新科目「公共」とアベデュケーションについて

 国民の敵、公務員(=教員)の退職金が段階的に減っていくらしい。

 最終的に給料の十ヶ月分(=400万円※月給40万円の場合)を減らすそうで、とりあえず今年の二月から二ヶ月分減ることになる。
 だから退職金が減る前に自分から退職しちゃうベテラン先生が多いんだって。埼玉県ではなんと駆け込み退職者が100人を超える勢い。
 なにせ今年度末まで働くと退職金が150万円減るから、二ヶ月分の給料捨てて今やめちゃったほうが得になっちゃう。
 お前ら金のためだけに教員やってたのかって批判されちゃいそうだけど(最近、いじめや体罰と学校批判が流行っているから)、退職金前提でローン組んじゃってたりしたらそうなるよね。聖職者の前に生活者だと。

 あと、これは先週の「日本教育新聞(←恥ずかしながらこんな新聞があるなんて初めて知った!)」に書いてあったんだけど、安倍さんは教育再生会議を復活させて、中学高校に新科目「公共」を導入しようとしているらしい。
 最近の若者に公共心が少なくなったからってことなんだけど、この退職金騒動を見ていると、まず先生の公共心が怪しいよ。
 内容としてはインターンシップやボランティア活動をやらせるってことで、教職課程の大学生が教員免許を取るのに介護体験をやらなきゃいけないのに近いと思う(このアイディアは田中眞紀子さんが考えた)。
 確かに教室でのお勉強よりも、こういう活動で輝く生徒もいるんだろうけれど、大切なのはその経験がちゃんと進学や就職で生かせるようにしなきゃいけないってことだよね。
 あ、でもわりと活用できるのかな??具体的にどういう活動をやらせるのかが、いまいちまだ明確じゃないので、ちょっとわからないや。
 そもそも学校教育って多かれ少なかれ子供の心理形成に影響を与えるものだけれど(人格陶冶)、それはパターナリズムで子どもの内面に大人が勝手に踏み込んではいけないっていう人もいるから、この手の教育改革は形骸化しがちなんだよな。どうなるんだろう。

 とはいえ、一部の人(主にリベラル派)が言う「道徳と法は分けて考えるべき」という“民主主義の基本”は現実問題として果たしてどれだけ可能なのだろうかって話だよ。
 逆説的に考えれば、それだけ法律(全体の問題に関わる)と道徳(個人の問題に関わる)は親和性が高いから、適切な距離感を取らなければ個人の自由が犠牲になるってことなんだろうけれど、共同体を一切考えずに個人の自由というものが成り立つのかはかなり怪しい。
 自由を担保する存在が絶対に必要だからね。そこらへんはブログでも何度も書いたし、ホッブスの『リヴァイアサン』あたりが面白いのでぜひ。

 さて、安倍さんって、昔総理になった時も著書『美しい国へ』で教育改革を熱く訴えていた人で、今回はそのリベンジ戦だからかなり本気で変えて行く気がする。
 新科目「公共」以外にもいろんなアイディアを出していて、これらを「アベデュケーション」というらしい。誰だアベノミクスと言い悪乗りしてる奴ww

アベデュケーション①土曜日登校の復活
 私が小学生くらいは土曜日も学校があったんだけど、それをまたやろうというもの。脱ゆとりを象徴する案なんだろうけれど、夜も塾に行っている子供に更に詰め込んで効果はあるのだろうか。あ、でも共働きの家庭が増えたから、子供が土曜日も学校に行ってくれた方が楽&安心っていうのはあるのかもしれない。特に小学校なんかは。
 
アベデュケーション②愛国心教育の導入
 これは言わずもがな、波乱が起きるよね。国歌を斉唱しない教員はさらに風当たりが強くなりそう。一応自由権で思想信条の自由があるんだけど、公共の福祉のために働く先生がどれだけ公共のために自由を制限されるか、その解釈がポイントになるのかもしれない。
 戦後の日本の学校教育って軍国主義の反動で、政治的にはかなりニュートラルっていうかリベラルだったんだけど、もしこれが盛り込まれたら教育現場は大きく変わるのだろうか。
 ただ、児童、生徒の前に、まず現場の学校の先生にどれほどの愛国心があるのか判断できないし、これから教員採用試験で国家に忠誠を尽くすような人を優先的に採用するのかもちょっとわからない。
 教員採用試験は各地方自治体が行っているので、そこまで国家主義的な基準を地方がはたして取り入れるのかなあ・・・

アベデュケーション③道徳教育の強化
 これも個人の心の問題だから非常にナイーブな問題なんだけれど、最低限のルールやマナーはやっぱりちゃんとしつけたほうがいいのかもしれない。
 そもそも道徳とは普遍的なもので、ほとんどの人が共有すべきものだからね。人に見られてようが見られてなかろうが、犯罪はやっちゃダメじゃん。それはやると警察に捕まっちゃうから、とかじゃなくて、そもそも規範を逸脱した行為に強い罪悪感を覚えなきゃいけないものじゃん。
 また最近では、けっこう敬語が使えない子がいて、それは敬語なんて使ってられるかよ、じゃなくて、本当に教わってないから使いたくても上手く使えないらしいんだ。
 そういう子は面接とかでけっこう苦戦しちゃうから、個人の自由どうこうじゃなくて、規範意識の欠如はかなり切実な問題ではある。だってどの子も最終的に「社会」に出て行かなきゃいけないからなあ。

アベデュケーション④政治的リテラシーの育成
 アベデュケーションで一番印象的で一番謎なのがこれ。政治的リテラシー??どういうことなんだろう、ってことで調べてみたら、民主主義国家に生きる「いち国民」として、一人ひとりが主権者としての自覚を持って政治に参加することをどうやら子どもに教えたいらしい。
 確かにこの前の選挙の投票率はかなり低かったからね。それは平和な社会の証明であるっていう学者さんもいるんだけど、せっかく昔の人が血を流して獲得した選挙権を自分から放棄する人が多いのは問題って安倍さんは思ったのだろうか。
 確かに若者の政治離れ・・・ってよくよく考えたらちょっとシャレにならないもんね。若者の漫画離れとは問題の質が違うし。

 私は去年Ustreamで「マイケル・サンデルの本を学校の教科書にすべき」って半分本気、半分冗談で言ったんだけど、政治的リテラシー教育をやるならサンデル教授は教材としてすごいうってつけだと思う(どの事例も答えの出ない、考えること自体に意味があるようなものだから)。
 ただ生徒同士のディベートをうまく取り仕切れる田原総一郎のような教師をまずは育成する必要があるのかもw
 今の人って、「問題点をうやむやにして結論を避ける」とかつて言われた民族とは思えないほど、答えに白黒はっきりつけたいタイプが多いけど(それともそのスタンスはネットにいるときだけ?)、そういう瞬発力(だけ)に特化した短絡的な思考回路に疑問を投げかけて、ひとつの物事を長期的に考える訓練にはなるのかもね。

 ただそれはゆとり教育の時にやって頂きたかった(C)児玉清
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