『超思考』

 たけしさんは「俺の言っている事はその場の思い付きだから内容がコロコロ変わる」と『超思考』で述べていたけど、まったくぶれない点がある。それが笑いとは本音と建前の落差であるというお笑い哲学だ。これはどの本でもずっと同じ。

 この定義が『超思考』では、より具体的に言語化されていて、「本音」というのは人間の本能(アニマリティ)、「建前」は人間社会が歴史の中で構築した第二の本能(社会的な了解事項)というわけだ。

 そして現代はその落差がなくなったり、落差を落差と感じないような社会になっている。そんなことを嘆いているような気がする。だから笑いが分からない。笑うところで笑えずに逆上したり正論言ってクレーム付けたりする。笑いなのに。

 政界のどたばたもAKB旋風や萌えブームもみんな真剣に考えている。みんな真面目だなあって思う。あんなの笑ったもん勝ちな気がするけど、それを言うと叩かれる。でもアレ以上のギャグはない。

 笑うことも、他の動物を無慈悲に殺して食べることも、ウンコすることも、死ぬことも動物的な本能だったり定めなんじゃないか。現代はそれをタブーにして蓋をしてしまう。だから笑いという落差が構築できない。

 で、そんなことしたって笑いや食欲、死からは逃れられない。絶対に逃れられないならうまく付き合った方がいいに決まってる。見て見ぬふりするより、その事実を受け入れて死んでいった方がいい。

 私は中学時代のあだ名が「バカ田代」だったんだけど、不思議と傷つかなかった。それは「バカ」が軽蔑的に使われていたわけじゃなかったからだったように思える。使いようによってはバカも悪口ではなくなる。愛すべき褒め言葉だ。

 だから私はたけしさんもバカだっていう。あんな歳であんな才能があるのにまだあんなくだらないことやってる。バカだなあって。 バカとハサミは使いようって言うけど、バカという言葉自体も使いようなのかもしれない。

 バカに生まれちゃった以上、バカを受け入れるしかない。ならばむしろそれを逆手に取ってカッコいいバカになればいいんじゃないか。カッコいいバカ・・・なんかかっこいいじゃんwそんなかっこいいバカが今少ないのかもしれない。

 最後に私が気に入った「第六考 夢を売るバカ、探すバカ」「やりがいを感じないのはチャンス 64ページ」から抜粋。

 眠っている才能なんてものはない。才能はあるかないかのどちらかだ。自分が本当にやりたい仕事はなんだろうなんて、考えなきゃいけないってことは、やりたい仕事がないと言うだけのこと。
 探しているのは、自分が本当にやりたい仕事なんかじゃなくて、楽して稼げる仕事なのだ。そんなものがあるわけない。そんなものがあるわけないのに、さもありそうなことを言って、ニートを増やし、若者を安い労働力として使っているのが、今の社会の構造だ。

 (略)

 仕事の本当の面白さとか、やりがいというものは、何年も辛抱して続けて、ようやく見つかるかどうかというものだろう。最初から簡単にできたら、面白くも何ともない。

 (略)

 その仕事のやりがいを、金で買おうとしてはいけない。自分に合った仕事を探すという考え方がそもそもの間違いだ。おなかの中の赤ん坊が「自分に合った世界に生まれたい」なんて考え始めたら、この世に生まれてこられるわけがない。仕事を探すのだって同じ。仕事を自分に合わせるのではなく、自分を仕事に合わせるのだ。

 (略)

 気が進まないくらいの方が、いろんなことがよく見える。どんな仕事だって、誰も気づかない盲点というものがあるのだが、そういうものに気付くのは好きでたまらない人間よりも、むしろちょっと引いたところから眺めている部外者だ。
 もし今の自分の仕事にやりがいを感じないとしたら、それは不幸なことではなくて、むしろチャンスなのだ。自分はこの仕事を冷静に見る目を持っていると思えばいい。冷静に考えれば、どんな仕事であろうとも、今よりは面白くできる。
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