『下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち』

 どいつもこいつも刹那的。

 高校の頃、クラスのガリ勉タイプの子と議論したことがある。「田代は世の中舐めている。お前は授業中も漫画ばかり描いてて好きなことしかやらないけれど、少しは自分の将来を考えて嫌なこともやれよ」って言われたから「でもたった一度の人生なんだし夢のために好きなことやったっていいじゃん。将来のためにやりたくないこと我慢してやって、その将来が来る前に死んじゃったら嫌じゃない?」って返したんだけれど、確かに当時の私は自分の好き勝手に生きてて、やりたいことばっかりやってた気がする。逆に言えば「好き」という短絡的かつ主観的な感情だけで、何かに熱中できたってこと。
 そうやって生きないともったいないと思っていたし、まだ高校生なのに手堅い進路を選んだり、失敗したことを想定してリスク分散しているのは、自分の人生を見限るというかなんかつまらない生き方のように正直あの頃は思っていた。
 将来の夢は安定した公務員ですってなんだよって。おじいちゃんかよって。

 高校の頃そうやって意見が対立したその人とは、その後会ったことがないんだけど、風の噂では大学では博士課程に進んだらしい。で、私は教育学部に行って公務員である学校の先生の免許を取り、今に至るのだけど、どっちが結局クリエイティブな人生かっていったら、どう考えてもリスク分散を怠らなかったその安定志向の子だろう。これはなんとも情けない話だ。
 きっと高校時代生徒会やったりして、好き勝手に自由に生きていた(つもりの)私のほうが、学者になったその子よりも生涯年収はずっと低いだろうし、不自由な暮らしをせざるを得ないということ。自業自得だ、自己責任だって言われれば全くその通り。
 そう、このように、自由意志や自己責任論が大好きで、自分の好きなこと、自分が賞賛されるクリエイティブな仕事(だけが)したい人こそが、それこそ自業自得で下流に流されていくのだ。

 ――このメカニズムを著者の内田樹さんは下流志向と名付けた。
 ここでの「志向」というのは、自分からそこを目指すという意味合いよりも、もっと生物学的な・・・虫や植物が光の方へよれてしまうといった意味合いに近いと思う。下流志向とは意思ではなく構造やシステムの“傾向”のようなものだと考えればいいのかも。
 つまりハタから見れば下流に自ら突っ込んでいる「自称自由」なお間抜けさんは、自分が自分で下流へのルートを選んでいるとは全く自覚してないのだ。
 なにせ弱肉強食の強者の論理を振りかざしているのは下流に流された社会的弱者たちなのだから。
 で、若いうちは「社会なんて知ったこっちゃねえ。せっかくだから俺は自由に生きるぜ。夢が叶わなかったら死んでやるぜ、どうだワイルドだろ~?」とか、かっこいいこと言って結局将来を棒に振っちゃった人たち(青い鳥探しに行く人)を、「自分のためだけじゃなく社会のためにできることをやろう」って地道に働いてきた人(朝みんなが起きる前に雪かきをする人)が税金で間接的に面倒を見るという、本当とんでもない逆転現象がこれからの日本では起こるわけ。
 なんと日本にはチャンスは今までたくさん与えられてきたのにそれを自ら棒に振ったニートの人が計測不能なほどいるらしいから。
 そういった意味で新自由主義の改革は周到だったと思う。こういった構造的な格差社会の実現が全てネオリベの計画通りだとしたら世の中とんでもなく頭のキレる奴がいたもんだと感動すら覚えます。小泉さんただのXジャパンファンじゃないぞ!

 とにかく「日本中の親、教師を震撼させたベストセラー」だけある。今まで読んだ本の中でもトップクラスに面白い。佐倉統さんの『進化論の挑戦』、橋爪大三郎さんの『はじめての構造主義』に匹敵・・・つーかちょっとしたホラーだよw
 最近感じていた世の中に対する違和感がめっちゃクリアになって、いやそこまでは分かりたくないってくらい分かって吐き気を催したくらいw
 ここまで完成度が高い本だと、もう私がここであれこれ言うよりも524円出して買って読んでくれって感じなんですよね。本当蛇足になっちゃうんで。
 とりあえず本書で私が気に入った部分をいくつか紹介。

 それが憲法に規定してあるというのは、“労働は私事ではない”からである。労働は共同体の存立の根幹に関わる公共的な行為なのである。(11ページ)
 
 大学入学者の学力低下は実際に教育の現場に立ってみると、しみじみ実感されます。(略)「小学生的」というのは自分の主観的な「好き/嫌い」「わかる/わからない」がほとんど唯一の判断基準になっているということです。(23ページ)

 「努力しても仕方がない」と結論を出しているのは、いちばん多くのリスクをかぶっている階層なのです。(99ページ)

 今日本で語られている自己決定論というのは「『他の人がなんと言おうと私は私の決めた通りのことをやる』というのを『みんなのルール』にしませんか?」というものです。これ変ですよね?(143ページ)

 仕事について「自己利益の最大化」を求める生き方がよいのだという言説はメディアにあふれていますけれど、「周りの人の不利益を事前に排除しておくような」目立たない仕事も人間が集団として生きてゆく上では不可欠の重要性を持っているということはアナウンスされない。(153ページ)


 でも「団結」って、もう死語ですよね。ポストモダン以降「みんなで仲良く支え合って生きる」という人間にとってほんとうにたいせつな生き方の知恵を私たちは文字通り弊履を棄つるがごとく棄ててしまったから。(239ページ)

 私も「協調性」という意味では胸を張れる立場じゃないけど、でも自分の意志で自分のやりたいことをやったのは、周りのクラスメイトがあまりにも保守的だったことに違和感を感じていたからだったりする。
 それが今の小中学校では、かつては少数派だった自分みたいな破天荒な奴が多数派になってしまった。みんなが「自由=自分の意志で好き勝手に生きること」こそが正しいと思っていて、そのためなら努力してでも納得のいかない苦痛に対して反抗&逃避を“選択”するわけだ。
 このような唯物論的かつ経済的な反応を「等価交換の原理」と言う(この言葉自体は、諏訪哲二著『オレ様化する子どもたち』からの引用)。
 このロジックはホントかどうかわからないけどすごい衝撃的で、まあ実際に自分勝手に行動して学校崩壊させている子がそういった現象学的なことを自覚しているわけないから確認のしようもないのだけれど。
 でも実際、私にもそういったことがあった。大学でパワハラやセクハラをする教授に食ってかかっていったのも、まあ教員として許せないっていう自己満足的な正義感もあったけれど、こっちが授業料払っているのに、こんな授業はねえだろっていう等価交換の原理が働いたからに違いない。
 しかし教育はコンビニや自動販売機のようなサービスではない。長いタイムスパンで考えないと評価のしようもないものなのに、私たちはまるでレジで卵を買うかのように教育を“購入”してしまう。で、数学を140時間買ったのにテストの点が上がらねえじゃねえか!ってクレームを付ける。
 そのような短絡的な判断が結果的にボクらを下流に押しやっているのだ。

 ・・・え?お前だけだって??
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