10.進化論の父ラマルク

 まずはとりあえず「進化論」を考えたラマルクから詳しく紹介していこう。ここで「あれっ?進化論ってダーウィンが考えたんじゃないの??」と混乱する人もいるだろう。

 はっきり言ってそれは違う。進化論をはじめに考えたのはラマルクで、ダーウィンは進化がどのようにして起きるか、そのメカニズムの合理的なモデル「自然選択説」を考えただけにすぎない。
 この自然選択説は今なお進化のドグマとして輝いているが、その偉大な功績もラマルクが進化という枠組みを考えてくれたからこそである。
 もっと言えばラマルクが1809年に『動物哲学』を発表する以前にも、生物進化にたどり着いていた人はいただろう。例えばラマルクの師匠ビュフォンがそれだ。

 しかし個別創造説が常識で、世界は水、火、風、土の4大元素でできていると信じられていた当時のフランスで「進化」を堂々と発表した、ラマルクの勇気リンリン具合はアンパンマン並だ。

 ではここで、ざっとラマルクの人生を追ってみよう。

 ラマルクは1744年に北フランスの貴族の家に生まれた(BGMは甲子園球児の紹介のテーマで)。親の影響で神学をバッチリ学んだラマルクは、父の死をきっかけに自分の夢だった軍人を目指す。
 「オーストリア、フランス、ロシア」対「プロシア、イギリス」で勃発した「七年戦争」ではイギリスに劣勢を強いられるものの、「MOTHER2」の「フライングマン」の如くよく戦い将校に昇進する話もあったという。
 しかし病気に倒れたラマルクは軍を退役。パリに行って今度は医者を目指す。

 知的好奇心旺盛なラマルクは医学を学びながら気象学、植物学も学び、彼の処女作『フランス植物誌』がビュフォンの評価を得て、ラマルクは科学アカデミーのメンバーとなった。
 ラマルクの恩師ビュフォンは彼を王室直属の植物学者に推薦。ヨーロッパ各地を飛び回り王立陳列館(革命後のパリ自然史博物館)に植物の標本を集めた。
 この時フランス革命がおこり、貴族の窮屈な暮しにいい思い出のなかったラマルクは貴族の称号を自ら捨ててしまった。

 とはいえ1793年にはラマルクはパリ自然史博物館の動物学教授に任命。着々とキャリアを重ねていった。ここでラマルクは植物ではなく無脊椎動物を研究、その分類に大きく貢献した。この経験が『動物哲学』につながったことは言うまでもない。
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