政治学覚え書き⑫(国際政治)

 今回は国際政治を。そろそろ政治経済の勉強はクライマックス。いや~詰め込んだ。だんだん問題も解けるようになってきて7割くらいはわかる。でも、最終的にはコンスタントに8割以上は取りたい。あわよくば9割。それくらい頑張ってもダメなら、私は理科に逃げます!逃げは戦いの内。

グロティウス
コナミのシューティングゲームではない。17世紀のオランダの法学者で国際法の父と言われる。
17世紀、神聖ローマ帝国は宗教上の対立が続き、オーストリア領のボヘミア(ベーメン)の王となったハプスブルグ家のフェルディナント2世は新教徒を弾圧。新教徒の方は反乱を起こし、ほっときゃいいのに周辺国は旧教、新教それぞれの勢力を支援、その結果ヨーロッパ全土を巻き込む泥沼の戦争となった(ドイツ三十年戦争)。
この戦争の戦後処理のために1648年に開かれた講和会議で締結されたウェストファリア条約は世界初の国際法と言われている。
一定の領土と一体感のある国民が作る国民国家の概念が誕生し、各国家は互いに平等で独立した主権を持つことが確認されたのだ。
グロティウスは、この三十年戦争の悲惨な経験を踏まえて『戦争と平和の法』を著し、国際社会においても国家が服すべき自然法があると論じた。
彼の業績を記念して、オランダのハーグには国際司法裁判所(ICJ)が置かれている。
ちなみによく似た組織に、2002年にできた国際刑事裁判所(ICC)があるが、こちらは国家ではなく国際犯罪を犯した個人を裁く裁判所。

外交使節
大使や公使は受け入れ国の合意(アグレマン※フランス語)を得て着任。治外法権免税特権が与えられ、身体、名誉および公館や文書の不可侵権を持つ。
『アウトレイジ』の一作目では、このルールを逆手にとってヤクザが大使館でカジノを経営していた。たけしさんによれば実際にある話らしい。

国際会議
ナポレオン戦争後のウィーン会議(1814~15年。王政復古や市民革命の再発防止など)、ベルリン会議(1878年。ロシアとトルコの露土戦争後、なんとか両国の対立を丸く収めようとビスマルクが主催した会議)などが有名。
オランダで行われたハーグ平和会議(1899、1907)では、紛争の平和的解決にあたる常設仲裁裁判所(平和宮。国際司法裁判所の前身)が創設。
また、毒ガスなどの非人道的兵器(人道的な兵器ってあるのか?)の使用を禁止する戦争のルールを定めるハーグ陸戦条約を制定。

国際法の性格
①統一立法機関の欠如
国際法は当事国間の文書による合意である成文国際法(条約など)と、国際社会の慣習が積み重ねられて形成された国際慣習法(公海自由の原則など)の二つがあるが、法のように議会で制定はされていない。
②強制力の欠如
国際法を破っても、それに対する制裁規定に欠ける。国際連盟がいまいち上手くいかなかったのは、この制裁手段がなかったからという説がある(もうひとつは全会一致制により、なかなか重要な決定が決められなかった)。
さらに国際司法裁判所も、対立する一方の国が裁判を拒むと裁判は起こせない(強制管轄権がない)。例えば日本と韓国が争う竹島をめぐる領土問題では、日本は国際司法裁判を持ちかけたが、義務的管轄権を受託していない韓国はそれを拒否した。

国内社会と国際関係
国内社会には、中央集権的な政府が存在するが、国際関係においてはそのような各国家の上位に中央集権的な権力(超国家、世界連邦)が存在しない。それぞれの国家が平等に並立している分権状態となっているのだ。
また国際連合も、加盟国の上位にある権力ではないとされている(国際法は国家間の合意によって法的拘束力が生じる)。このような状態をアナーキーという。
アナーキーな状態をどのように考えるかは、リアリズムとリベラリズムによって相違がある。
リアリズムはホッブスの悲観的な人間観を受け継いでおり、アナーキーな状態では常に対立が発生し(権力闘争)、国家同士が協調関係を築くのは困難であると考える。
国家は自分の国の安全保障を第一に考え、利己的に行動するというのだ。よって各国家は自国の安全保障のためにより大きなパワーを保持しようとする。
これに対してリベラリズムは、各国の国境を越えた経済的、社会的な交流や、それに伴う国民の認識の変化などに注目し、国家の行動は軍事的な安全保障のみで成り立っているわけではないと考える。
国際関係においても相互利益や共同体意識が存在し、それに基づく協調は可能であり、リアリストが考えるような権力闘争は定常化しないとする。
この考え方は人間は自然状態では平和であるというロックの流れを汲み、国際関係と国内社会のアナロジー(類推)を支持するという点でもリアリズムとは異なっている。

