『アフターマン』のリアリティとは?

 未来の地球環境が一体どうなるのか?その姿を予測するのはコンピューターシミュレーションでもまだまだ難しいと言います。なにしろ天気予報ですら明日の天気を完全に予測するのは根本的に不可能なので・・・(未来になればなるほど予測が不可能になる)
 とりあえず地質学的な過去のデータを用いて想像して見ると、太平洋がどんどん狭くなっちゃってアジアとアメリカ大陸がぶつかり太平洋は消滅するとかそんなようなことは分かるそうです。

 しかし問題は動物たちの未来です。一体これからどんな進化をするのか?人類が絶滅した後の未来の生物を取り上げた『アフターマン』と言う有名な図鑑がありますが、私はこの本がけっこう好き。
 ウサギがその繁殖力を生かして巨大化してシカみたくなっちゃったり、コウモリの孤島では牙だらけの巨大な肉食性コウモリが脚を手に、手を脚のようにして闊歩しています。

 ファンのなかには「この本は思考実験と呼べるものではなくただのSFだ」という方もいるのですが、私はそもそも「SFとは思考実験である」と考えているので、問題はその科学的なリアリティの度合いなのでしょう。
 つまり学術的な客観的思考実験がいわゆる「思考実験(コンピューターシミュレーションなど。とはいえこれも誤差が多い)」であり、それよりも作者個人の観念のウエイトが多い主観的思考実験を「SF」ということにすれば納得ができますが、私はどちらも結局思考実験なのでそれらを区別はしない、というスタンスにさせてください。

 で、私はこの『アフターマン』は一見荒唐無稽に見えて、なかなか興味深いSFではないだろうか、と思うのです。「この本に出てくる動物はリアリティがなく不気味で美しくない。つまり現実にいそうにない」という意見もあるのですが、この意見は私も半分くらいは分かるのですが、私が思うに、この本に載っている架空の動物以上に不気味で醜く気持ち悪い生物は現実にもたくさんいるので、なんとも言えません。

 こんな話があります。博物学者の荒俣宏さんはスティーブン・J・グールドの『ワンダフルライフ』を読んだとき、カンブリア紀の動物のデザインにそれほど驚かなかったそうです。
 例えば私が中学生の頃にギャグ漫画に取り上げた「オパビニア」という動物がいるのですが、この動物が最初に学会で発表された時、あまりに荒唐無稽なデザインをしていたために、会場は爆笑の渦に包まれたそうです。もちろんプロの学者の学会で、ですよ。
 しかしそんなオパビニアですら荒俣さんは「まあ、いただろうな」くらいのリアクションだった。実は荒俣さんは『ワンダフルライフ』を読む前に、たまたま深海に住むクラゲかなにかの分類をしていて、その造形がカンブリア紀の動物以上にめちゃくちゃだったから、免疫ができていたわけです。

 さらにもう一つのポイントは、未来の動物図鑑である『アフターマン』の動物は写真ではなくイラストで紹介されているということ(現実にいないので当たり前ですが)。
 だからプリニウスの『博物誌』みたいに、実際に存在する動物を絵にした時に失われる「動物としてのリアリティ」が欠損している可能性があります。
 私たちが動物図鑑のイラストでリアリティを感じるのは、リアルの世界の動物園でアフリカゾウ御本人に出会っているからです。私たちはゾウを現実に見ているので、自分たちの記憶のイメージを用いて、動物図鑑のゾウのイラストの欠損部分を補完しているというわけです。
 でもナイトストーカーもコモンラバックも残念ながら私たちは見たことがない。ディクソンさんの想像の産物だから。でもナイトストーカーが仮にいたらいたで私たちはそれを認識するしかない。事実には勝てない。まあいないんだけど・・・

 これに近いのが恐竜の復元イラスト。昔のイラストに比べればかなり現実にいそうな感じに復元画も進歩したけど、結局ご本人が存命じゃないから答えを永久に解らない。多分。
 どれも結局のところ絵だからとどのつまり『博物誌』。どんなに絵が上手い人が描いてもそれなりに『アフターマン』になっちゃっている。これは絵心のある人の方が顕著だ。美術的な美しさとか表現とか観念にいっちゃってリアルと乖離してしまう。
 細かいところまで意識を集中して描いているからこそ、動きが死んで静止画に見えてしまう。今の写真のような絵の漫画も(って写真をトレースしているだけなんだけど)みんなこのパラドクスに苦しんでいるように思える。

 どんなにモチーフに忠実でも、それを絵にした時点で事実は作者の主体によって圧縮されたり情報が取捨選択されたり捻じ曲げられてしまう。
 そして芸術家は結局のところ己れの観念を表現することしかできない。自己と言う死ぬまで出られない檻の奥深くへ落ちていってしまう。
 恐竜の復元画ははっきり言って科学なんかじゃ決してない。良くも悪くも作り手の思考実験であり、文化なんだ。
 
 最後に私が大好きなたけしさんの言葉を。

 自然ってのは、人間の創造力の源泉だからね。たとえば子供に「見たことのない動物の絵を描け」といっても、その絵はどこかに実際に存在する動物に似ているわけ。そうでもないものを描いたら、それは動物とは見なされない。人間は創造力で無から有を生み出すことができるなんて勘違いしているけど、結局は自然界に存在するものをアレンジすることしかできないわけだ。
 だからこそ、自然界のことを学んで、その仕組みを知る必要がある。何か一つ真実がわかれば、そのぶんだけ人間の創造力も広がるってこと。もし人間の創造力が無限にあるとしたら、それは別に人間にもともと備わっているものじゃない。自然界にわからないことが無限にあるから、人間の創造力も無限の可能性を秘めてるってことじゃないのかな。『たけしの万物創世紀』はじめに
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