英米文学1覚え書き①

 ちょっと臨時に置いておきます。そのうち追加&訂正。

参考文献:板橋好枝・高橋賢一編著『はじめて学ぶアメリカ文学史』

アメリカン・ドリーム
古代ギリシャのアトランティス伝説以来、西方はヨーロッパ人にとっての黄金郷であり、17世紀に大西洋を渡った移民にとってもアメリカの新大陸は理想郷だった。
新大陸は旧大陸の封建制による圧迫のもとで果たせなかった理想、願望の実現の場となった。アメリカンドリームは自由、平等、機会均等など、移民が実現しようとした理念の総称であり、人間の基本的権利として独立宣言に謳われた。
アメリカの夢にはこういった約束の地に「楽園」を求めるピューリタン的な崇高な精神性とともに、物質的な欲望の実現を求める世俗的側面もあった。独立宣言の起草者のひとりであるフランクリンは、ピューリタン的な勤勉と倹約を奨励し、また、実力さえあれば身分によらず誰しも成功し富を築くことができる可能性を説いた。つまり、富の獲得が職業的な有能さの証とみなされ、神の意思に沿うものであると考えられたのである。
こういったすべてが個人の努力次第という考え方は、西漸運動やフロンティアスピリットにつながり、やがて宗教的・精神的理想は薄れ、世俗的・物質的な夢として人々の価値基準となった。

アメリカ文学の開花(19世紀中期)
国家の自立基盤も固まり、世界で最も進んだ民主主義の国という考えが広まったこの時期はロマン主義的な文芸興隆期と呼ばれ、独特な想像力の展開を見せた。
それまでのピューリタニズムによるたがが外れ、多様な潮流が奔放に噴出、超絶主義、懐疑的ロマン主義、草の根民主主義、合理主義などが、それぞれの内部に曖昧性を残しながらも存在を主張した。これをアメリカ・ルネッサンスという。
アメリカ・ルネッサンス期においては、自然に対する人間精神の照応関係が最も重要な意味を持った。エマソンの「自然」、ソローの「ウォールデンの森」、ホーソーンの「森」、メルヴィルの「海」、ホイットマンの「草の葉」(『いまを生きる』の「おお船長わが船長」の作者)など、自然がアメリカ・ロマンティシズム期のキーワードとなるのである。

明白な天命
マニフェスト・ディスティニー。北部と南部の対立が深刻化していた19世紀初頭に大衆のあいだで広まった、「西部の未開の地に入植し、独自の理想郷を実現する」という、白人の利己的な拡張主義のこと。
もともとは「若きアメリカ運動」の活動家でコラムニストのジョン・オサリバンの造語で、「毎年のように増大するアメリカ国民の果てしない発展のために、神によってあてがわれた北米大陸を膨張させるのは明白な天命である」という超自然的論理のもとに、自然の無差別な破壊と、先住民に対する暴力的駆逐が正当化された。
また、1849年にカリフォルニアで突発したゴールドラッシュは、大衆に成金の幻想を与え、西部への拡張主義をさらに促し、南北の矛盾から大衆の目をそらせた。

超絶主義
理性や五感で理解できるものを超絶(トランセンデンド)し、自己の直観により絶対的なもの(神や真理)を把握するという主張。
コールリッジやカントといったドイツ観念論の影響を受ける一方、アンチ・カルヴィニズム(反カルヴァン)を主張するチャニングらのユニテリアニズム(単一主義。三位一体を否定し、神の唯一性を強調する主義)から発展した宗教色の強い思想だった。
個人の内面をすべてにおいて優先させ(自己信頼)、人間の精神を宇宙の中心とし、自然は人間精神のメタファーであるとみなす超絶主義の考えは、1830年代~50年代のアメリカ・ルネッサンス(アメリカ文学最初の隆盛期)の精神をもっともよく体現し、理知よりも心情を、思弁よりも想像力を優位に置くロマン主義に通じていた。
その中心人物だったラルフ・ウォルド・エマソンは、「森の中で我々は理性と信仰に立ち戻る」と述べ、ピューリタンがかつて「荒野」と呼んだアメリカの大自然に対して「新しい文学や思想を生む土地」という新たな認識を与えた。

