ワン・モア・ケンジ。
『雪渡り』
自分の地元では雪はほとんど降らないので実感ができないが、豪雪地帯では、畑も野原もすべて雪に覆い隠され、多様な地形を“平地化”させ、どこへでもいけるようになるのだという。これがタイトルの雪渡りである。
岩手県出身の宮澤賢治は、地元をはじめとする民俗学的な伝承に詳しく、その知識は『鹿踊りのはじまり』など、自身の作品に様々な形で取り入れられている。
本作も同様で、研究者によっては、この童話に出てくる銀世界を黄泉の国のメタファーと捉えたり、民族伝承においてキツネは神の使いだから、作中の鏡餅はうんぬん・・・と難しく解釈しているが、個人的にそれらはただの自己満足的な深読みであるようにも思える。
童話が寓話的要素を持つということに異論はないが、まずもって童話とは対象のこどもたちが楽しめるようにシンプルにつくられているものであり、ディティールの深読み(たとえば『やまなし』の「クラムボン」など)は、本編のおまけ要素に過ぎないと考えるべきであろう。こどもは知識ではなく直観で鑑賞するのである。
また、宮澤賢治は民俗学とともに自然科学にも強い点(農学を教えていたこと)を見落としてはならない。つまり、普遍性、客観性と、実証主義の重視である。
宮澤賢治作品が、しばしばローカルな農村を題材にしながらも、国家的ナショナリズムを超越し、普遍的なヒューマニズム、コスモポリタニズムを感じさせるのは、その視点のためであろう。
これは、しばしば偏見や思い込みを生む、民俗学的な伝承と対極的な視点で、主観と客観のバランスの良い両立こそが、宮澤賢治作品の真骨頂だと私は思う。
作中における偏見とは、童話や伝承におけるキツネの「人間をそそのかし、化かす」といったネガティブなイメージである。
『雪渡り』のキツネの子ども(紺三郎)は、「キツネの子が出すダンゴはウサギのフン」と言う主人公の少年に丁寧にこう嘆く。
「いヽえ、決してそんなことはありません。…私らは全体いままで人をだますなんてあんまりむじつの罪をきせられてゐたのです。」
さらに、少年が「そいぢゃきつねが人をだますなんて偽(うそ)かしら。」と言うと、「偽ですとも。けだし最もひどい偽です。だまされたといふ人は大抵お酒に酔ったり、臆病でくるくるした人です。」と、キツネは人をだましてはおらず、すべて人間の方が勝手にだまされたと感じていただけだという衝撃の事実を告白する。
そのキャラ造形は、自分たちの種族のネガティブなイメージを払拭しようとミーティングを行う『ファインディング・ニモ』のサメたちのように愉快でコミカルである。
もちろん、この時点では紺三郎の弁解はキツネサイドのブラフである可能性があるのだが、人間の子と、キツネの子、さらにどちらも三男坊だったり四男坊だったりと、彼らの中で不思議な親近感が生まれつつあり、最初のキツネの提案を少年が断ったのも、相手の心理の読み合いなどではなく、純粋におなかがそこまで減っていなかったのだろう。
実際、キツネの子たちの幻燈会(人もキツネも11歳までしか入場できない!)に呼ばれた少年は、世間一般のキツネのイメージよりも、目の前にいる紺三郎の言葉を信じてキツネのダンゴを口に入れるのである。
そこに見られるのは、種族を超えた友情と科学的実証精神に他ならない。このエンディングのすがすがしいカタルシスには、民俗学的な深読みは野暮というものなのである。
宮澤賢治は、閉鎖性を持つ伝承の世界に、理性の光という近代的なエッセンスをあえて加えることで、ドラマ性を高め、新感覚の童話を構築したのである。
ステレオタイプを鵜呑みにせず、まず自分自身で思考し、体験し、確かめてみることが、相手との信頼を築くのであるという、その教訓は、情報化社会に生きる私たちにとっても重要な示唆を与えてくれるに違いない。
『やまなし』
クラムボンの正体が気になるとドツボにはまるエピソード。
水面に見える光だか泡だか知らないが、たかが沢ガニの戯れ言である。
重要なのは幼い沢ガニブラザーズがそれを美しいと感じていることであり、美しいものに意味を求めてはいけないというケンジの教訓である(本当か?)。
さて、チャプター2では季節が変わり冬(やまなしが実っているので秋説アリ)になるが、成長したカニ兄弟の口から「クラムボン」というワードは出てきていない。
やはり、ちびっ子特有の見立て遊びだったのかもしれない。そして、今度は「泡」ってはっきり言っちゃってる。・・・泡な気がする。
ちなみに、クラムボンの仮説で一番笑ったのは「クラブ(カニ)・ボンバー」説ね。マイケル富岡氏の揚げ玉ボンバーに匹敵する珍ワードである。
『氷河鼠の毛皮』
初見の読者を恐怖と混乱に陥れた『注文の多い料理店』同様、スポーツ感覚で必要以上に動物を殺すハンターは、ケンジの仏教的モラルにおいては容認できない存在らしい。
幸い、若者の「おまえらが魚を捕って暮らすように、俺たちも毛皮を獲らないと暮らしていけないんだ」という機転で、一触即発の事態は免れたが、やはり己のつまらない欲や見栄で殺生をしてはいけないのである。
余談だが、そんなハンターも近年後継者が減り、高齢化が進み、森の動物を上手く間引けなくなっているという。ニホンオオカミが滅んだ今、森の生態系の調整弁として、こうした自分の必要以上に動物を殺すハンターが必要とされているのは、なんとも皮肉である。
そういえば、自分の祖父もハンターで、足跡の形や経路から獲物の種類や行動パターンを推理していて、幼心にかっこいいと思っていた。
『グスコーブドリの伝記』
両親を失った少年が森でたくましく生きる『ロミオの青い空』みたいな話なのかなと思ったら、途中からにわかに地学分が上がり、ラストはまさかのアルマゲドン。
近年めっきりみない、学者ってかっこいいなって思わせる作品でもある。私もそんな物語を提供したい。
ちなみに、本作の挿絵はあの棟方志功で、また、プロトタイプの『ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記』では、同じような境遇で育った主人公が裁判官となり慢心する。全然違う!
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