英語教科書に歴史あり。伊村さんの熱い語り口がかなり面白い。教科書でここまで語れる人はなかなかいないと思う。
参考文献:伊村元道著『日本の英語教育200年』
戦前のリーダー(読本)
『ウィルソン・リーダー』
明治6年に師範学校が編集し、文部省が刊行した『小学読本』の原著。アメリカでは小学生向けの国語のテキストだが慶應義塾でも採用された。
antやboy、cow、dogなど1音節でスペルが4文字までの単語がほとんどで初心者に学びやすい。しかもABC順にbat とboy、catとcowと頭韻を踏んでいる。
文字や挿絵が綺麗で、明治20年ころまで英語リーダーの代表格だったが、内容があまりに子ども向けだったり、旧約聖書を取り上げるなど宗教色が強かったりしたため、次第に使われなくなった。
『ナショナル・リーダー』
『ウィルソン・リーダー』に次いでロングセラーとなったアメリカの教科書。
明治20年~大正4年まで東京高等師範の附属中学校などで使い続けられた。
ページの半分が写実的なイラスト(※上手い)で、題材も動物や自然が多く(機械文明など登場しない)、ちびっ子向けな印象を受けるが、内容についてはV+O+原型不定詞など高校の内容まで扱っており、第1巻ですでに受動態、関係代名詞、仮定法が登場するなど、かなりハイペースな教材配列となっている(第3巻から突然難しくなる)。
さらに第5巻になるとシェイクスピア、ディケンズ、ホーソーン、トウェインなど英米文学が目白押しで、英文科の学生でも難しいレベルになっている。
幕府の留学生の外山正一(そとやままさかず)は、これは初学者向けの教科書としては採用すべきではないと批判している。
『正則文部省英語読本』
そんな外山が理想とする教科書が、彼が明治22~23年に出したこの教科書である。文部省からでているが、国定教科書ではなく、あくまでもひとつの検定教科書である。
外山は本書の目的で「Short sentences to be committed to memory(短い文の記憶)」や「very simple dialogues(とても単純な会話)」を取り上げることで生徒の切実な要求である英語で思考すること(Think in English)を成し遂げると、述べている。
この教科書の特徴は、英語を正則で学ぶためのもので訳読のためではないこと、教科書を閉じて会話するのも大事であるが機械的な暗唱は無用であること、念入りな反復練習が重視されていることである。文法の提示のペースも外国の教科書に比べるとずっとゆっくりで、長文もたった二つという、初心者に寄り添った難易度設定となっている。
しかし、当時の訳読中心の英語の授業において、口頭練習中心のこの教科書の人気は低く、面白くないという不名誉な烙印を押された。
彼が作ろうとした、読解力要請のための「リーダー(読本)」から、外国語学習のための「コース(教本)」へという流れは、現在でこそ多くの支持を得ているが、当時は日本はおろか海外でも取り入れられておらず、理解されなかったのである。
Think in English
ところが、この36年後、文部省英語教授顧問として来日したパーマーが外山の『正則文部省英語読本』を再評価することになる。
パーマーは外山の哲学をそのままに『Think in English』というタイトルの教科書を作り、これは今日の英語教科書の原型となった。
彼の教科書の編集のポイントは、中学生の精神年齢に合わせること、現在使われている英語の語彙や文体を採用すること、易から難へスムーズに配列すること、教材の範囲を偏りのない物にすること(文学だけではなく社会的、科学的な題材も取り上げる)、全体のカラーを統一することなどである。
しかし、この全5巻の教科書は、第1巻は超簡単だが、2巻になると突然難しくなり、第5巻に至っては『ナショナル・リーダー』を遙かに上回る難易度になっている。具体的にいうと、最初の1年で現在の中学校3年分の学習内容を、2年目で高校3年までの文法をすべてやってしまうというすさまじい物だった。
また、3巻よりも2巻の方が難しいなど、難易度に安定性がない。これはこの教科書が編集者の勘と経験で作られたことを物語っている。
しかし、パーマーは生徒用、教師用に贅沢なほど付属教材を用意した(Reader System)。これは現在最も完備された教師のマニュアルでも足下に及ばないレベルであった。
戦中・戦後のコース(教本)
『英語』
戦中は英語教育が禁止されていたというのは大変な誤解で、戦時中でも外国語科は健在だったし、国定の英語教科書も発行されていた。
英語の検定教科書は戦前、2000種以上もあり、その中から500種程度が採用されていたが、戦争が長期化すると資源が不足するようになり、昭和15年には各科目5種類だけとなり、とうとう1種類に限られるようになった。
当時文部省から示された要望事項は以下のような内容だった。
①親英気分を醸し出す文章はダメ。
②西洋暦の乱用はダメ。
③英米の物質文明を謳歌させる文はダメ。
④英米を偉大と思わせる文はダメ。
⑤日本を侮辱している感じの文章はダメ。
⑥JapanはNipponにしなきゃダメ。
こうしてできた国定教科書『英語』は、表紙が富士山のイラストで、大東亜共栄圏(War of Greater East Asia)の地図や皇居への遙拝、日章旗、山本五十六、「we pray for our success in war.」「all Japanese boys are to become brave and strong soldiers in future.」など右翼きわまりなかったが、イギリスの食事やクリスマス、イソップ童話など欧米事情を取り上げた章もないわけではなかった。
