ショーシャンクの空に

 「面白い度☆☆☆☆☆ 好き度☆☆☆☆」

 太平洋?おっかねえよ、そんなでっかいもんは。

 スティーブン・キング原作の名作映画。高校の頃からいろんな友達に「いい映画だから見ろよ」って言われてたんだけど、今更見ました。ごめんコークン。確かにすっごい上手。
 特に脚本の構成!どうやって作ってるんだろう?って視点で見るとこの映画はすっごい計算づくで出来ているのがよくわかる。
 聖書、鳥、ロックハンマー、太平洋、コンパス・・・『ショーシャンクの空に』に配置された要素は言ってみればマクガフィンなんだけど、物語のリード線としての「メタファー」になってるから、見てる側にとっては話が追いやすくてありがたい。じゃないとこんな長い映画見てるのは疲れてきちゃうからね。
 テーマやメッセージ性は何もセリフだけで表現する必要はないわけだ。

 で、これらのアイテムが映画の中でどんな役割を果たしているか、それをいちいち言葉で説明しちゃうのは野暮ってもんだよね。
 個人的に殿堂入りした映画『オーケストラ!』の時もそうだったけど、これくらい完成度の高い映画を見させられるとね、私って歯切れが悪い。なにを書いても蛇足でしょってなっちゃうから。
 もう本編を見ればいいじゃんって。本編観れば全て分かるように出来てるし、お話を作りたい人にとってはこれほどの教科書はないよ。

 でもそうすると本当に書く事がなくなっちゃうから、ひとつだけ。なんでこの映画は刑務所を舞台にする必要があったんだろう?
 それは同じくキング原作の映画『グリーンマイル』にも言えることなんだけど、小浜逸郎さんは学校と刑務所は管理者と被管理者の割合や、その閉鎖的な性質から多くの共通点があると論じた。
 実際ショーシャンク刑務所のノートン所長は敬虔なクリスチャンだし(もともとスクールは教会母体)、囚人たちに行う社会的な更生は言ってみれば再教育だ。そしてこの二つはどちらにも欺瞞がある。それは学校教育だって同じことだ。
 ならこの映画は学校でも出来たんじゃないのか?でもあえて刑務所にした。その理由を考えてみるとなかなか楽しい。

 “主の裁きは下る。いずれ間もなく”

 学校の入学と刑務所の入所の違い。原罪と懺悔といった全編に貫かれる宗教的テーマ・・・この映画は人間賛歌を手放しでたたえるようなそんな映画じゃない。
 まるでイマニエル・カント先生に説教されてるような、もっと厳しく、もっと倫理的な寓話なんだよね。そしてこういう物語を日本は長らく必要としなかったような気がする。それどころか脱構築し、メタメタにしてネタにしてしまった。
 現代の私たちはことさら「規制」や「抑圧」を嫌う。90年代(エヴァ)はそれに対して逃避し続けたし、ゼロ年代以降(デスノート)では無根拠な決断主義で対抗した。
 どちらのスタンスにも欠けているものは、そういった「規制」や「抑圧」を引き受ける強さだ。それは圧力に全面降伏しろという意味じゃない。

 この前書いた脚本(『CRIMSON WING』)は宗教的な寓話にしたかったから、久々に聖書とか読んだんだけれど、旧約聖書にヨブ記ってのがある。
 ヨブって人は、まあ、めちゃくちゃいい人で神様に罰を受けるようなことは全くしていなかった。でもヨブは『ときメモ2』の寿さん並みに災難に合う。
 ヨブの友達は「だから神様なんて信じたって意味ないんだよ。もう神を信じるのなんてやめちゃえば?」とヨブの信仰心に疑問を呈す(正しい人に災が起きるのは因果律的におかしい)。でもヨブは神を信じ続ける。
 最終的にはヨブは最後の最後で大逆転して大団円のハッピーエンドになるんだけど、だからといって「神を信じるのっていうのは無駄じゃないんだよ。最後は報われるから!」っていう功利主義的なことをこのお話は言いたいわけじゃない。
 ヨブにとって信仰心とはそれ自体が尊いことで手段じゃなかったってことなんだろう。

 ネットの普及で、現代人は短期的なスパンで情報を断片的に処理し、戦略(タクティクス)を決定するのは得意になったけど、長期的な視野にたったストラテジーが想像できなくなったような気がする。みんな場当たり。これってつまり未来を自ずから放棄しているってことだよ。
 それは年功序列や終身雇用といった高度成長期にあった緩やかな日本的社会主義が崩壊したからなのだろうか?私は最近そうは思わないんだよ。

 アンディは地質学が好きだった。何百万年もかけてゆっくりと圧され隆起して出来た山。地質学は圧力と時間の研究だ。必要なものはまさにそれだった。圧力と時間――

 私はよく「人生楽しそうですね」って言われるんだけれど、本来、人生とは受難の物語だ。しかもけっこう長い。刑務所の服役期間のように。

 ブルックスはいかれちゃいない。ただ施設慣れでシャバに出るのが怖いんだ。あの人は50年もここにいたんだ。50年だぞ、ここしか知らないんだ。ここでなら重要な人間だ。学のある人間だ。外じゃ通用しない。リュウマチ持ちの前科者の年寄りだ。図書館のカードも作ってもらえないだろう。
 この塀が曲者なんだ。最初は憎む。それから慣れる。時間が経つと頼りにしちまう。終身刑ってのはまさに身の終わりだ。人間をダメにしちまう。


 私たちは社会(の規則や抑圧)に文句を言いながら、結局生かしてもらっている。だから本当の自由に怯えているんじゃないか。
 今生きるそこが自由にしろ不自由にしろ、結局人間は「希望」がなければ生きていけない。逆を言えば希望さえあれば結構なんとかなる。
 それは大きな夢じゃなくてもいい。時間を忘れて打ち込める趣味や気の会う友人、そして海の見える静かな街で親友と一緒に小さなホテルでも経営できたら最高だ。
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