Henry David Thoreau (1817-62)
コンコードの鉛筆製造の家に生まれたヘンリー・デビッド・ソローは、ハーヴァード大学で古典文学を学び、卒業後はコンコードに戻ってエマソンら超絶主義者と交流し、その影響を受けつつ独自の作風を築いた。
28歳の時、ソローは湖畔の森の中に丸太小屋を建てて、約2年間におよぶ晴耕雨読の生活を始めた。『ウォールデン 森の中の生活』(Walden;or,Life in the Woods,1854)は、その時の生活の詳細な記録であり、ソローの詩人博物学者および社会批評家の両面が鮮明に現れた代表作である。
作中において、ソローは「to front only essential fact of life」と、人生の本質に直面するためだけに森での生活を始めた、と述べている。ここに超絶主義における自己信頼の思想を実践しようとするソローの意志が見受けられ、さらに「to know it by experience」という一文から、超絶主義者が直観だけではなく個人の経験も重視していたことが分かる。こういった思想的土壌があったからこそ、プラグマティズムがアメリカで生まれたのである。
ソローが後世に与えた影響は、それだけではない。
1846年7月、奴隷制度とメキシコ戦争に反対し、人頭税の支払いを拒んだソローは牢屋に入れられ、この出来事はのちに講演やエッセイになった。(“Civil Disobedience”,1849)
政府(多数派)の決定が誤っている場合、正しい少数派のとるべき手段は何か、民主主義をさらにもう一歩進める政治形態とは何か、という彼の理想主義かつ精神主義的な政府論は、その後ガンジーやキング牧師に大きな影響を与えることになる。
彼は、土地測量や家業の手伝い以外は決まった職に就かず、独身で個人主義的な自由人としての一生をコンコードで送り、44歳で結核でなくなった。

Nathaniel Hawthorne(1804-64)
ナサニエル・ホーソーンは古いピューリタンの家系に生まれ、大学卒業後12年間にわたって書斎に引きこもり、読書と創作を続けた。1839年にボストンの税関に就職、また超絶主義者達が中心となって作った革新的実験農場ブルック・ファームに参加するが、人間関係に失望し、半年で離脱した。この経験は、常に臆病な傍観者を装った語り手が共同体の人間関係を凝視する『ブライズデイル・ロマンス』(The Blithedale Romance,1852)の手法の元ネタとなった。
その後、セイレムの税関に就職、代表作の『緋文字』(The Scarlet Letter,1850)執筆に取り掛かる。
さて、彼の先祖は異教徒の迫害や魔女裁判を行ない、こういった先祖の罪業は、彼の作品に強い影響を与えている。『緋文字』ではピューリタン倫理の根底をなす原罪、世俗的ピューリタンの独善、タブーを破って姦通をした情熱ゆえの罪といったさまざまな罪が描かれ、“罪の意識”という緊迫したテーマにつながっている。
この中でホーソーンが特に関心を抱き、非人間的であるとした罪が、許されざる罪(the Unpardonable Sin)であり、これは、過度の好奇心を持って他者の心の奥にある密かな情念の根拠を追い詰め、その結果他者の人格を破壊してしまうという罪である。

He has violated, in cold blood, the sanctity of a human heart.――(The Scarlet Letter)

こういった、ホーソーンの個人の内面への凝視の根底には、超絶主義者の楽観性、ピューリタニズムの偽善性に対する懐疑の念が強く存在しているのである。

リアリズム文学の隆盛(19世紀後期~20世紀初頭)
この頃のヨーロッパでは、ロマン主義に対抗して自然や人生をありのままに描こうとするリアリズム文学の運動が盛んであった。
一方のアメリカでは南北戦争が終わると地方色の文学が起こり、写実主義への土壌は出来ていたものの、文壇は圧倒的に保守的だった(リアリズム文学を不快なものの代名詞であるとみなした)。
この状況に対してリアリズム戦争を仕掛けたのがハウエルズだった。彼は『ハーパーズ・マンスリー』誌においてドストエフスキーなど海外の新しい文学を精力的に紹介し、リアリズムのための論陣を張った。また彼自身も平凡な中産階級の社会風俗を作品の中で描いている。
彼の他にアメリカにリアリズム文学を根付かせた作家には、フロンティアの生活を口語体で描いたマーク・トウェインや、心理的リアリズムの領域を開拓して20世紀文学の道を開いたヘンリー・ジェイムズなどが挙げられる。
他方、リアリズム文学が実証主義哲学と結びついて、生物学的、社会学的実験の様相を帯びたのがゾラの提唱する自然主義文学であった。人間の運命は環境・遺伝・偶然によって決まってしまうという決定論の立場から、個人の性格、倫理的責任の追求より、生物的、経済的、社会的側面からの科学的観察が重視された。
また、雑誌を中心に始まった社会不正糾弾の傾向はフィクションにも現れ、シカゴの食品缶詰工場の内幕を暴露したシンクレアの小説『ジャングル』は純正食品法成立のきっかけとなった。
さらに、この時代は地方色の作家をはじめとして女性作家の活躍が目に付いた時代でもあった。イーディス・ウォートンは19世紀末のニューヨーク上流社会の風俗習慣を背景に女性の自画と葛藤を描いた。エレン・グラスゴーは1850年代から現代に至るヴァージニア社会の変遷を一連の小説にした。彼女の作品『不毛の地』は自立したたくましい女性が描かれている。
南北戦争が終わったことで黒人の文筆活動も活発化し、彼らは後のハーレム・ルネッサンスの礎を築いた。

