映像か脚本か

 「○○ファン」というのは哀しいもので、映画に○○が出ているとなんだかんだ言って見に行っちゃうんですよね。
 私も恐竜ファンなのですが『ジュラシックパークⅢ』は正直イマイチだったんです。でも結局映画館に見に行っているわけで。悔しいよ、あたしゃ。
 『アリス・イン・ワンダーランド』を見に行ったジョニー・デップ、ティム・バートンファンもそんな感じに思っているのではないかと思います。でも観にいっちゃうよね~と。

 そもそも私は映画を見る時に話の構造を分析する癖があって、これがかなり損な見方をしているのではないかと思っています。「もしかしたら私は純粋に映画を楽しめていないのではないか」と。
 『アリス・イン・ワンダーランド』は、そこまでつまらないものでもなかったんじゃないか?なんだかんだ言って私が勝手に期待しすぎただけなのではないか?そんな反省が今私の心を駆け巡っています。
 それに一緒に見に行った人はけっこう満足したらしく、私が「ちょっと話はあんまりだったよね」と言ったら「私は話を追っていない」と。
 私にとってこの発言は衝撃的(「えええ!?」)なんですけど、映画の見方なんて人それぞれだし、映像美で満足する人だっているのは驚くことじゃありません。じゃなければ美術館は絶滅です。

 ただ世間がそれを求めているのか、制作側が求めているのかは知りませんが、現在すさまじい進歩を遂げた「映像」が「脚本」というロジックを脅かしているように思うのです(映画のすべてではもちろん無いですよ)。
 「映像」は言ってしまえば「科学の申し子」。カメラやコンピューターの発展によって、どんどん進化していきます。
 しかし「脚本」は科学でどうにかなるわけではない。それは「空手の型」のようなもので作者の地道な修行によってのみ、質の高いお話は作られるのだと思います。

 そんな問題に対して脚本を上手い具合にマニュアル化したのが、ハリウッド映画だと思うのですが、それでもみんなが楽しめるお話と言うのは突出した個性を摘み取ってしまうことになるので(冒険が出来ないから。特に製作費が莫大だと)「そこそこ楽しい話」になってしまう。でも安心して見れるのはいいんですけど。

 クリエイタ―と言うのはそう考えると、とても大きなジレンマで苦しんでいるんでしょうね。良くも悪くもプロなので、なるべく多くの観客を呼び込むことが最優先。
 その為には面白い話を描くのはもちろんですが、宣伝も大きな要因の一つとなります。「宣伝が過剰なのは内容のつまらなさを補う為だ」と痛快なことを言う人もいますが、確かにいいものを作っているだけじゃ売れないってのはありますよね。
 まずはその作品を知ってもらわなければ、見ても貰えないわけで「面白い、つまらない」もないから。

 ただ理屈っぽい私としては、映像の進歩に目が行きがちな今こそ脚本を応援したいのです。絵が下手でも話に引き込まれる漫画はありますが、私にとってその逆はないと思っていますから。
 頑張れ脚本!私ももっと独創的で面白い話が考えられるように頑張ります!
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