政治学覚え書き⑬(選挙制度と投票行動)

 なんか急に40年ぶりとかいう大雪が降って、見事に体調が悪いんですが(エンドレス鼻水)、今日は東京都知事選の投票日ってことで、選挙をまとめるのにこれ以上の機会はないってことで、頑張ります。

 マイケル・ムーア監督の『キャピタリズム~マネーは踊る~』では(もう何回観たんだろうか)、資本主義が民主主義と対立する概念だと描かれていた。これに町山さんをはじめ、多くのにわか社会派評論家は突っついた。
 つまり、資本主義はひとつの経済の仕組みであって、政治形態である民主主義の対立概念にはならないということだ。もちろん私もそうだと思ってたから「むむ?」(C)川平慈英って思ったんだけど、実を言うとムーア監督はこれを意図的にやってたどころか、政治経済の歴史をしっかり勉強すれば、この対立モデルは正しいことがわかった。
 つまり知ったかぶりをして恥をかいたのは町山と私だったのだ。
 どういうことか説明しよう。作中ムーア監督はしきりに「資本主義とは自由競争制」という定義を強調していた。つまり資本主義とは自由主義に基づく経済システムであることが分かる。
 そして、歴史を振り返るに、この自由主義と民主主義は対立概念であった時代があるのだ!今では当然のようにセットで語られることが多い、自由主義と民主主義。
 では、この二つは何が異なり、どういった事情で戦っていたのか。まずはそこから。

自由主義と身分制議会
古代のギリシャやローマで行われていたデモクラティアと、近代以降のデモクラシーには大きな違いがある。前者は限られた人口と有権者(女性と奴隷、外国人に投票権なし)による直接民主制であったのに対して、後者では国家の規模が大きいため代表制民主主義にならざるを得ない。
そもそも、この代表制の起源は中世~近世の、厳しい制限選挙によって議員が選出される身分制議会であり、特にこの機能が拡大したのがイングランドで、議会が最高立法機関になった。
したがって、議会に自分の代表を送ることができたのは、たくさん税金を納めているような金持ち(貴族や平民の財産所有者)だけで、言ってみれば財産を持つ者こそが自由人にふさわしい経済的、精神的独立を維持し、健全な政治的判断ができるということで、制限選挙が正当化されていたのだ。
18世紀にバークが提唱した国民代表の観念(政治家は自分に投票してくれた人の召使ではなく、優れた政治的判断力はまずもって国家全体の利益のために使われるべきだという考え)、このようなエリート支配を支えるものになった。
こういった考え方は、すでに古代ギリシャからあって、プラトンは「民主制とは貧しく無知な民衆とそれを操る扇動者による堕落した形態」であると認識していた。そもそもデモクラティアとは衆愚政治のことだし。
よって経済的に自立した自由人が行う政治体制が自由主義的な代議制ならば、それはすぐに民主主義と結びつくものでなかったことが言える。

民主主義と人民主権論
近代で民主主義的な思想が復活したのは、16世紀の宗教戦争で「神の前では一切の人間は平等」というイエスの教えをリアルな社会にまで適用しようとプロテスタントが主張したからだ。
ユグノー(新教徒)急進派は、カトリック支配への武力抵抗を呼びかけるために、人民こそが政治的権威の究極的な源という人民主権論を展開、ピューリタン革命でもっともラディカルな思想を持った水平派は、この考えを下に国王なんてなくして、男子普通選挙法を実施しろと要求をした。
このような議論は、宗教戦争の混乱が終わると、それと一緒に収束してしまうが、18世紀に入り、この考え方を制度論的にしっかりと考えたのがルソーだった。
ルソーは古代ギリシャの直接民主制といった古典的な民主主義に影響を受けていて、この考え方はアメリカの独立やフランス革命の原動力となったが、革命後の体制はルソーの言うような直接民主制ではなく、制限選挙による代表制を採用した。
それくらい民主主義は急進的だったのである。

エリートVS大衆
結局、カトリック教会や絶対王政、身分制という共通の敵を倒すために、自由主義と民主主義はそれぞれ独立して戦ったのだが、自由主義(エリート支配)は民主主義に、民主主義は自由主義にそれぞれ脅威を感じるようになった。
19世紀になり産業革命とそれに伴う労働者の増加は、選挙権拡大運動へとつながり、さらに私有財産権すら廃止しろという社会主義思想が加わることになった。
民主主義化された社会に警鐘を鳴らしたのがトクヴィルで、民主主義は、多数派が数の論理で少数派の権利を踏みにじる多数の暴政をもたらす危険性があるとした。
さらに、平等な社会とその画一化は、社会から孤立し、私的な世界に閉じこもる自己中心的な個人を生み、そのような個人は簡単に多数派の意向に同調、利益誘導でちょちょいと人間の自由を抑圧する穏和な専制ができてしまうと考えた。
とはいえトクヴィルによれば、民主主義の発展は歴史の必然、不可抗力なのだという。
さて、こんな感じで始まった民主主義だったが、新たに選挙権を得た労働者階級が、一部の論者が恐れていたほどのラディカルな改革を求めず、既存の自由主義的体制の範疇で行動することが判明(※)、ここでやっと自由主義と民主主義は合体した。