ナショナリズム
国民主義、国家主義、民族主義・・・全部ナショナリズム。フランス革命で始まった国民主義は、やがて国家主義に発展。さらに植民地ナショナリズムは独立運動(民族自決)として燃え上がることに。
エスニック・ナショナリズムは、国民を言語、文化、外形的同一性を長期に共有してきたものであると定義し、その歴史的一体性を強調するタイプのナショナリズム。
シビック・ナショナリズムは、国家を構成するメンバーが、その政治的原理に賛同し自らそこに所属したいと希望することが重要であると考えるタイプのナショナリズム。
ちなみにナショナル・インタレストといった場合は国益を指す。

コスモポリタリズム
国家を超えて平和共存のための制度や条件を探求する思想。
もともとは古代ローマのストア派の哲学者が、ポリスを超える人類全体の共同体をコスモポリスと言ったことに始まる。
この思想の一つの完成形が、私が大学一年生の頃に買わされ&読まさせられたカントの『永遠平和のために』で、ここですでに国際連合的なアイディアが書かれている。
この元ネタになったのがサン=ピエールの『永久平和論』で、この人はカントだけでなくルソーにも影響を与えている。
現在のインターナショナリズム(国際主義)に近い。

サミット(主要国首脳会議)
1973年の石油危機による世界経済の打撃を受けて、1975年に開始された。
最初は経済問題をテーマにしていたが、80年代にはソ連のアフガニスタン侵攻を受けて政治問題も取り上げるようになった。
冷戦が終わった90年代にはロシアも参加し、2001年のジェノヴァサミットではグローバル化に反対する大規模な抗議デモが起きた。
2008年の洞爺湖サミットでは環境問題が話し合われている。
参加国は、アメリカ、イギリス、フランス、イタリア、ドイツ、カナダ、日本、ロシアの8ヵ国(G8=グループ・オブ・エイト)だったが、2014年にロシアは参加を停止されている(ウクライナに強引に軍事介入したため)。

戦争法規
戦争開始に関する条約(1907)では宣戦布告なしの開戦は違法とされ、戦争の放棄に関する条約=不戦条約(1928)では侵略戦争を否定している。でも現実ではしばしば無視されている。
例えば、第一次世界大戦の反省で、世界はワシントン会議やロンドン会議を開き、軍縮に向けて頑張ったが(ワシントン体制)、結局ドイツが宣戦布告なしでポーランドに侵攻、もう一度世界大戦が起きてしまった。
その後、兵器の性能がすごいことになり(オーバーキル)、次に世界大戦が起きたら本当に人類は全滅する可能性があるので、国際社会は国際連盟をパワーアップさせた国際連合を組織し、二度とファシズムの侵略を許さないことを誓った。
ちなみに国際連盟はウィルソン大統領の呼びかけでできたけど、国際連合を名づけたのはルーズベルト大統領だ。
大西洋憲章(1941)ダンバートン=オークス会議(1944)の成果(国連作ろうぜ?)から、米英ソの首脳はヤルタ会談を行ない、国際連合の運営の方針や原則を話し合った。
全会一致でないと何も決められなかった国際連盟の失敗を踏まえて、国際連合では、安全保障理事会の機能が拡大(五大国一致の原則)、また、勧告や経済制裁だけでなく軍事的制裁も可能になった。
ただ基本的には内政問題は不干渉で(内政不干渉の原則)、アフリカの紛争にどれほど介入したらいいのかが議論になっている。

