『戦争はいかに「マンガ」を変えるか』

 著者は小田切博氏。日本の漫画評論家どもは「手塚漫画はアメコミの影響を多分に受けている」とかさらっと言うけど、お前らアメコミのことなんて全然知らねえじゃねえか!という怒りの本。

 パキPさんが勧めてくれて、確かに、昨今の漫画規制に関してあーだこーだ言う前に、まずはアメリカのコミックコードの歴史を勉強したほうがいいよなって感じで買ってみました。
 例えば、これからの日本が閉鎖的な内需主導型の経済か、開放的なグローバル経済かを選択しなければならないときに、すでに関税をとっぱらったEUや、かつての韓国におけるIMF通貨危機についての知識が役に立つように、歴史というのは現代を冷静に考えるための手がかりになる。

 つまりアメリカにはラディカルな漫画規制(コミックコード)の前例があり、その規制がアメリカのコミックにどのような影響をもたらしたのかを知ることは、今日本で起きている漫画規制について考える上でも大変重要なはずだ。
 それに今では「世界一漫画の規制がゆるい国(C)夏目房之助」として知られる日本ですら、第二次大戦中は表現の自由が規制され、出版を許されたのは戦争のプロパガンダ的な漫画だった。ここら辺もそうだけど、多少のタイムラグがあるもののアメリカと日本の漫画業界がたどってきた歴史には共通点が多い。
 そもそも小田切さんも他の識者も指摘するように日本のサブカル文化はアメリカニズムの模倣なのだ。

 本書のメインテーマは、日米の漫画文化や漫画市場の比較及び考察らしいのだが、私にとってもっとも新鮮だったのはアメコミの実情や歴史を、日本のアメコミ認知の低さに憤る著者が熱く語った「第一部アメリカンコミックス」だ。
 最初読んだときこいつはなんで3ページ目からキレてるんだろう?って当惑したんだけど、小田切さんによって語られるアメリカンコミックスの実情を知れば、自分がこれまで抱いていたアメコミに対するイメージがとんでもなく断片的であることを痛感する。
 例えるならば、ティラノサウルスだけで恐竜語るもんだよねw「あいつらでかくて馬鹿だから滅んだんだろ?」って恐竜オタクに得意げに話しちゃうくらい危険な行為をぼくらはやっていたわけだ。
 いや、それだけではこの人もここまで怒らないだろう。小田切がここまでブチギレモードなのは、仮にも漫画批評で飯を食っている人間(すなわちプロ)が、その程度の知識でアメコミを理解した気になって、日本漫画の優位性を説くかませ犬としてアメコミを評論(!)しているからだろう。

 具体例を一つ挙げるならば、アメコミは日本の漫画と異なり、ライター(脚本)、ペンシラー(下書き)、インカー(ペン入れ)と、まるで自動車や航空機の組立のように、合理的な作業の分業化が進んでいるので、なかなか日本のように作家主義的な作品が登場しないという意見(誰だこんなこと言ってたバカは!?私だ)。
 これは正確には正しくない。大手の出版社が手がけるヒーローコミックの場合、これは当てはまるが、60年代からの反戦運動に代表される若者文化(カウンターカルチャー)として広まり、その後オルタネイティブコミックスとして発展することになる、アンダーグラウンドコミックスは一人の作家が物語と作画すべてを手がけ、「商品」ではなく自己表現のための「作品」として描かれた正真正銘の作家主義的なアメリカのコミックだ。

 こんな感じでアメリカのコミックは日本人の想像以上に多様化しており、日本に負けず劣らず豊かな歴史を持っている。
 ・・・というか日本の漫画が商売と芸術のあいだを中途半端にフラフラしてきたのに対して、アメリカのコミックの方が二極化というか、多極化が進んでいたことがわかる。
 コミックブック(子供向けの勧善懲悪ヒーロー漫画を起源とする)、コミックストリップ(プロフェッショナルな新聞漫画。大人も読む)、アングラコミック(作家主義的風刺漫画)などが冷戦や、コミックコード、流通形態の変化によって分離し統合した複雑な経緯が・・・小田切よ、年表にしてくれ。
 なんにせよ、とてもじゃないが一言で「アメコミとはこうだ」って言えるほど単純なものじゃないのだ。Tレックスくんは恐竜を象徴するかもしれないが、Tレックスくんだけが恐竜のすべてじゃ――古生物のすべてじゃないのだ。
 
