七人の侍

 「面白い度☆☆☆☆☆ 好き度☆☆☆☆」

 今度もまた負け戦だったな。勝ったのはあの百姓達だ。わし達ではない。

 当たり前だけど面白い。なんだかんだ言って、私って影響されるのが怖くて名作映画を敬遠しているんですが、とうとう黒澤映画を見てしまった・・・しかし日本の映画界の神様みたいな人なのに、今やレンタルビデオ店には、たった3タイトルしか置いてないっていうね。しかもアダルトアニメコーナーのところにあるっていうね。教師ものとしても評価が高い『姿三四郎』は見たかったなあ~(^_^;)
 三谷幸喜さんのドラマ『合い言葉は勇気』で、役所広司さんが「『七人の侍』は黒澤監督の最高傑作、それはつまり日本映画の最高傑作ということです。」というセリフがあるんですが、思いかえせばこのドラマも『七人の侍』のような話。
 都会の人間=強欲、加害者で、田舎の人間=純粋、被害者というわかりやすい図式ではなく、村人も村人でけっこう狡猾で自分勝手という描写も通じるものがあるし。あのドラマの村人たちのリンチシーンはけっこうすごいなあって思ったんですが、この映画が元ネタだったのねって。

 正直面してペコペコ頭下げて嘘をつく。なんでも誤魔化す!百姓ってのはな、けちんぼで、ずるくて、泣き虫で、意地悪で、間抜けで、人殺しだあ!

 という名セリフがあるんですが、このセリフには続きがあって、「だがな、そんな百姓たちを作ったのは誰だ?侍じゃねえか!」という下の句がありますw

 しかし、この映画って本当シンプルで面白いだけに、邦画洋画ドラマ漫画問わず、いろんな作家がパクり倒しているのが、よ~く分かりました。
 ピクサーの『バグズライフ』、福本伸行の『最強伝説黒沢』、浦沢直樹の『マスターキートン』と、村があってその村のために部外者が一肌脱いでくれるっていうのは、だいたい『七人の侍』のテンプレートだよね。
 それくらい、この映画の利他的な精神って人の心を打つのだろう。これは、もうヒーローものの条件だよね。リスクがあるだけで、特に手柄もない戦いを引き受けるっていうのは。現実ではなかなかできることじゃないから。というか島田さんも口の悪い人足に背中押されて、やっと力を貸したところあるしな・・・
 面白いのは『バグズライフ』だけ、主人公が侍(助っ人)ではなく百姓側ってところだよね。さすがピクサー。ただではパロディにしないというかw
 
 それと、この映画ってすっごい教訓めいてて、島田さんはすっごい温厚で頭も切れる軍師なんだけど、自分勝手な行動だけは厳しく諌めるんだよ。
 そして作中でも、自分のためだけに動いた人は必ず自軍に犠牲を招いてしまうんだよね。さらわれた奥さんを見て取り乱しちゃった利吉や、久蔵の真似にしようとして持ち場を離れちゃった菊千代なんかがそうなんだけど、ああいう行動をとると絶対誰かが犠牲になっちゃうという・・・

 いいか、戦とはそういうものだ。人を守ってこそ自分も守れる。己のことばかり考える奴は己をも滅ぼす奴だ。

 でも、こういったコンテンツって見る順序ってすごい大事だよなあ。エヴァンゲリオン見てウルトラマンバカにしている人も、なんかもう責められないっていうかね。
 『七人の侍』も、もう、この映画に影響を受けた後発の作品を見すぎちゃったから、新鮮な驚きは正直あまりなかったのが不幸だよなあって。リアルタイムで見た人はもうすごい衝撃だったんだろうな。今の若い子もはじめからCGバンバン使った映画から入っているから、『ジュラシック・パーク』が出てきた時の衝撃とかわかんないんだろうな。そういうもんなんだろうな。
 最近しみじみ思うんだけど、いろんな映画を観ちゃうと、相対化されちゃって「あれに似てる」「これに似てる」の元ネタ当てゲームになっちゃうのが切ないよね。
 驚くのは、中学生なんかでもオタクタイプの子は「これはBL」とか「これはブラコン」とか、自分が知っているテンプレートにすべて置き換えて、相対化しちゃうんだよ。
 で、手持ちのテンプレートにないような作品を見せるとハテナマークを浮かべて、解釈できなくなっちゃうという。なんかソフトウェアとハードウェアの互換性の問題みたいになってるんだよw
 これは、もう、私もそうだけど、オタク気質の不幸な部分だよね。純粋に作品を斟酌できないというのは。
 だから自分も本でも多読主義は警戒してるんだ。ニーチェもそんなこと言ってたじゃん。本の読みすぎに注意って。知識だけの人間は、本をめくっているだけで自分の頭で考えていないとか、そんなことあの人はどっかで言ってた(うろおぼえすぎる)。

 とはいうものの、1954年の映画に全然古臭さがないのは名作の証だよね。キャラクターの個性とか『アベンジャーズ』に匹敵するぜって。
 三船敏郎さんの菊千代は、もういろんな意味でおいしいキャラだっていうのは、すっごいわかるもんね。あの人は、侍と百姓の中間にいる、パイ中間子みたいなキャラだもん。
 ほかにも、痩せぎすのストイックな剣豪、久蔵さんとかもかっこいいし、島田さんの心意気だけで一肌脱いでくれた五郎兵衛さんなんかもよかった。まあ、みんな見ず知らずの人たちのために命かけてくれるんだから、超気のいい人たちなんだけど。
 あと助っ人探しに行くシーンで、結局味方になってくれなかったお侍さんとか、なんかリアルだったよな。「惜しいことしましたね、あんな剣客を・・・」とか言ってたから、これハリウッド映画では、絶対のちのち味方として再登場する伏線なんだけど、そういうあざとい真似は世界のクロサワはしないぞっていう。
 今の映画って多分、過去の作品にかぶらないようにするために、いろいろ複雑にしすぎなんだろうな。ディズニーでもアンパンマンでも、シンプルな作品を作るのっていうのが実はどれほど難しいか。そしてシンプルな作品ほど長く人に愛されるという。それを考えさせられました。
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