『マイクロワールド』

 記念すべき700本目の記事はマイクル・クライトン先生が贈る最後の大冒険!

 翻訳者の酒井昭伸さんのあとがきが泣けた。『ジュラシック・パーク』以来クライトン作品の翻訳をやってきましたがこれで最後になりました・・・くうっ、本当お疲れ様でした!

 2008年に亡くなられた先生の遺作は『ネクスト』だったんですが、その後、先生のパソコンに書きかけの小説のデータが残っていることが分かり、そのひとつがカリブ海の海賊の話、もう一つがナノテクを題材にしたテクノスリラーって発表されていた。
 私が気になったのは後者の「ナノテクを題材にしたテクノスリラー」って方だった。

 知っての通りクライトン先生は同じ題材の小説を二度と書かない。ナノテクは一度『プレイ』でやっちゃったから、それは『プレイ』の第二案とかなんじゃないの?とか思っていた。
 しかし最後に公開された「ナノテクを題材にしたテクノスリラー」は『プレイ』とはまったく異なる世界の話だった。

 最初に感じたのはこれは逆ジュラシックパークだ!ってこと。
 ご存知のとおりジュラシックパークでは馬鹿でかい爬虫類の怪物に学者たちが襲われたわけだけど、同じようなシチュエーションを恐竜や架空の怪獣を使わずにリアルの世界でやれる方法を先生は思いついたのだ!(いや正確にはずっと昔に思いついていたらしい)

 あ、ガリバー旅行記をやろう。と。

 この手のシチュエーションは、まあ『ミクロキッズ』とかでもあるし、最近では『借りぐらしのアリエッティ』とか『ナイトミュージアム』のイーハーでもやってる手垢のついたガジェットなんですが、ちょっと待ってくれ。
 そんなベタなガジェットでも調理の仕方によってとっても新鮮なものが書けるんだって!

 オレたちみたいな凡才は巨大な怪物を出すときに、ウルトラマンとかゴジラとかを真っ先に考えちゃうじゃん。
 でもそういった「作り物」よりも、もっと怖い怪物の世界がある。それは実際の自然界だ。それも身近でありながらあまり目に止めない世界。昆虫や土壌生物の世界。

 よくよく考えたらこの地球は「節足動物の王朝」って説がある。種の数も数え切れないほど多いし。
 ならば貧困な想像力で嘘くさい怪物を作るんじゃなくて、実際にいるおぞましい習性を持つ昆虫をそのまま出してしまえばいい。人間の方を縮めちゃって。
 そしてそこで繰り広げられるのは仁義なきスターシップ・トゥルーパーズ!

 すげえ!宇宙戦争やらなくてもスターシップ・トゥルーパーズってできるんだ!ってもう大感動。最後の最後までその発想に驚かされました。

 いや本当に、身長2センチにされた哀れな大学生に襲い掛かるのはスターシップ・トゥルーパーズのアラクニドに匹敵する――というかあっちがパクったんだけど、実在の節足動物たち。
 最近は写真の精度もあがってすっごいアップの昆虫の写真とかあるじゃないですか。それこそハチやクモの表面に生える毛の一本一本までわかる高解像度の拡大写真。
 あの大きさで連中が人間に襲い掛かってくることをちょっとリアルに考えてみよう。悪夢そのものじゃないですか?人間様がちっぽけな虫けらに殺される皮肉。

 クライトン作品に通底しているのってなんというか「人間の傲慢さ」の批判なんだよね。本書にも書いてあるけれど、環境保全も環境破壊もどっちにしろ人間はこの地球で虫けらのようにちっぽけな存在だという事実を認めたくないだけ。
 実際にはちょっとした自然災害になす術なくやられちゃうんだけれど、そういう無慈悲な世界にかろうじて「平和で豊かな世界的なもの」を作って生きている。
 
 例えば生物多様性や生態系の保全を訴える人たち。まあそれはいいんだけれど問題は我々がどれだけの生物や生態系に関するデータを持ち合わせているかだ。
 一説には、というか事実なんだけれど、研究者も結局は人間だから爬虫類とかよりも感情移入しやすい哺乳類や鳥類を研究する人の方が絶対的に多いんだって。