地方主義の文学
アメリカの文学は、南北戦争以前はニューイングランド地方(アメリカ北東部。北からメイン州、ニューハンプシャー州、バーモント州、マサチューセッツ州、ロードアイランド州、コネチカット州。桃太郎電鉄USAでカード駅が並ぶどん詰りなところ)を中心に動いていたが、戦後社会の急速な産業化および画一化に抗うように、地方を題材にする作家が現れた。
薄れゆく地方独自の風土、方言、文化などを描写した記録文学的なリアリズムと、懐古的な哀惜感を伴ったロマンティシズムの混在が特徴。
この背景には、南北戦争後の自国再認識の気運の中で、複数の文学雑誌が新人作家発掘を競ったことが挙げられる。
その先駆者は、カリフォルニアを題材としたブレット・ハートである。
地方色の作家にはほかにも、『アンクルトムの小屋』のストー夫人といった女性作家、中西部の農村をリアルに描いたエグルストン、南部の黒人作家チェスナットなどがいる。なかでもマーク・トゥエインはアメリカを代表する国民的作家になった。

Mark Twain(1835-1910)
東京ディズニーランドでもおなじみのアメリカの国民的作家。
ミズーリ州フロリダの貧しい開拓者の家に生まれたトウェインは、12歳の時に父親が亡くなると学校をやめ、見習いの植字工を経てアメリカ各地を放浪、南北戦争開始までミシシッピー川を運航する蒸気船の操舵手となる。船上での4年間は大学時代に当たり、創作に欠かせない人間観察の場となった。
ちなみに「マーク・トウェイン」はペンネームで(本名はサミュエル・ラングホーン・クレメンズ)、船の航行に最低限必要な水深(2ひろ)に注意を促すかけ声である。
その後、西部に金鉱を探しに行ったりしていたが、ユーモア作家アーティマス・ウォードやブレット・ハートとの出会いから『ジム・スマイリーと彼の跳び蛙』(“Jim Smiley and His Jumping Frog”1865)を発表、この作品により全米的知名度を得たトゥエインは、巧みな語り口、ユーモアと笑いを武器に『赤毛布外遊記』(無邪気なアメリカ人旅行者がヨーロッパの文化や歴史を笑いのめす)などのベストセラーを次々に執筆する。
こうしてアメリカ随一の人気作家となったトウェインは、無垢な子どもの目から見た文明批判というテーマを一貫して追求していくようになる。『トム・ソーヤーの冒険』(The Adventures of Tom Sawyer,1876)『ミシシッピ川の生活』(Life on the Mississippi,1883)『ハックルベリー・フィンの冒険』(Adventures of Huckleberry Finn,英1884米1885)ミシシッピ三部作と呼ばれ、どれも文明(大人社会)の前に消滅する自然と、失われた子ども時代を主題としている。
自然と文明の対立、孤独と死、逃亡と追求、人生への開眼などのアメリカ的主題と、自由と解放を求めて冒険を繰り返す主人公の姿はアメリカ文学における子どものイメージを確立し、かのヘミングウェイも「すべてのアメリカ文学は『ハック・フィン』に由来する」と高くリスペクトしている。
ただし、1作目の『トム・ソーヤー』が子ども時代への郷愁を描いているのに対し、3作目の『ハック・フィン』では現実を生きる子どもの恐怖と幻滅感が強調されており、晩年には、こういった文明批判と人間への懐疑はさらに深まり、未完となった幻想的な時空間の旅物語『不思議な少年』(The Mysterious Stranger,1916)では、救いようのない厭世観、虚無主義が強く描かれている。

アメリカ文学の成熟(1920年代~30年代)
第一次世界大戦後、アメリカ小説は世界文学への道を歩み始める。その口火を切り、リアリズム文学に新たな次元を付け加えたのがシャーウッド・アンダソンだった。短編の名手であった彼は、フロイト的視点から人間の内面というもうひとつのリアルに目を向け、次世代の作家たちが進むべき道しるべとなった。
また、同時代のシンクレア・ルイスは『本町通り』『バビット』などで閉鎖的な中西部の田舎町を鋭く風刺し、写真的リアリズムの極致に至った。
さらに、今世紀アメリカの主要な幻想作家であるキャンベルが現れ、現実風刺と人間の夢想を主題とするとともに、カーン、イージアスカらユダヤ系文学など少数民族の文学の芽生えも見られた。
文学批評では毒舌家メンケンらの活躍がめざましく、アメリカ文明とピューリタニズムを大いに批判した。

