大きな物語と小さな物語に優劣関係はない

 コラムでポストモダン思想をとりあげたんですけど、大きな物語の視点よりも小さな物語の視点を現代人は持っている事は私も同感なんですけど、別に私は小さな物語を否定はしていません。
 ただ「大きな物語だって同じくらい面白いよ」ってだけです。だいたい国家や社会のことを考えても、日常の些細なことを楽しんでも、同じ一個人が考えることには限度があるし、やっていることはほとんど同じだと思うんです。例えるならば、肉も美味しいけど、魚も美味しいよっていう話なわけで。

 で、大きな物語を持つとなんかいいことあるのかな?って考えてみたんですけど、想像力は豊かになるんじゃないかと思うわけです。
 小さな物語は日常を感覚的に生きてるだけでもいいけど、大きな物語はある程度の知識が必須だから、いわば知性を鍛えることと同じだと仮定すると、小さな物語=感性、大きな物語=知性と(かなり強引に)定義できて、その二つの物語を極めることで想像力に昇華するんじゃないかと。勿論これはH・リードの芸術論の引用です。

 さらに「想像力って別に想像性を使う仕事につかなきゃいらないじゃん」て言う人もいるかもしれませんが、想像力ってけっこう人生を円滑に進める上で必要だと思います。
 いろんな視点で物事を考えられるから、人にやさしくもなれると思うし。でもそれには相手も想像力や広い視野が必要になるんですけど…

 この前「視野が広くても別にいいことないですし」とか書きましたけど、確かに自分にとっては虚しくなるだけであまりいいことないけど、人に対しては大切なんじゃないかと思いました。
 私は人に対するやさしさって、ある種の冷静さなんじゃないかと思っているので、客観的な知性ってやっぱり重要だと思います。
 一見いい子で大人しい子が、カッとなって人にとんでもないことやって「全然そんな風には見えなかった」っていう話も、視野の拡大不足なんじゃないかと。

 まとめるならば、私は「サブカル」を否定しませんが、「サブカル“だけ”」は問題なんじゃないかと考えているのだと思います。
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