 とまあ、こんな感じで第一部はアメコミについて全く詳しくない人にとっては驚きとワクワクにあふれた読書体験ができます。
 で、問題は、本書のタイトルにもなっている戦争(に象徴されるリアルの社会現象)が漫画(およびその作家)にどのような影響を与えたかって部分なんだけど、これがなんというか小田切さんのスタンスがイマイチつかみにくい。
 本書はとにかく作者の熱エネルギーはすごいんだけど、そのエネルギーが抑えきれなかったのかバーストしちゃって、文章の構成がそこまで練り込まれていなくて、思いの丈を思いつく順から文字に起こしちゃいました的な本になっちゃっている。
 ぶっちゃけて言ってしまえば、論理展開の順序がめちゃくちゃで、前後関係をこちらが整理して読み進めなきゃいけないから、読み終えるのに一週間くらいかかったw

 とりあえず小田切さんの主張というか漫画観がある程度明確に伺える一文を引用します。

 開始当初、より現実味のある科学技術描写によって「フロンティア」としての宇宙への夢を復権させようとしていた『プラネテス』や『MOON LIGHT MILE』が事件後、急速に利権としての宇宙開発を描き始め、大国間のエゴがぶつかりあう閉鎖的な政治性に満ちた「場所」として宇宙を再定義してしまったことは、これらの作品の性格上ほとんど自己否定に等しいのではないかと個人的には思っている。
 はっきりいえば私には彼らが現実からの虚構への干渉に対して「踏みとどまれなかった」のではないかという感想を持つ。」(197ページ)


 911によってアメリカのコミック作家が「現実(←世界貿易センタービルがない)」に否応なしに向き合わされ狼狽したのと同じ頃、日本のいくつかの漫画では911や大国とテロとの戦いを、ある種無邪気に作劇に盛り込んだことを、小田切さんはあまり快く思っていない。
 まずもって虚構の娯楽であり、それ以上のものでもない漫画に、リアルな時事問題を作品のメインテーマを犠牲にしてまで盛り込む必要が果たして『プラネテス』や浦沢直樹の『PLUTO』、『機動戦士ガンダムSEED』にあったのだろうか?ということらしい。
 
 でもあの頃を振り返って純粋に思うのは、ガンダムSEEDやプラネテスが好きな人って、大抵そういう政治的な部分は無視して(意図的に読み取らないか、もしくは読み取れない)ラブコメとして見てなかったかい?てこと。
 ガンダムSEEDが当時流行ったのは覚えているけど、あれを見て多元文化主義やパクスアメリカーナの是非について語っている奴なんて一人もいなかったぞ、と。
 つまり小田切さんがここまで杞憂に思うことはないんじゃないかって思うんだ。まあこの場合は作り手のスタンスとしての問題提起なんだろうけど、受け手がそう取っちゃうんだから問題はないんじゃないのだろうか。

 おそらく911を経験したアメコミのように、日本の作家が変に社会に対する危機意識を持っちゃって本来の娯楽性を見失っちゃうのでは?という危惧なんだろうけど・・・今やってるアニメを見た感じあんまこの人たちリアルに影響受けてないw
 そう言う意味で日本の漫画を取り巻く状況って、小田切さんが望む形――漫画が漫画として(=政治や社会と切り離された単なる娯楽)あるべき――で今なお存在しているし、その状況を読者の健全性と考えるならば、それは津波だろうが隕石だろうが、変わらず維持されるほど強固なものだと思う。
 私は半分呆れて半分頼もしく思ったもの。311以降も相変わらずおんなじ美少女アニメやってるんだからw

