『マンガはなぜ規制されるのか』

 著者は長岡美幸さん。タイトル通りの本。細かいことは買って読んでもらうとして、とりあえずどこの誰が何のために漫画を規制しようとしているのかというと、どうやら婦人会的な市民団体、PTA、そして警察組織らしい(犯罪者の自宅には大抵漫画があるから・・・)。
 この人たちの共通点って、確固たる正義のイメージがあって、善意でしっかり結束しているようなところだと思う。離合集散を繰り返すようなネット世論?とはそこが違うのかな、と。
 本気で社会をより良いものにするために頑張っているからエネルギーというか本気度が違う。漫画ってどっちかというとカウンターカルチャーというかアングラ的な存在だったわけだし、ぶっちゃければ社会をよくするために存在するような崇高なメディアじゃないんだよ・・・

 さて、漫画の規制の話題ってネット、とりわけツイッターで盛り上がっているけど、ツイッターのどこの誰ともわからない匿名のハンドルのつぶやきがいくら束になってかかろうとも、具体的な政治的運動(=圧力)にはかなわない。
 代議士さんだってネットで悪態ついている匿名の人よりは、直接会って応援してくれる人の声を優先して聞くだろうし。
 一般意志2.0とか言うけれど、やっぱり政治の世界ではアナログ的な人間関係というかコミュニティが強いっていうのがわかる。安倍総理はネットに理解がある政治家って感じがあるけれど、結局はいいように利用しているってだけだと思うんだよ。
 じゃあツイッターで規制反対!って騒いでいる人が、リアルで政治家とコネを作って市民運動にまで昇華できるかというと、それはなかなか難しいと思う。
 政治家と交流しているアニメオタクとかあまり想像できないし・・・いくらかはいるのだろうけれど。
 
 そもそも漫画規制賛成派も反対派も感情レベルでああだこうだ言っている点は見事にどっちもどっちで、漫画文化に興味がない人やそこまで熱くなれない人から見れば引いてしまうのではないだろうか。関わりたくね~って。
 例えば、私も漫画を政府の恣意的な判断で規制するのは、表現の自由を犯すことであって、もちろん反対なんだけれど、「漫画規制しようとするPTAのババアは死ね」とか暴言吐いている人と同じ仲間とは思われたくないよなあっていうのがあるじゃん。

 その上、昨今の橋下市長の「性風俗」の発言を巡る騒動にしてもそうだけど、日本って女性を性の道具にしている変態国家的なイメージが海外にはどうしてもあって、まあ、それはおそらく正しくてそのイメージはなかなか払拭できない。
 ロリコン漫画やアイドル文化にしたって「ジャパンはチャイルドポルノを国家的に容認しているのか!」って欧米の人はドン引きしてるわけで。
 そう考えるとグローバルなクールジャパンの戦略(日本の漫画文化の海外進出)と、漫画のエログロ表現の規制って実はそんなに矛盾もしてない気もする。
 あっちはあっちで意外と合理的なんじゃないかって。ちょっと海外に売るにはエロが過ぎるというか・・・そういう判断なのかもしれない。

 この前、ナドレックさんがおっしゃっていたんだけど、こういう問題ってまず、どういう過程(論法)を踏んで規制しようとしているかを、私たちが冷静に考えることが重要で、漫画は読まないし利害関係ないからいいやって無関心を決め込むと、別の問題の時に泣きを見るよって話なんだよね。
 とはいえ、私たちも日常生活に追われているから、なかなか直接的な利害が起きないと(例えば漁師さんがアベノミクスの影響でオイルの値段が上がっちゃって大変とか)、政治的なことを真剣に考えなかったりする。そこが民主主義の罠というか難しいところだ。

 それに、もしこれで漫画が規制されて、内閣支持率が落ちたらその法律はまずったんじゃないか?ってなるけど、これでたいして支持率が落なかったら意外と漫画が規制された社会になってもキミら順応してるじゃんってことにもなるだろうし。
 騒がなかったら賛成しているのと一緒だよねって判断するからね。マイノリティの意見ってないがしろにされやすいんだ。
 あと、規制されたらされたで、その規制をどうやってかいくぐって面白い漫画を作るか?っていうのに挑戦するクリエイターは絶対出てくるよね。これが通ったら二次元全滅とか言っている人がいるけど、どうだろう?
 まあオタクやファンの人が、自分が愛読していた漫画の作者が逮捕されたとして、その作者のために立ち上がるってことはまず考えられないから、やっぱり作り手や送り手は萎縮しちゃったり、自主規制を繰り返したりはするのだろうけれど。
 ただリアルな話、規制された途端に即全滅はないだろう。
 
 とにかくさ、この前の選挙で与党に自民党を選んだのは私たち国民の総意なんだから仕方がない。自民党政権が漫画を規制しようとしているのは昔から分かっていたはずだ。
 そして何度も言っているように、今の私たちはロジックではなくて、感情レベルで短絡的に物事を判断してしまう。あいつは嫌いとか、あいつは許せね~とか、あいつは許せね~とか。意見が異なる人たちの立場を想像するという発想がない。賛成派も反対派も。
 ならば、主観的だ!と揶揄される今回の漫画規制の法案だって、ある種時代の必然的に生まれたものだってことがわかる。感情論の世界なんだから。

 大体理屈で言えば、過激な漫画と性犯罪の因果関係は分かっていないのに、規制も反規制もないわけだ。もし仮に因果関係が全くないというなら、規制する理由もないし、逆に規制したって問題はないことになる。
 漫画規制反対派の人は、エロ漫画が規制されたら犯罪率は逆に増えるとか言っているけれど、もうロジックとして矛盾していてさ。ちょっと待ってよ、エロ漫画と犯罪は無関係じゃなかったんかいってどうしても突っ込んでしまうよ。因果関係論って都合がいいんだw

 首都大学東京教授の宮田真司(社会学)は、松文館裁判や東京都議会の参考人質疑などで次のように訴えている。
 ○暴力的・性的メディアが受け手を暴力的・性的にするという「強力効果説」は否定され、「限定効果説」が学会の主流。性的メディアが青少年に悪影響を及ぼすという理由で規制するのは科学的根拠がない。(243-244ページ)


 宮台さんの“限定”効果説っていうのは興味深い。つまり効果が全くないわけではないと。でもその効果はあくまでも限定的である、と。これくらいの表現のほうが少なくとも私には信用できる。

 なんにせよ問題なのは、因果関係が立証できないものを規制しちゃえっていう動きであって、それは、私たちが、疑わしきは罰せずの社会か、疑わしきは罰するの社会のどちらを選ぶかで、良いも悪いも変わってくるはずだ。
 そして自民党は疑わしきを罰する、秩序と安全を強く求める社会づくりに舵を切ったんだと思う。ならば漫画規制は自民党のロジックで言えばアリなのだ。
 『学問のすすめ』で福沢諭吉が言っているように、集団がそれぞれ節度を守ってちゃんと生きていれば政府は国民に自由を与えてゆるくなるし、集団がバカばっかだと政府は締めつけを厳しくせざるを得ない。どんな政府にするのかは国民しだいってことなんだろう。

 さらに漫画好きとして知られる麻生太郎さん、漫画が好きなだけあって漫画の影響力の強さも知っている。
 だからこそ場合によっては法規制やむなしと考えているわけで、ここら辺は90年代の会合で、文化事業を担うということで減税措置がなされている出版業界の既得権益に踏み込む発言を麻生さん自身がしているんだよね。
 現在、活字離れや電子出版などで苦しんでいる出版業界がさらに経営レベルで追い込まれてしまう。その包囲網は20年も昔から狭められていたんだ。
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