かぐや姫の物語

 「面白い度☆☆☆☆☆ 好き度☆☆☆ 地井武男さん☆☆☆☆☆」

 汚れてなんかいないわ。喜びも悲しみも、この地に生きるものはみな彩に満ちてる。

 ・・・えらいものを見た。小細工など必要ない天才料理人の職人技を見た感じ。オリジナリティってなんだろうって改めて考えさせる。気をてらう必要はない。普通に『竹取物語』という高校生の頃授業で読まされる、超有名な古典文学を順序通り見せてるだけなのにこのパワー。
 この前のまどマギは…あれだ、ケーキにイモムシ入れたようなドッキリ調理だったけど。料理はシンプルでいいっていう。
 とにかく、美術的にも、キャラの内面的にも、とんでもなくディティールが細かい。物語や映像の微分というか、解像度が高いんだろうな。
 翁が竹を切るシーンからもう引き込まれる。だって上の方の葉っぱが他の竹の葉っぱと引っかかってる感がすごいんだよw
 ほかにも粗末な扉の狭い隙間や、お琴の糸の隙間からわずかに(数ミリ)覗くキャラの動画とか、いちいち芸が細かい(琴のお稽古で、調子に乗った姫がエレキギターのように琴を変調させて弾くシーンは爆笑)。
 挙げ句の果てには人を殴る音のにぶさまで、やたらリアルだという。あんな音アニメで聞いたことないよw

 私は、つねづね、自分には日本のサブカル文脈が合わないな~って思ってた。わかるっちゃわかるんだけど、なんかああいうのが心の底から好きな人の情熱はわからないなあって。
 だから、巷で『エヴァQ』や『風立ちぬ』『まどマギ叛逆』がいくら盛り上がっていても、正直自分はそこまで心を揺さぶれず、歯がゆい思いをした。というか、どれも皆、ある種の拷問だった。
 とにかく脚本がハイコンテキストで複雑だったり(情報が未整理)、半分作者の自己満足だろ的な観念的な傾向があって、もっと原点に帰ってシンプルに作ればいいのにっていつも思っていた。

 そしたら、この有様ですよ。

 泣いちった。なんだよこれ。ウルトラセブン最終回かよって。
 シンプルな味付けなのに、なぜか味わい深い料理みたいな。たけしさん的に言うならば、超一流のタコの煮込みというか。タコに塩ふっただけなのになんでこんな美味いんだろうっていう。むしろタコという生き物そのものが美味いのか、そのタコ本来の素材の旨さを引き出せる料理人がやっぱりすごいのか・・・
 とはいえ、同じジブリ映画なのに、劇場は『風立ちぬ』と違ってスカスカ。やはり宮崎駿だから見に行くという人が多数派なのだろう。でも、フランスじゃないけど、こういうアニメはちゃんと正当に評価して、残していったほうがいいと思う。王道あってのジャンルの豊かさだと思うから。ちなみに予告編のシーン、あれ作中ですごい重要な意味を持ってます。

 さて、この映画は完成度が高すぎて、オイラみたいなもんが何を言っても野暮だし、もっと頭のいい人がいろいろ評論すると思うので、ここからは、もう余談ね(観に行きなさい)。
 この映画のキャッチコピーって「姫が犯した罪と罰」じゃん。この映画見る前に、私哲学概論の勉強しててさ、そのせいかわからないけれど、ミシェル・フーコーのこと考えちゃってさ。あのハゲ様。
 ミシェル・フーコーってポストモダンの思想家なんだけど、『監獄の誕生』って本で、19世紀あたりから残酷な身体刑は減ってきたけど、近代は罪人を一定期間監禁させるようになったよねって問題提起するんだ。
 それは、罪を犯した人に対する罰であると同時に、犯罪者を堅気の世界から一時隔離して、まっとうな市民に再教育するという矯正(訓育)でもあるとフーコーは考えた。

