奇蹟がくれた数式

 「面白い度☆☆☆☆☆ 好き度☆☆☆☆☆」

 大きな数字には慣れている。
 
 去年からずっと観たかった、代数学ガチ勢シネマをついに鑑賞!!いや~「シネマテークたかさき」っていう映画館しかこの辺ではやってなくて、北関東自動車道をドライヴンして行ってきたんだけど、この映画館、すごい雰囲気が素敵。
 めっちゃ商店街の中にあって、古きよき昭和の小劇場感半端ねえ。上映作品も『92歳のパリジェンヌ』とかいぶし銀なやつばかりで、お年寄りの憩いの場になっていたのであった。一部、オシャレ系の若いカップルもいたけど8割が上品なシルバー層。カルティラタンみたいな。よく知らないけど。
 
 や~しかしラマヌジャンっていつか映画になりそうな数学者だなあって思ってたんだけど(あとガロア)、本当に映画化されたっていうね。この人を知るまでは、人類で一番知能が高いのは、映画でも言及されているニュートンだと思ってたんだよ。
 でも、こいつの登場で、ランキングが変わったよね。ニュートンは自身も言っているように、ガリレオやケプラーといった、これまでの偉大な研究者のレガシーをしっかり先行研究した上でああいった業績を残せたわけで、普通の研究者が各駅停車なら、ニュートンはのぞみくらいの存在だったとは思うけれど、レール自体はわりと定向的なものだったと思うんだよ。ニュートンが出てこなくても、近代という時代のレールがある程度定まっている以上は、遅かれ早かれこういう発見にたどり着いただろう、と。
 だけどさ、ラマヌジャンはちょっとおかしいよね。路線自体を別に作っちゃったというか、そもそもレールの上すら走ってないだろっていう。
 ラマヌジャンの本で、「32年という短い地球滞在であった」みたいな記述があるらしいんだけど、確かにあの人は定期的に地球にやってきて人類に知性を与えてくれる系の異星人なんじゃないかっていうwエジプト文明あたりもこの人が関わったよ、みたいな。

 ニュートンがのぞみなら、ラマヌジャンはドローンだよね。

 大げさじゃなく、とにかくこの人すごいんだよ。藤原正彦さんによれば、ラマヌジャンは古本屋かなんかで買った公式しか書いていない(証明もない)つまらない目録本一冊だけを参考に、独学で数学の研究をしたらしい。
 しかも、ノートにびっしり書かれた4000以上の数式はほとんどが未発見で、さらに彼は女神マナギーリが教えてくれたから絶対あってると、証明にはてんで興味を示さなかったもんだから、こいつの数式が本当に合っているのかの検証にめちゃくちゃ苦労したわけである(彼の唯一の参考書に証明が載ってなかったのも関係するんだろうな)。
 ここらへんがこの映画の見所なんだけど、この検算はその後100年近くかかり、近年やっとだいたい終わったらしい。なかにはブラックホールの研究に使えるものがあったりしたりなんかして、100年前にどうしてこういう発想に至ったのか見当もつかないという。やはりID説なんだよ!

 人生×2。

 で、このラマヌジャンの「神様が教えてくれた」的な宗教チート技、西洋的な数学の世界ではやっぱり「いやいやいや・・・」って感じで、彼の才能を見出したベテラン数学者ハーディは、ラマヌジャンを一人前の“西洋的”数学者にさせようと、証明の重要さを何度も叩き込もうとするんだけど、ラマヌジャンにとってそれは唯一絶対である神の存在に対する否定にほかならない訳で、とどのつまり不毛な進学論争みたいになっちゃうんだよね。
 ハーディは、優生学的な思想を冷徹に否定するハーディ=ワインベルグの法則とか考えただけあって、神や人間の意志といった主観的ファクターを自然科学的な研究からオッカムのシェーバーで排除するような無神論者で、さらに独身貴族という、ラマヌジャンと対極の人生を歩んできた人なんだよね。
 科学哲学的に言うと、これは本質主義論争と呼ばれるものなんだけど、結局は二人の男の人生哲学のぶつかり合いなんだよね。
 ただ二人が共通しているところが一つだけあって、二人とも神に裏切られるのが怖いんじゃないかな、と。だからラマヌジャンは神から授けられた数式を検算されるのを嫌がるし、ハーディは晴れたクリケットの日に雨傘を持っていく。
 で、最終的にラマヌジャンの数学の才能ではなく、“ラマヌジャンそのもの”を認めることができたハーディは王立協会のフェローに彼を推薦するときにこんなこと言うんだ。

 数式は創るものでなく、既に存在していて――ラマヌジャンのような天才に発見されるのを待っている。
 
 つまり、近代科学の実証主義も、ある種の本質を仮定しなければ成り立たないだろっていう。私も科学と宗教を対立させて考える人には、科学こそが最大最強の宗教勢力だろうって言うんだけど、科学革命の原動力はイエッスキリスト教なわけですよ。
 全知全能の神が創りたもうた世界だから、秩序だったルールが存在するに違いない、という自然観こそが実証的な科学研究のモチベーションになったわけであって。神を厚く信仰する人たちが、神の存在を確認する訳だから、そりゃ必死なわけですよ。
 それに、無神論というのも結局神の存在を強く意識しているから出てくるっていうのもあるしね。熱心な無神論者は、オレ達みたいに仏教も神道もキリスト教も(最近ではケルトも)イベント的に消費しちゃう日本人よりもずっと信仰に厚いだろっていう。
 事実、江戸時代までの日本の数学(算学)はパズルゲームとして消費こそされど、自然科学のツールとして用いられることはついぞなかった。私たちには本質がなかったのである。

 絵みたいなものさ。
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