過去を使って未来を中和

 vicさんの『ジュラシック・パーク』論を読んでいて、ふと思いついたことを。

 これは勝手な想像なんですが、原作者のクライトンさんがなんで恐竜を使ったかっていう理由が解った。遺伝子工学への警鐘だけなら別に恐竜じゃなくてもいいわけで。クローン人間の話でもいいわけで。ミュータントタートルズでもいいわけで。

 おそらく大むかしの動物である恐竜を使うことで、作中のテーマ進歩主義への批判を際立たせたかったのかな、と。
 進歩主義(=近代合理主義的な科学観)に基づけば「昔=劣っているもの」「未来=素晴らしいもの」というかなり直線的な価値判断になります。
 だから恐竜ルネサンス以前は恐竜を「今の動物よりも愚鈍だったから絶滅した」とバカにしていた。

 でも恐竜を実際に現代に蘇らせてみたら、今の動物と振る舞いはほとんど変わらず、むしろでかい分強かったわけで(人間を騙すほど賢いのもいた)人間を恐怖のズンドコにたたき落してしまう。
 vicさんが指摘する『ジュラシック・パーク』の過剰な恐怖演出は「昔=劣」とバカにする進歩主義の愚かさ?への皮肉かもしれない。

 これとは逆にマルカムは、80年代当時には素晴らしい未来の技術であるとされた「遺伝子工学」や「コンピュータネットワーク」をケチョンケチョンに批判する。そんな技術大したものじゃないと。ネットなんてまだ一般普及してない時代だぜ。なのにもう批判しているw。つええ。はええ。
 大体科学が進歩するにつれて生活が豊かになっていくならば、なぜ労働時間は現代の方が全然長いんだ、と原作では突っ込んでいる。

 この意見は別に『クレヨンしんちゃん モーレツオトナ帝国の逆襲』のように「だから昔は良かった」的なことを言いたいわけじゃない。
 じゃなくて「昔=劣っている」「未来=優れている」というのはかなり短絡的な価値判断だよって言うことを伝えたくて、進歩主義がバカにする「過去」を持ち上げ、進歩主義が素晴らしいとする「未来」を批判したんだと思う。これでやっと五分五分だろ、と。

 だから『ジュラシック・パーク』って昔も未来も今とあんまり変わらないよって言う、極めて構造主義的なテーマの映画だったように思える。
 う~んやはり原作小説は思想書としても面白いな。
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