『暴走する能力主義―教育と現代社会の病理』

 著者は東京大学の教育学者の中村高康さん。

 人間力とか、生きる力とか、主体的・対話的で深い学びとか、豊かな人間性とコミュニケーション能力とか、コンピテンシーとか・・・
 考えてみれば、そういったすごい抽象的な能力を、さもこれからの時代に必要な新しい力として学習指導要領は要求するけど、そういう力って、そんな未知の能力なのか?昔から求められていたのではないか?
 そして、だとしたら、なぜ現代社会は、そういったありきたりな能力を、さも新語のように繰り返し求め続けなければならないのか?これこそ、後期近代(現代社会をポストモダンではなくモダンの延長だとする立場)特有のある種の病気なのではないか?
 簡単に言うとそんな内容の本。

 冷静に考えてみれば、これだけ変化が急激で複雑な社会の中で、どのような能力が将来必要になるかということを千里眼のように見通すことができると考えるほうがどうかしている。(233ページ)

 確かに、こういうのって文科省に限らず、政治家なんかもそうで、ああいう立場の人たちってありきたりな内容をあえてカタカナにして得意げにしゃべるよね。アジェンダ(議題)とか。ダイバーシティ(多様性)とか。レジーム(体制)とか。サステナビリティ(持続可能性)とか。
 コミュニケーションなんかは、もともと日本になかった言葉だから許すけど、前述のこいつらは日本語でも言い換えられるのにカタカナだもんな。英語できない奴を馬鹿にしているとしか思えん。
 つまりさ、個人的には、こういうことだと思う。本当にクリエイティブだったり真新しい概念なんかはさ、こういう立場の人は考えられないし(真面目な人が多いし)、仮に考えられたとしても、本当は必要としていないんだと思う(リスクが高い)。
 でも、なんか新しいこと考えてますよっていうポーズはしないとさ。税金泥棒とか言われちゃうからさ。リスクが低い反面、保守的で陳腐なアイディアを・・・綺麗に包装し、プラスチックの弁当箱にペタンと貼り付けて、それをガンガン売りつけるだけだ!(※黒づくめの数学者が乗り移った)

 ちなみに、個人的に一番むかつくカタカナ語はコンピテンシーかな。そんな単語言われても、恐竜のコンプソグナトゥスしか頭に浮かばないからな。

 あと、108ページからのローゼンバウムのトーナメントモデルが面白かった。

 「企業内の昇進の過程で、いったん昇進競争から遅れを取ると、以後は競争から除かれ、勝ち上がった人たちの中で次の昇進競争が行われる、という昇進パターンを示すものである。」
 「このトーナメントモデルは(略)能力論にも示唆的な内容を持っている。トーナメントで敗れた場合、その人物の能力を「そこまで」という形で定義づけるメカニズムも内包しているからである。」
 「つまり、その後彼らがどれほど努力しても、またそれまで示していなかった潜在能力を開花させても、はたまた営業成績を上げたとしても、次の競争に参加できにくい構造である(略)」
 「あの人は、いまは頑張っているけど前回昇進できなかったということはやはりなにか劣っているところがあるのだろう」といった形で、トーナメントの結果がその人の能力の値踏みに使われてしまう。」
 「言い換えれば、トーナメントの構造が能力の定義を事後的に作り出してしまうということなのである。「能力の社会構成」。ローゼンバウムはその現象をこのように命名した。」

 このローゼンバウムのモデルは、階級やホワイトカラーかどうかに固着する欧米の社会学ではマイナーなのだが、学歴主義の日本ではかなり大きな興味が持たれたという。

 「この学歴主義こそ、いったん学歴獲得競争で勝ち上がったものに対して能力の下限を定義し、その後の就職活動や昇進競争という(入試競争とはずれた場面で)「真の実力」以上の過剰な能力評価が与えられるという利得増幅効果を生み出す当のものなのである。(112ページ)」

 その上で、日本の学歴が能力の指標になるには、いくつかの条件があると著者は指摘している。

①学歴獲得過程が広く開かれていること(教育拡大=進学率上昇)。
②学歴獲得のプロセスが能力測定手続きとして、社会にとって説得的なものになっていること(同じ問題を同じ時間内に実施)。
③測定される内容がその社会にとって重要だとみなされていること。


 これらを満たせば、暫定的なメリトクラシーの基準として社会に受け入れられ、いったん受け入れられた選抜の結果は、その文脈を外れても一定の効力を発揮するという。
 こういった機能が現実問題として存在するならば(すると思うけど)、子どもが「勉強なんて社会の役にたたない」とうそぶくのは、それこそ社会を知らない見当はずれの戯言ということになる。
 いや、逆に、そういった残酷な社会の現実(トーナメントモデル)を肌で感じながらも(親が苦労している姿を見ていたりして)、でも建前や偽善をうそぶく学校の教員に苛立ちを覚え、あえて挑発している可能性もありそう。

 いずれにせよ、敗者に優しくない社会ってのは、健全ではないと思う。私なんかも学生時代に大きな病気をしちゃったからさ。
 身体的な障害でもいいけど、こういう病気やケガなどのハンディキャップが犯罪歴のように社会で評価されちゃう現実は結構辛いものがあるよな。仕方がないところもあるんだろうけど。
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