 つまり、ほとんどの人は311の文脈で『魔法少女まどか☆マギカ』を観てないし、それは一部の批評家のマーケティング的な深読みだろう。これに関しては「ほむほむ~」とか言ってるだけの受け手の方が正しいよ。それでいいんだよ。
 ただオウム事件とエヴァンゲリオン(もしくはそれ以前のサブカルチャー)の関係性はわからない。ひとつだけ確かなのは、なんだかんだ言って一番こたえたのは庵野秀明監督ってことだよね。あの人の生き様的に自分のウルトラマンごっこの社会現象化はショックだったと思う。
 時と場合によってはこういうことも起きてしまうんだってことに、日本の作り手はもうちょいナーバスになったほうがいいのかもね。

 大塚英志さんは東浩紀さんとの対談本『リアルのゆくえ』で「自分の作ったものに意味が発生することへの恐れの有無についてはけっこう重要だと思うよ」と東浩紀さんに言ったんだけど、これは、自分の作品(エヴァ)にファンが能動的に意味や価値を見出していることに対して庵野監督が危機意識を持ち(ぶっちゃけ怖くなった)、意味(オチ)を作り出すことから最後の最後で逃げ出したことをある面で評価し、ごく普通に健全なメッセージ性を込める現在の作家(新海誠さんなど)に多少の違和感を感じているわけだ。

 でもさ、私に関して言えば311当時のブログを読み返せばわかるんだけど、アメリカの作家さんとおんなじことを考えてて、もう漫画描くのやめちゃおうかなって思ったんだよ。
 なんかメタ的に社会を風刺して人に読ませるのに罪悪感というか、なんかずるいよねって思っちゃったんだ。
 偶然原子力発電所がメルトダウンの危機に陥るって話を書いていただけにね。それも完全なエンターテイメントの文脈で。
 私が『抽選内閣』以降、漫画で社会問題を取り上げているのは、なにも読んだ人の目を社会に向けさせるためではなく、それくらいのものを描かないと純粋にエンターテイメントとして物足りないって思ってただけだけなんだよ。

 だからほとほと嫌になっちゃって、でもテレビで被災地の様子を放送していた時にさ、避難場所となった学校の体育館の隅で一人の中学生くらいの女の子が座っていて漫画の単行本を読んでいたんだよ。
 もちろん自分が描いた漫画じゃないよ、でもそれにすっごい救われた。未曾有の天変地異が起こって、とんでもない悲しみを負った人にわずかながらの生きる希望を与えるならば、漫画って本当天使にも悪魔にもなり得るなって。
 問題は「間」というか、時と場合というか、いつ誰に表現するかなんだなって思ったとき、なんかふっきれちゃった。
 そんな経験があるから、本書で紹介された世界同時多発テロによって描くことの意味を見失ったり、描くことの無意味さを嘆いた作家(とスーパーヒーロー)の気持ちが、自分の心の中にグワ~って入ってきちゃって、なんか無意識にペンを持って漫画描いていたよ。なんか描かずにはいられなかった。まあその次の日の仕事が辛かったけど。
 
 話がそれちゃったけど、当たり前だけどどんな人も現実からは絶対逃れられない。でも残酷な現実を少しのあいだでも忘れて、ちょっとでも前向きに生きる気になってくれたなら創作物ってそれで十分じゃないんじゃないかって思う。
 もちろんだからといって私がこれからブームに乗っかって萌え美少女漫画を描くってわけじゃないんだけど、いろんな漫画があってもいいよねって。まあ、いい歳して漫画を描き続けるための、ていのいい言い訳なんだけどね。
 ビートたけしさんが言うとおり、創作する人っていうのは結局徹底的に自分のことしか考えてないエゴイストなんだよね。そこを再確認できた本でした。

 ありがとう小田切。
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