ロスト・ジェネレーション
1920年代~30年代に活躍したアメリカの若手作家の世代のことで、ロストは「失われた」というよりは、目的を見失い「迷える」といったニュアンスに近い。
19世紀末に生まれた彼らは、20代に等しく第一次世界大戦を経験し、その多くは既存の価値観(ヴィクトリアンな厳格なモラル)や戦後のアメリカ社会に失望し、パリに渡り、そこでガードルード・スタインらの感化でモダニズム(既存の作品を打ち破る実験的な文学)に触れた。失われた世代という語は、このスタインによるものである。
彼らの新しい感性は、小説の主題を社会の表面から人間の内面へと変え、新たな表現形式と、数々の名作を生んだ。
中心人物は、ヘミングウェイやフィッツジェラルド、フォークナーで、戦争への好奇心は絶望に、国家に対する忠誠心や正義は疑念に・・・といったように価値観が消滅した世界に対する強い虚無感が、彼らの文学作品の大きな特徴である。
ちなみに、ロスト・ジェネレーションの人は中年になると世界恐慌や第二次世界大戦を経験している。かなり可哀想。

Ernest Hemingway(1899-1961)
20世紀のアメリカ小説の巨匠。シカゴ郊外に生まれ、少年時代は腹部ミシガンの森で遊ぶ自然児であり、ときに家出を試みる反逆児だった。
高校を卒業すると一年間だけ短い記者修業をし、翌年の1918年に志願してイタリア軍の赤十字に参加、負傷兵の輸送に当たる。重傷を負って入院したミラノの病院では看護婦に恋をするが失恋する。
19年に帰国。翌年にシカゴでアンダソンと知り合い、創作上の影響を受ける。21年に結婚、新聞社の特派員としてパリに行く。アンダソンの紹介状をもとに「ロスト・ジェネレーション」生みの親スタインを訪れたヘミングウェイは、モダニズムの洗礼を受け創作に励んだ。
アメリカでの第一作『われらの時代に』(In our time,1925)は、大戦を経験した1人の少年の成長を追う短編集で、各短編の間に戦場での光景の一コマを挿入する実験的な方式と、感情を抑えた簡潔で即物的な口語体の語り口が特徴である。
自伝に近い素材の利用、“非情な文体”(ハードボイルドスタイル)と呼ばれる独自の文体の駆使、極限的状況への関心、暴力と死、空虚な観念よりも純粋な感覚の充足を求める生き方などのテーマは、代表的長編『武器よさらば』(A Farewell to Arms,1929など、以降のヘミングウェイ作品すべてに通底するカラーを予告するものだった。
既存の価値観が消滅した世界で自分の感覚を絶対の基準とする態度は、彼が戦争を通過することにより鍛え上げた感性であり、学び取った方法なのである。
やがて不動の名声を手に入れた彼は、タフガイのイメージそのままに、アフリカでの猛獣刈り、スペインでの闘牛観戦、スペイン内乱での活動など、生の充足を求めた。
ノーベル文学賞を受賞した名作『老人と海』(The Old Man and the Sea,1951)で見事な老成ぶりを示したヘミングウェイだったが、体力的衰えとノイローゼによって61年に猟銃で自殺。劇的な生涯を閉じた。

現代アメリカ文学

Kurt Vonnegut(1922-2007)
1960年代~70年代に圧倒的人気を誇ったペーパーバック出身のSF作家。
ドイツ系移民4世としてインディアナポリスに生まれ、大学では生化学を専攻した。在学中第二次世界大戦に従軍、ドイツ軍の捕虜としてドレスデンの屠殺場に送られ、そこで連合軍の無差別爆撃に遭遇する。ドイツ人でありながらドイツ人に捕らわれ、連合国の軍人でありながら連合国軍に爆撃されるという不条理を受けた経験は、ヒューゴー賞受賞作品『屠殺場5号』(Slaugh-terhouse-Five,1969)に自伝的に描かれる(主人公は同じ状況下で宇宙人に誘拐される)。
終戦後は、再び大学に入り、そこで人類学を学ぶが学位が取れずに中退、その後ジェネラルエレクトリック社に就職する。この経験はディストピア小説『自動ピアノ』(Player Piano,1952)の着想の元になった。ここで描かれるのは、奏者のいらない機械化されたピアノに象徴される、機械が人間を管理する知識階級社会である。
ヴォネガットは、二流と見なされるペーパーバック(大衆文化)が生んだ作家であり、また大学生の評価(カルト的人気)が批評家に先んじた点でも重要なケースである。
ヴォネガットの作品の登場人物は、体制の圧力から常に自由で変化に富む存在であり続けようとし、この心の在り方に、ヴェトナム戦争の徴兵、文明社会の生態系の破壊といった不安を抱えている若者が真っ先に共感を覚えたのである。
現代の視点から見ると、いささか傷つきやすく純粋過ぎる点も含めて、ヴォネガットはアメリカの反体制文化を代表する作家なのである。
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