実際、全体的に見ると軍事色のある部分は2割ほどで(そこが戦後黒塗りされた)、さらに日本人の書いた原稿をアメリカ人にネイティブチェックもさせていた。
Let’s Learn English
戦後初めての国定教科書。親しみやすいタイトルと体裁で、いかにも平和な香りがする本。
タイトルにリーダーとはないものの、かなりリーダー的で、教授法的にはむしろ戦時中よりも後退したが、登場人物の統一や、話題中心の単元構成は、のちの英語教科書に大きな影響を与えた。しかしこの教科書の寿命は3,4年だった。
Jack and Betty(開隆堂)
主人公のジャックとベティのアメリカンな会話が脚本のト書きのようになっている教科書で、生徒はこの2人になりきって台詞を読むことで英会話の練習をする。
著者の3人は皆熱心なパーマーの支持者で、訳読抜きの直接教授法で教えられるような教科書を目指したのである。
The Globe Readers(研究社)
教養派福原麟太郎による最後のリーダー。アメリカ一辺倒だったジャック・アンド・ベティ全盛の時代にイギリス色を敢然と打ち出した異色の教科書。
ハード・カバーの地味な表紙の堅牢な造本はリーダーの貫禄十分で、内容もレッスン1が「Adog. A big dog.」(+イギリスの少女がボクサー犬と向かい合っている写真)だけと、かなり硬派である。たったこれだけ(ピリオド入れても13文字)で何をどう教えたらよいか謎だが、イギリスにとってのイヌは、犬ではなくやはり“dog”であり、国によって各々違った感覚で読まなければならないことを伝えたかったらしい(イギリス人は非常にdogが好きで、ロンドンなどの公園のdogのsitは社会問題となっている)。
こんな感じでレッスン2はCountryだけ。レッスン3でやっとThis is a tree.というセンテンスが出てくる。またOne,one,oneやA cat in the sun.などの数え歌が取り上げられ、文章がリズミカルなのも特徴であった。
The Junior Crown English Course(三省堂)
福島の短大で英語を教えていたクラークによる教科書(ボーイズビーアンビシャスの人ではない)。ほとんど彼一人の書き下ろしで、良くも悪くも編集者の体臭が文章構成のすみずみまでしみわたり、最も個性的と評された。
主人公のトムとブラウン(2巻では日本人画家ヒロシ・カトーが登場)が日本を始め、インド、アフリカなど世界各地を旅行するという内容で、当時の英語教科書には珍しく西洋=アングロサクソン一辺倒ではなく、多言語・多文化主義のイデオロギー色が強いその内容は賛否両論があった。
表紙も従来の日本人の感覚にはないビビッドな派手な物で、二色刷のコミック風のイラスト、カラー写真、しっかりした装丁などデラックス感がすごかった。とりあえずデラックスボンバーでいいか。
レッスン1ではthis is a pen.から始まる謎の伝統を打ち破り、I have a book.というhave 動詞が先に登場し、当時は話題になった。
これは、be動詞は人称の変化が複雑な上、否定や疑問の作り方も例外的、またSVCよりもSVOの文型の方が日本語にもあるので親しみやすいだろうというクラークのねらいがあったが、そもそもthis is a pen.と話すシチュエーションがリアルにはまずないというのが最大の理由だった。
教師用の指導書の類(マニュアル、ガイド)も充実しており、これを教室に持っていけば予習無しで先生は授業ができた。
1970年代以降の教科書
56年に教科書調査官が設置されて検定が強化されると、63年には義務教育の教科書無償法と抱き合わせに広域採択制度が始まった。それまで学校ごとに採択を決めていた中学校の教科書が、地域ブロック単位となり、採択権が現場の教師から教育委員会に移った。
72年からは出版社1社に付き一種類の教科書しか出せなくなった。こうして小中学校の教科書の種類は激減し、戦争直前の5種選定(5種類の教科書候補から選ぶ)の時代に戻り、国定教科書に近い状況になった。
広域採択のために、県全体が同一教科書という県も13県あったこともあり、検定ではなく県定だというボヤキも聞かれた。
その上、5種あっても結局は営業力の強い3社のものが全体の8割以上を占めるという寡占状態で、「表紙さえあれば中身が白紙でも売れる」とうそぶく営業担当者もいたらしい(同人誌か)。
編集者も全国各地の様々な要望と、学習指導要領の縛りに応えようとしたため、教科書から個性が消えた。その上での熾烈な売り込み合戦は30年ちかくも続いた。
その中での勝ち組は、New Horizonの東京書籍、New Princeの開隆堂、New Crownの三省堂で(これがビッグスリー)、他にOne worldの教育出版、Total Englishの学校図書、Columbusの光村出版などの後発組がある。
21世紀の教科書
受信型から発信型へ、読む英語から話す英語という流れの中で、学習指導要領が学年指定を外し、重点を言語材料から言語活動に移し、実戦的コミュニケーション能力の養成を目標とした結果、教科書も従来の文法シラバスから場面シラバスへと移行せざるを得なくなった。学習指導要領の掲げる理想と実情との狭間に立って、それにどう対応していくかが、教科書関係者の今後の課題である。(172ページ)
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