 それで、たけのこ姫なんだけど、姫が犯した罪と罰は一応作中で語られるんだ。姫が月に暮らしていた時、地球を見て泣いている人がいたんだって。
 んで、姫は「あれ?こいつ何で泣いてるの?」って地球に興味が出ちゃったらしい。そしたら、どうやら月ではそういった好奇心みたいな心のブレは犯罪的らしく、姫は地球に追放されてしまった、と。これが罰。
 でも、これってフーコー的に考えると、いろいろ不思議なところがある。まずなぜ、姫の記憶を消して、地球で人生を最初からやり直させたのか。
 仮に、憎しみも悲しみもない楽園が月ならば、その月の記憶を持ち越して、そのまま人々が欲望に負けたり、醜く争う地球に追放したほうがこたえると思うんだよな。早く月に戻してくれ~アタイが悪かった~ってなるじゃん。
 まあ、でもこれ地井武男の物語だから、そういう脚本にしちゃうとプリンセスメイカー地井さんが活躍できないからな!

 でも姫の本当の罰は、地球の嫌なところも素晴らしいところも踏まえたうえで、それでも大切に思う愛する人たちとの別れを経験させることだったんじゃないの?とも考えられるんだけど、これもやっぱり変で、地球での記憶は天の羽衣着ちゃうとなくなっちゃうらしいんだよ。
 これだと、せっかく地球で懲らしめたのに、それもリセットされちゃうことになる。なら初めから、地球に興味持った時点で姫の「地球に行ってみたいな」っていう記憶を、あの羽衣で消しちゃったほうが手っ取り早いだろって。
 ここら辺は、物語を盛り上げる要素だからって話なんだけど・・・でも高畑監督のことだから、もしかしたら合理的なつじつまが合うようになってるかもしれないじゃん(^_^;)

 地球の連中を汚らわしいという月の人も、感情のゆらぎがない割には、汚らわしい、汚らわしくないの判断は付くようだし、姫に対する親バカ丸出しの仕送りは、なかなか人間的だ。
 もしかしたら、みんな地球にすごい羨望の気持ちがあって、それをスポックのように合理で押し殺しているのだろうか。あそこはすっごい魅力的だけど、行ったら行ったで絶対辛いんだからって。だいたい、弓矢すらお花に変わっちゃう世界だからね。戦争肯定派なはずないよね。
 とはいえ、もともと地球人的な民族だったんだけど、なんとか高度に社会を発達させて、神の合理性を手に入れた、みたいな人たちとも考えられる。
 で、ときどき先祖返りじゃないけど、戦争はいけないよって言ってる某監督が、兵器見てチンがタオするように、昔の動物的な本能に、惹かれてしまうのかもしれない。

 私は生きるために生まれてきたのに。鳥やけもののように。

 だいたい、あんま月の人たち楽しそうじゃないからね。そもそも感情がないから仕方がないんだろうけど、苦しみや悲しみ、怒り、憎悪といったネガティブな感情は、喜びや楽しさ、愛みたいなポジティブな感情と表裏一体だからね。
 しかし、こういうSFって結局人間賛美になっちゃうのが、ちょっとお決まりの流れというか人間本位的だよね。もちろん私も人間だから、人間に生まれてきてよかった~って感動はするけど、やっぱミミズやオケラは感動しないよなあって。
 宇宙を支配するすっごい超越者が出てきても、結局「人間っていいな」みたいな流れになるじゃん。Qべえですら、この前「人間の感情は制御しきれないよ~」とか言ってたし。そこは、やっぱり超越者の、世界外存在の矜持みたいなもの見せて欲しいよね。

 まあ、そうなると月の人たちは、姫を地球に追放して、本当は「地球ってサイテー。二度と行きたくない。月の皆さんごめんなさい」って展開を予想していたとも考えられる。
 それが、思いのほか、おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。的な流れになっちゃって、だから焦って記憶抹消装置を満月の夜に持ってきたのかもなあ。
 そういえば、私たちも、ふと理由もなく涙を流すことがある。特に歳がいくと多いけれど(^_^;)あれってなんなんだろう。人生の切なさに涙しているのだろうか。
 この映画には「戻ってくる」を感じさせるシーンがわりとある。もちろん姫は月に戻るし、里山のお兄ちゃんも再び山に戻ってくる。しかしそれは、閉じた円環構造ではない。
 同じような毎日が繰り返されるようでいて、少しずつ変わっていってしまう不可逆性。それこそが人生の切なさであり素晴らしさなのかもしれない。

 死んだんじゃない。見てごらん。木はもう春の支度をしているんだ。
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