずば抜けて高く、またピントの合うエリア(焦点深度)も広いため、ウィルスも立体的に見える。

チャドウィック(イギリス)
1932年に中性子を発見。

1947年・・・電子計算機が実用化される。

1948年・・・トランジスタが開発される。

1954年・・・ソ連で原子力発電が開始される。

1957年・・・スプートニク1号の打ち上げ。

1963年・・・衛星中継放送に成功(第一報はケネディ大統領暗殺)。

1969年・・・アポロ11号が月面着陸。
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