安全保障のディレンマ
安全保障のディレンマとは、国際関係がアナーキーである場合、国家が自分の国の安全保障を高めようとして行なう防衛力の増強が、他国の安全保障を相対的に低下させ、国家間の軍備拡張戦争が激化、結局どの国も安全保障が高められないことを言う。
国際関係において、安全保障のジレンマを回避するための主なアプローチには「パワーの配分による安定」と「国際規範や国内要因を重視する」アプローチの二つがある。
「パワーの配分による安定」とは、各国が勢力的な均衡状態になれば、国際関係と各国の安全保障を両立できるという考え方であり(勢力均衡)、国際関係の中核にパワー(国力)を考えるリアリズムの立場とも言える。
もうひとつの「国際規範や国内要因を重視する」アプローチとは、国際的な規範や各国共通の利益によって安全保障を達成しようとする考え方で、国際関係の中核に対話を置くリベラリズムがこれにあたる。
そのひとつが集団安全保障で、国家間の問題を戦争によって解決しないと合意した複数の国家が、他国を武力攻撃した国家に対して制裁を加えることで、集団的な安全を保障するという考え方である。
また核軍縮条約といった国際制度による安全保障や、経済的相互依存論のような協力関係の構築を通じて紛争を回避するという協調的安全保障などもある。

核軍縮問題
第二次大戦後すぐに仲違いしたアメリカとソ連は冷戦に突入、アメリカのトルーマン大統領はトルーマン・ドクトリンという共産主義国と徹底的に戦う軍事原則を打ち出し、その一環として西側諸国に経済的な援助を行なった。これがマーシャル・プランである。
ソ連の方も西側陣営と戦うためにワルシャワ条約機構やコミンフォルム(国際共産党情報局)、COMECON(東欧経済相互援助会議)を結んで対抗する。

米ソは核抑止という恐怖の均衡状態を作るためにせっせと新型核兵器を開発する。
45年:アメリカ原爆開発&投下。
49年:ソ連原爆開発。
50年:ストックホルム=アピール採択(核兵器の製造と使用の禁止)。
52年:アメリカ水爆開発。
53年:ソ連水爆開発。
54年:第五福竜丸事件(アメリカの水爆実験で日本の漁船が被爆)。
55年:第一回原水爆禁止世界大会(広島)。
アメリカ、ロシア、イギリス、フランスのジュネーブ4巨頭会談(1955))が実現。
57年:パグウォッシュ会議(著名な科学者が核兵器に反対)。

それと同時に世界の覇権を争い、朝鮮戦争(1950~53)、ベトナム戦争(1965~73)、中東戦争やアフリカ諸国の民族紛争介入など、世界各地に争いの火種をまいた。これを米ソの代理戦争という。

60年代に入ると、核保有国は米ソ以外にも増え、イギリス、フランス、中国も保有するようになる。これを受けて、核保有国は核の管理を目指すようになった。
63年の部分的核実験禁止条約(PTBT)では地下核実験を除く大気圏内、宇宙空間、水中での核実験を禁止。
68年の核兵器不拡散条約(NPT)では、採択時に既に核兵器を保有していたアメリカ、ソ連、イギリス、フランス、中国以外の国が核兵器を新たに保有することを禁じた(非保有国は国際原子力機関(IAEA)の核査察を受ける)。この要約は米ソに有利な条約だとフランスと中国は長いあいだ加盟しなかった(冷戦後の92年に加盟)。
全面核戦争の危機は、米ソを平和共存へと向かわせ、1962年にキューバ危機が起きると、米ソにはホットラインが結ばれるようになった。

さらに日本やドイツ(特に西。そのため、西ドイツへの亡命を防ぐベルリンの壁が61年に建設される)が大きく経済発展をし、アメリカの地位は相対的に低下、冷戦構造は多極化の時代になる。
その上、同じ社会主義国であるはずのソ連と中国も対立、欧米の植民地だったアジア、アフリカの国もどんどん独立し、米ソどちらの勢力にも属さない第三世界を形成するようになる。
第三世界は、インドネシアのバンドンでアジア=アフリカ会議(1955)や、旧ユーゴスラビアのベオグラードで非同盟諸国首脳会議(1961)を開いて結束し、国際連合においても発言力を強めた。
ちなみにアフリカで17の新興国が生まれ、国連で植民地主義の集結(植民地独立付与宣言)がうたわれた1960年はアフリカの年と呼ばれた。

