キャプテン・フィリップス

 「面白い度☆☆☆☆ 好き度☆☆☆☆ 疲労効果☆☆☆☆☆」

 キミは漁師じゃない!キミは漁師じゃない!!

 ついに2013年も、残りひと月ですよ・・・ひええ。まあいいや。あのオバマ大統領も絶賛した、ソマリアの海賊によるコンテナ船船長人質事件の映画。イエス・ウィー・パイレーツ。
 しっかし、この監督さんの映画は面白いし、取り上げるテーマも好きなんだけど、とにかく観終わったらクタクタになる(^_^;)もう人質から解放されたることフィリップスのごとし。
 イラク戦争の大量破壊兵器あんのか疑惑を取り上げた『グリーン・ゾーン』に似ているってのは、なるほど。物語の舞台は違うものの、ポール・グリーングラス監督は勧善懲悪みたいには絶対しない。
 前回は、義足のイラク人タクシー運転手が、アメリカの向こう側の世界の代弁者だったが、今回は海賊のリーダー、骸骨男のムセくんがそのポジションで、名優トム・ハンクスと演技の面でもガチンコ勝負!
 フィリップス船長とムセ船長、二人のリーダーのギリギリの駆け引きが、クタクタになるまで見られますw

 私は10月まで海賊を題材にしていた小説を書いていたんだけど、あれは17世紀あたりのいわゆる海賊黄金時代の海賊の話で、現代の海賊はほとんどノーリサーチだった。
 もう電子機器で船を動かす時代なわけで、かつての海賊のイメージとは全然違うだろうなって。 
 んで、この映画で、そのソマリアの海賊の実情が描かれていて心をグッサリ。ただカラシニコフを持っているってだけで、普通のヤンキーの子達と変わらない。普通のヤンキーの子っていう定義がわからないけど(^_^;)純粋で可愛い面もあるってことね。
 ムセ船長もおそらく中学三年生くらいで、あれくらいの年齢の子は、中には、ちょっとヤンチャしたくて深夜にバイク股がったりするんだけど、ムセ船長はそんな軽いノリで、海賊行為をしているわけではない。

 これはワンピースじゃねえんだ!
 
 まるで暴走族の背後に暴力団員がいるように、少年海賊の背後にはソマリアの将軍がいる。『ロード・オブ・ウォー』もそうだけど、北アフリカのこういう軍人って、国民を命懸けで守るどころか、とんでもなく残忍なチンピラと一緒で、めちゃめちゃ怖い。
 あの漁村?にまともな学校がある感じには思えないし、結局彼らは強欲な大人に酷使されているだけ・・・たいていの場合子供よりも大人の方が一枚も二枚も上手なのだ。
 でも、そうなると、ムセ君たちは海賊ではなく、厳密には私掠船ということになる。て、ことは、これは単なる犯罪行為ではなく、もっと大きな国際問題だ。

 3万ドルをもらって逃げていればよかったのに・・・ 

 それじゃ足りない。ボスの締め付けが厳しい。


 しかし、フィリップス船長はすごいよ。触れ込みでは、仕事に真面目なただの平凡な海運会社の船長って感じだったけど、あの人の機転がなければ、事態はもっとむごいことになっていたと思う。
 もちろん事前に危機管理マニュアルとかがあって、いろいろ学んでいたんだろうけれど、それでもマジで海賊が乗り込んできたら、もうパニックで何していいんだかわからなくなっちゃうよな。
 自分にはあんな機転は効かせられないからなあ・・・田代船長はあのちびっこギャングに5回は殺されてました・・・orz海運会社にだけは勤めるのやめよう。
 最もドキドキしたのは、映画などではお馴染みの「○○のありかを言え。30秒以内に言わなければこいつを撃ち殺す」なんだけど、普通のアクション映画なら、もう全然リラックスで鼻ほじってると思うんだけど、この映画って全編ドキュメンタリータッチで、臨場感すごいから、あの状況がいかに恐ろしいものか一周回って痛感する。

 んで、やっぱり船長はお馴染みの「やめろ!部下を撃つなら私を撃て!」というかっこいいことを言うんだけど、あれ、多分、ああいう立場になっちゃったら、あれを言うしか選択肢がないと思うんだよ。
 もし、自分の家族や、生徒に銃を向けられたら、やっぱ言っちゃうんじゃないかって。もちろん自分が死んでいいわけないんだけど、つまり、銃を突きつけている少年をある種信頼して、食い止めるしかないよなって。
 今の子供には「やるならやってみろ」は絶対言っちゃダメだという。それは今の子達は大人の想像以上にずっとピュアで、人は死んでもテレビゲームのようにリセットされて生き返ると、なんとなくの狭い経験で考えているからだ。
 つまり、オレ様化時代の彼らには、世の中には自分の理解が及ばないことがあるという理解が理解できない(しようとしない)。
 だから、死も自分の理解できる範囲で矮小化して解釈してしまう。これは怖い。その程度の死の理解では、人を殺すことをためらわないだろう。
 戦って死んだらウハウハハーレムだ!って信じる人が、ジハードで無差別自爆テロをやってしまえるように。

 しかし、それに疑問を呈した哲学者がいる。ユダヤ人のレヴィナスという人だ。タルムード研究にも熱心だったレヴィナスは、いわゆる自己責任論を「人間の責任というのはそのような対等な関係では推し量れない」と批判し、「人間の顔を見ればわかるように、人間は生まれもって他者を信頼して無防備な状態でいる」と考えた。
 顔は傷つきやすく、か弱い、人間の心理を正直に暴露させ、他者にこのように命令している。「汝、殺すなかれ」と。
 つまり、人間は相手の顔をずっと見つめながら、その人を殺すことはできない。絶対に目をそらすだろうし、犯罪者がショッカーみたいに自分の顔を隠したり、犠牲者の体をバラバラにしてしまうのもそのためなのかもしれない。
 レヴィナスは、人間の顔が発する、この「汝、殺すなかれ」という一方的な命令に応える責任があるという。
 その責任とは、非対称なものである。だって、自分は自分、人は人なら、そんな自分とは関わりのないことに対して責任を負う必要はないからだ。レヴィナスの責任とは、ギブアンドテイクではなく、無償の愛なのだ。

 ユダヤ人の強制収容所に収容された人たちが、なぜあんな絶望的な状況で自分の人生を投げ出さなかったかというと、それは収容所の外で自分を待ってくれている愛する人への責任があるから。「他者をその死に際して置き去りにしてはならない」のだ。
 きっとフィリップス船長は、ムセ君の、その“責任”に賭けたんじゃないだろうか。いくら現代っ子で、ひどい国に生きているからって、彼にも愛する家族や部下の子達がいる。
 だから辛抱強く言葉を投げかければ、絶対に通じてくれる。そう信じて「部下を撃つなら私を撃て」と叫んだ。
 ムセ君の刑期は33年だという。彼が釈放されたとき、ソマリアは平和な国になっているのだろうか。

 最も危険なことは、生きる目的のない若者に銃を与えることだ。(ポール・グリーングラス監督)
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