ポセイドン・アドベンチャー

 「面白い度☆☆☆☆☆ 好き度☆☆☆☆」
 
 上へ行くといいものがあるの?
 ある。命です。


 私は「なんでこの人はこんな映画を作っちゃったんだろう?逆に言えばなぜ今この人はこれを作らざるを得なかったんだろう?」と心に引っかかりを残す作品が好きなんです。
 もちろんどんな作品も商売で作っている以上、マーチャンダイジングの論理が働いているのは確かなんでしょうが、それでも数が出てくると「なんだこれ?」っていう資本主義に真っ向から特攻するような、謎の作品にも出会える。
 そんなクリエイターの不器用な生き様が垣間見れる作品が大好きなんです。私も物語で人を感動させたい人間だから。

 今回、満を持して取り上げる『ポセイドン・アドベンチャー』は、近年の私の心に最もその“引っかかり”を残してくれた映画だと思う。
 映画自体は結構古く、『タイタニック』などの豪華客船転覆もののパイオニアとなった映画なのですが、とにかく描かれている内容が哲学的というか・・・いやなんて言えばいいんだろう?深いというか・・・

 いや!違う!

 こうやって文章を書くのが好きな私が、言語レベルに分解できないような圧倒的なエモーション(※カタルシスではない)を与えてくれるのが、この映画の最大の魅力。そもそも映画っていうのは言語(セリフ)はあるけど、まずもって映像のメディアだし。
 これは『デザーテッド・アイランド』みたいな「なんで作っちゃったんだろう?」っていう時の「なんだろう?」じゃなくて・・・もっと根本的でリアルな「人間ってなんだろう?」ってレベルの「なんだろう?」
 まあどっちにしろ「なんだろう?」なんだけど、この「なんだろう?」を与えてくれる映画ってそうそうないぞって。

 とにかく、マロさんに勧められて最初に見たとき、ラストがとにかく衝撃的で、それは映画的な王道を外したからとかじゃなくて、また、決して脚本が稚拙で作り手の意図がわからないとかじゃなくて、それでも正直なところ、この映画は“わからなかった”。どう評価していいのか。
 つまらないとか面白いを超えた何かだなっていうのは感じた。でもそれがなんなのかわからない。「なんだろう?」ってw
 そんなことを『80日~』最終章のプロットをどうするか打合せしてる時に友人に言ったら「田代がそんなふうにいう映画ってあんまないよな、見てみたくなった」って感じで話題がそれて、正直悔しかったってのはある(オレの漫画の話してるのに!ってw)。あのあと観たんかな?あいつw

 で、あの映画の答えは結局、哲学的な命題と一緒で、答えがあるようなもんじゃないから、この映画の感想記事もしばらく保留していたんだけど、ディザスター映画っぽい『80日宇宙一周 地球より愛をこめて』を完成させて、ツイッターでいろいろやり取りをしていたら、ちょっと感じたことがあって、覚書ってんじゃないけれど残しておこうかと。

 結局、何度も言うように私って一騎当千漫画が嫌なんだ。もちろん多少はそういう演出もやるときあるんだけど、いくらなんでもプロ対プロの戦いで一人の兵士が何百人もの敵を蹴散らすなんてありえないじゃん。
 でさ、じゃあ一騎当千はまったくもってリアリティがない状況なのかなって考えてみると、実はあるんだよ。それは自然災害なんだ。あいつら超強いじゃん。一気に何千、何万人をやっつけちゃう。

 そして地球に住んでいる以上、我々人間はそれに文句も言えない。住まわせてもらってんだからw誰に食わしてもらってんだ!ってw悲しいし、悔しいけど、この現実は受け入れなきゃいけない。
 でもそれじゃあまりにも残酷で厳しいから、人は昔から宗教を作り神を崇めてきた。この映画はそんな信仰心について、立場の異なる二人の聖職者を出し、そのどちらも正しいし、どちらも間違っているよと、かなり突き放して描いているところに特徴があるのではないか。

 話が前後するけど、私は一騎当千キャラは敵として描くべきだという人なんだ。小さい頃に読んだ『スイミー』の影響かもしれないけれど、今回の脚本も結局そういうお話になった。
 絶対敵わないような強大な敵に相対した時に、その人の本当の強さがわかる。いや強ければいいってわけじゃないけど、その人の生き様や人生観といった本質が出ると思うんだ。

 ああいう絶対逃げれない境遇になったとき、その人の本当の強さが出ますよね。今までさんざん革命とかクーデターとか紛争とか暴動とか描いてきたんですが、太陽系が終わる時はそういう部分をあえて描きませんでした(ツイッター)。

 って言ってるように、私『80日間宇宙一周』の最終章では、普通ならあんな世界の終わりが来たら、あの漫画の世界観では絶対暴動起きているはずなのに、あえてそれを描かなかったんだ。
 それは多少意図したところがあって、案外暴動って「未来」や「希望」があるからこそ起きるんじゃないかなって。未来を生きるために、相手を殺し奪っているわけ。
 それが全く希望がなかったら、もう受け入れるしかないじゃんって。だからベタな漫画やアニメだと「希望」は素晴らしいものだって言うけど、それは一面的な見方であって、用法用量を誤れば、それは惨劇の原因にもなるよってw

 これはつまり一作目のアンチテーゼなんだよね。世界が終わるとき、ほんのわずかな希望を求めてあがく人と、運命を受け入れて待つ人がいる・・・
 一作目は「諦めるのは逃げだ!」みたいな内容だったけど、受け入れるって行為も尊いよっていう。人間はみんな強くない。
 そう考えると『ポセイドン・アドベンチャー』の輪郭も多少はっきりしてくるんじゃないのかなって。スコット牧師はリポDなんだよwで、それを諭す神父さんは甘いスウィーツ。
 どっちも必要だけどそれだけ摂取してたら病気になるでしょってw

 しかしドキュメンタリー映画ならともかく、『ポセイドン・アドベンチャー』はフィクションの映画のはずなのに、あそこで描かれる結末はすごい残酷である意味平等。いい人や悪い人・・・そんなものは人間側の勝手な区別だってことを見せ付けられる。
 時には善い人も死ぬし、どうしょうもないやつも生き残る。そこに神の恣意的な救済はない。スコット牧師はニヒルだけど、決して無神論者じゃなかった。だからこそ叫ぶ。

 神よ!もう助けてくれとは言わない、だから邪魔だけはしないでくれ!と。

 人間は理屈で割り切れる存在じゃない。かといって理屈なしでも生きれない。人間は複雑でアンビバレントな存在だ。そんな“人間”を描いた映画だからこそ、この映画は語り継がれているのだろう。キャラじゃねえんだよ!
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