ヨーロッパでは1975年に全ヨーロッパ安全保障協力会議(CSCE)が開かれ、東西対話路線を示したヘルシンキ宣言を採択した。

80年代になると、懲りないアメリカ(レーガン政権)は、宇宙に監視衛星をばらまき、飛んできた核ミサイルを早急に察知、地上で迎撃するという戦略防衛構想=スター・ウォーズ計画(SDI)を実現しようと再び軍拡を始め、ソ連もこれに対抗しようとしたため新冷戦が始まった。
しかし軍拡競争はとんでもなくお金がかかり、ソ連は国民生活を犠牲にしてミサイルを作った(バターより銃)。また1979~89年のアフガニスタン侵攻も出費がひどく、85年に誕生したゴルバチョフ政権はペレストロイカ(=改革)を実施、軍縮へ舵を切った。ゴルビー(馴れ馴れしい)は、外交でもデタント(緊張緩和)を進め、ブッシュパパ&ゴルビーのマルタ会談(1989)で冷戦の集結を宣言した。
この間、アメリカとソ連は戦略兵器制限交渉(SALT)、中距離核戦力(INF)全廃条約を結んでいる。

90年代に入ると、アメリカとロシア(ソ連崩壊)のあいだで戦略兵器削減条約(START)が調印(Ⅰが91年、Ⅱが93年)。95年に核拡散防止条約(NPT)を無期限延長、その翌年には包括的核実験禁止条約(CTBT)を国連で採択した。これにより地下核実験もアウトになった。
ちなみに93年には化学兵器禁止条約、97年には対人地雷全面禁止条約が調印されたが、これは日本の防衛庁(現防衛省)がすごい嫌がったという(島国ジャパンの海岸線を守るために役に立つため)。

00年代では、アメリカの同時多発テロなどの国際情勢の変化を受けて、93年に結ばれた第二次戦略兵器削減条約(STARTⅡ)が未発行となり、その代わりに2002年に戦略攻撃兵器削減条約(モスクワ条約)が結ばれた。
さらに2010年、STARTⅠの光景となる包括的な核軍縮条約として新STARTが結ばれた。

ちなみに、核兵器は射程距離で以下の3つに分類される。
戦略核兵器:長距離。攻撃規模も広域。広島や長崎に落とした原爆や、大陸間弾道ミサイル(ICBM)など。
戦域核兵器:中距離核兵器。法の網の目をかいくぐる形で主にヨーロッパに配備されたが、87年のINF全廃条約によって陸上のものは91年までに全廃。博物館の冷戦コーナーに飾られている。
戦術核兵器:短距離。攻撃規模は特定のターゲット(歩兵や戦車など)。

地域紛争問題
ロシアは現在、周辺諸国と独立国家共同体(CIS)という体制を敷いているが、チェチェンやグルジア、ウクライナと情勢が不安定な地域が多く、今なおテロが起きている(というか、ついこないだも起きた)。
ヨーロッパでは1990年にヨーロッパ通常戦力条約(CFE)を調印、70年代のCSCEを発展させた全ヨーロッパ安全保障協力機構(OSCE)を作った。
さらに92年にはマーストリヒト条約を結び、欧州連合を結成している。

しかし2000年に入っても紛争は無くならず、というか根強いやつが長期化しており、イスラエルVSアラブ諸国は第四次中東戦争が終わってもパレスチナ問題として未だに深刻な状態が続いているし、イラクではブッシュ親子による湾岸戦争とイラク戦争が起きた。
多民族国家であった旧ユーゴスラビアは5つに分裂、ボスニア・ヘルツェゴビナでは武力紛争、セルビア人が多い新ユーゴではコソボ問題が起きて2000年にNATO軍による空爆が行われた。
中南米でも政権が不安定な国があり、アフリカでは民族よりも小さな単位である、部族レベルで虐殺が起きている。
これらの紛争により、世界中で多くの人が難民になり、深刻な国際問題になっている。
こうした難民を保護しているのが緒方貞子さんで有名な国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)であるが、難民の数があまりに多すぎて十分な活動は行なえていない。
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