 つまり生物全体で考えたとき把握しているデータにとんでもない偏りがあるわけだ。結局、地球や生物の多様性を守ろうって言ってもプログレ系な微生物になんてみんな興味持ってないとは、大学の博物学の先生の愚痴なんだけど(苦笑)、確かにみんな遠い北極にいるクマには感情が動いても、足元で踏みしだかれている土の中にもうひとつの宇宙があるってことには気にも止めない。

 そんな世間の欺瞞をクライトン先生はどうしても嗅ぎつけちゃって皮肉りたくなるようだ(こんなことやってんの日本だとたけしさんくらいだよな)。

 では若い人間は、いかにすれば自然界で経験を積むことができるのか?理想を言えば、多雨林で――あの広大で居心地が悪く、危険に溢れ、それでいて美しい環境で、しばしの時を過ごすことだ。そうすれば、先入観などはたちまち木っ端微塵に吹き飛ばされてしまう。

 本書の書きかけのまえがきでクライトン先生はバッサリ言い捨てる。自然界は両面性がある。理想通りの面もあれば、目を背けたくなるほど残酷で攻撃的で、暴力的な現実もある。
 そんな公平な現実の自然界をちょっとバイオレンス寄りで書いたのが、この『マイクロワールド』なんだろうな。

 とはいえこの小説4分の1しかできてなくて残りはクライトン先生のアイディアのスケッチや集めた資料をもとにジャーナリストのリチャード・プレストンさんが補完している。
 だから、まあ、先生の真意がどこからどこまでなんだかはわからないけど、何も言われなきゃクライトン作品であることに疑いのないくらい雰囲気は踏襲している。

 でも先生がいないから、設定や伏線の回収に困ったものも結構あった感じがして、なかでも一行の冒険になぜかついてきた、デリダやフーコー・・・ポスト構造主義、科学的言語コードを専門とする東浩紀っぽい院生は結局何のために出てきたのかわからなかったw
 メインキャラで唯一この人文系だから『タイムライン』のスターン(こちらは文系パーティで唯一の理系)みたいに、なにか一行の生還の鍵を握っているのかと思ったんだけれど。

 でも意外なキャラがあっさり殺されたり、意外なキャラが生き残ったりするので、勧善懲悪でお馴染みのクライトン作品にしてはけっこう展開を裏切られるかも。いや最後まで読むとちゃ~んといつものクライトン的結末なんですけどねw

 今回とりわけ印象的だったのは、リック・ハターという植物の薬効について研究している皮肉屋。この手の、クライトンのテーゼを(誇張して)代弁するようなキャラはこれまでも『ジュラシック・パーク』のマルカム博士や、『恐怖の存在』のMITのケナー教授とか色々いたんだけど、今回のリックはいつになく嫌われ役なのが面白い。

 もちろんマルカムもケナーも人気者なキャラだったか?って言われれば・・・ガッツリ嫌われてたけど彼らを嫌ってたのは結局悪役で、最終的にマルカムらの言うとおりになって「ほら、みたことか」ってなってたわけ。
 でも我らがリックはなんと悪役ではなく味方パーティにすげえ嫌われている。これはクライトン先生的になかなかメタな変化球で楽しかったw

 あと、サイズ縮小マシン「テンソルジェネレーター」(ようはドラえもんのスモールライトや、『怪盗グルーの月泥棒』の縮ませ光線銃ね)の技術や原理的な秘密も、読んだ感じどうやらもうひとひねりあったっぽいんだけど、そこらへんの謎は先生が天国に持ってっちゃったんだろうなあ。
 でも翻訳者の酒井さんがあとがきで展開した推理はなかなか面白かった。もう20年以上の付き合い(?)でしたもんね。

 さてこの小説、人によっては描写がグロすぎて映画で見たくないっていう人もいるんだけど、現代の優れたCG技術を用いて、前述した美しくも不気味な拡大昆虫写真の世界を映像化して欲しいというのはある。
 特にハチが人間の宿主に卵を産み付けたり、アシダカグモというクモが体外消化で人間を食い殺すシーンはどんなホラー映画よりもグログロなので見てみたいなあ・・・と。
 クモってまずは獲物をウィダーインゼリーのように加工してから食べるんだね。図鑑では「クモは体液をすすります」くらいしか書いてないけれど。
 でもこれホラーの過剰演出じゃないからね。今もどこかで起きてるんだろうな。

 それこそ私の部屋のすぐそこで。
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