太田光VS宮田亮平

 この放送「爆笑学問東京藝術大学編」はもうずいぶん前に見て、かつてコラムでも取り上げたのですが、まだ喋り足りなかったのか再びいろいろツイートしちゃったのでここにまとめておきます。

 「爆笑学問」太田光のベストバウトはやっぱり東京芸大の学長の回だろう。あの芸大の学長のスタンスは本当腹が立ったし太田さんはよくやってくれたと思う。
 名作ですよw伝えることの限界を論じ、それを放棄した感じの学長、そしてそれを絶対あきらめない太田さん。全然かみ合わなかった。太田さんは理系分野の回だと頓珍漢な事言うけどこの回は痺れました。

 芸術家ってなんでこう・・・言葉を軽視しがちなんだろう。夏目房之介さんが指摘していたけど、自分の思いを言葉でうまく伝えられない人が絵や漫画をやっているって言うのはあるんだろうね。
 例えばうまく言葉にできない抽象的な感情があっても人類の歴史ってそれをなんとか言語化ないし体系化しようとしてきたわけじゃないですか。それを別にいいや、もうそういう時代じゃないよって東京芸大の学長が言っちゃっていいのか。あまりに短絡的だ。
 「伝わらなかったっていうのもいいんだ」ってこいつ自分に言い聞かせているだけだと思うんだよ。内心こいつが一番それが許せないんじゃないか。だからそうやってニヒルなふりをしている。哀しい。あまりにも。

 つまり多くを語ってしまいがちな太田さんのスタンスでやっといくつか伝わるかどうかだと思うんです。世の中って。それくらい表現って難しいし厳しい。
 「考える前に手を動かせ。」そう言う人は芸大によくいる。だが物語を構成する時も脳内の思考の「のみ」で一心不乱にプロットを削り出している。だから一見ロジカルな脚本も理屈だけじゃ作れない。
 本当に自分が伝えたいことは言葉にできない。当たり前だ。でもその現実を前に死ぬまであがくのが表現者じゃないのか。
 全然作り手が意図していなかったところで相手が受けたりするのは、私中学生くらいから知ってたもん。で「それも作り手は認めるべきだ」って、そんなの40過ぎまで認められなかった方がおかしいよ。
 自分の作品がどんな形にせよ相手の心を動かした。それだけでいいじゃないか。で、それですら現実ではめちゃくちゃ難しい。だからこそ「伝えたい」という思いは常に必要なんじゃないか。

 彼は学生の作品に対して「まだ言葉が多いね」と言う。おそらく“意味”に縛られているということなのだろう。人はそこに意味を求めがちだが、その意味性を全て取っ払って残るものとは何か。つきつめれば人間の創作活動そのものが自然、もしくは世界内存在の世界において「蛇足」になってしまう。
 また太田さんの物言いは確かに腹立たしいが、怖くて誰も言えないことを言ってくれた。つまり「これ」って意味あるのって?それにカチンときて上げ足とっただけな感じがする。

 「太田さんは言葉が多い。最後だけでいい」って言うけど、太田の伝えることに対する熱い思いがあってはじめて最後の一言まで口から出たのだとしたら、雑多な部分にも意味がある。つまり「考える前に手を動かせ」と一緒で彼は「考える前に言葉を乱射している」のだ。
 芸術表現は洗練しシンプルなものにすべきだという意見もあるが、泥試合だってある。二通りあったっていい。全部ブランクーシじゃなくったっていい。

 そして学長の言う「時空の違い」をふまえるならば時空を経て洗練されているのは間違いなく数学と言語だと思う。とんでもなく抽象的だから有史以来使われ続けている。それなのに言葉を軽視?する学長。いろいろ矛盾している。

 言葉はいらないなら沈黙して作ってりゃいいじゃんねw私は言葉で何かを伝えようとするのも好きだから喋り倒す。うざし。

 あと読み手と作り手の精神性に大きな隔たりがあることを痛感した。現代はプチクリで読み手が作り手を兼ねると言うけどなかなか難しいぜ。
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