ジェンダーと功利主義

 こういった男女問題についての議論の際に、よく出てくる言葉が「セックス」と「ジェンダー」なのですが、「セックスは生物的な性差、ジェンダーは社会的性差」と一般的に定義されます。実際この問題の専門家でも、この定義に従っている事が多いようです。
 しかしややこしいのが「ジェンダー」の語源で、これはそもそも遺伝子をあらわす英語である「ジーン(gene)」と同じく、「先天的な、生まれ持った性別」という意味でもともと使われていました。生物学用語です。
 というか英語圏では、今なおそのように普通に使われています。このようなジェンダ-とセックスの言葉の定義については、森田成也著『資本主義と性差別』に解りやすくまとめられています。
 つまり「ジェンダー」という言葉は、日本ではやや誤解されて一般的に広まっていて、日本で使われるような「社会的な性別や性差」を表す言葉ではなく、「社会や文化における性別の意識、通念の在り方」を表す言葉と考えることが正しいようです。
 よって「ジェンダーという言葉は、生物学的には“性別”を表し、社会学的には“性別に対する社会の考え方”であって、社会によって二次的に形成される性別ではない」ということに留意しなければなりません。

 そもそも社会は人と人との関係性であり、落ち着いて考えれば、そこから性別が生まれるわけはないのです。
 生まれるのは「性別に基づく区別や差別」といった、個別事例を無視した理不尽で全体主義的な乱暴な関係性です。
 私も含めて、人は自身のちっぽけな経験から、つい大雑把に物事を考えがちで「女は~」「学生は~」「団塊ジュニア世代は~」とひとくくりに批判をしてしまいます。いちいち全ての個別事例を確認することは面倒なうえ、不可能だからです。

 言うまでもなく社会制度や法律を考える上で、少数派を切り捨ててしまう考え方は、基本的人権の尊重に反します。しかし議会制民主主義の日本では、多数決によって物事を決定してしまいます。つまり少数意見の切り捨てです。

 そもそも、このような社会の考え方は、ジェレミー・ベンサムの「功利主義」に基づくものですが、これは「最大多数の最大幸福の為に、一部の少数派が犠牲になってもいい」という極めて軍人的な考えに陥る可能性もあります。
 誰か一部の人を不幸にすることによって、大多数の人が救われるのならば、何をしてもいいのかって言う話だと思います。
 例えば「犯罪をすることでしか幸せになれない」という、社会からして見てばとんでもなくおっかない人がいたとして、社会はその人に刑罰を科して刑務所に閉じ込めてしまうでしょう。
 また、恐ろしい病気が流行った時、それに感染した人は隔離されてしまいます。これも大多数の人を救うために、その人の身体の自由をあえて奪っているわけです。

 かなり極端な例をあげましたが、個人の利益と社会の利益は=ではありません。ジェンダーにしろ、法律にしろ、社会について考える時にぶち当たる大きな壁が、功利主義の矛盾だと思いますが、大切なのは功利主義を全否定するのではなく、功利主義の危険性を常に忘れずに、法的な微調整を絶えず繰り返すことなのではないでしょうか?
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