※:この前読んだオルテガの『大衆の反逆』でまさにそういった部分があったのだが、紛失してしまった!

その後、参政権は女性や異なる人種に拡大され、エリートVS大衆というわかりやすい二元的モデルはダールのポリアーキー論(少数のエリートではなく複数の少数集団によって政治が行われているという考え方)などによって棄却されるに至った。
つまり、多元的民主主義という時代が始まったわけで、異なる見解を持つ人々がどのように合意形成を図るべきか、つーか図れるのかはいまだに議論がある。
ロウィは『自由主義の終焉』で、多元主義の実態は、利益集団間のインフォーマルな交渉で政治的決定が行われる利益集団民主主義だと批判した。
こういった多元的民主主義を打破する、ひとつのアイディアとして国民投票を積極的に導入したり、地方自治体、職場、学校にも民主主義システムを入れるという参加型民主主義という考え方がある。
これにより、みんなが偏狭な自己中心性から脱して、公民的資質を持つ成熟した存在に成長していけばいいんだよ、と考えたのが、ハンナ・アーレント(労働レイバー、仕事ワーク、活動アクションの三段論法)をはじめとする思想家だ。
なんにせよ、デモクラシーをどう捉え、どうやって運営していくかは未だに決着がついていない。まあ、選挙戦のゴタゴタ見てればわかるよね。

選挙制度の分類
①選挙区制②投票方式③代表制の3つの側面からそれぞれ類型化ができる。
選挙区制では選挙区の定数が一人の小選挙区、定数が複数の大選挙区(実態では10~20)、大選挙区の一種で定数が2~6の中選挙区の3つに分類できる。
次に投票方式で類型化すると、一人の候補者名を書く単記投票制と、複数の候補者名を書く連記投票制に分類できる。
前者は小選挙区制、後者は大選挙区制に対応する。
連記投票制は、選挙区の定数と同じ数の候補者名を連記する完全連記投票制と、定数よりも少ない制限連記投票制に分けられる。
ちなみに日本の中選挙区制は、単記非移譲式(単記制で落選者の票が第二希望の有権者に移譲ができない)という独特な投票方式をとっている。
最後に代表制の側面で分類すると、多数代表制と、比例代表制に分けられる。
多数代表制は相対多数制(投票数に関わらず最も多く得票した候補者が当選)と絶対多数制(過半数の投票を得ないと当選できない)に分けられる。
比例代表制は選挙区全体の議席数を各党の得票率に比例するように配分する制度で、日本ではドント方式(各党の得票数をあらかじめ1、2、3…と整数で割り、その商の大きい順に議席を割り当てていく方式)が採用されている。ちなみに商が同じになった場合はクジで決めるらしい。足利義教か(^_^;)

日本の選挙制度
日本の選挙では衆議院選挙が小選挙区比例代表並立制を実施。
全国に小選挙区が300箇所。比例区は地方ブロックごと(拘束名簿)。定員480人…だったが議員定数削減で475議席に減った。0増5減(小選挙区が5議席減った)。
ちなみに小選挙区と比例代表の両方に重複立候補ができるため、ある政党が大勝すると杉村太蔵的に泡沫候補が棚ぼた当選することもある。
参議院選挙の選挙区は都道府県ごとで議席数は選挙区によって違う(1~5人区)、比例区は全国統一である(非拘束名簿)。定員は242人…だったが2018年の自民党の強引な6増法案で248人になった。さらに特定枠という選挙運動を行わなくても拘束名簿方式で当選させることができる制度が比例区に追加された。
6増法案が通ったため、その半数の124人が3年ごとに改選される(選挙区で74人、比例区で50人)。
また、公職選挙法の改正により、2000年から外国にいる有権者が投票できる在外選挙、2003年から期日前投票制度が導入、さらに2016年から選挙年齢が18歳に引下げられた。

一票の格差問題
現在では、どの都道府県でもとりあえず一議席は与えてやろうという1人別枠方式が取られているが、都道府県によって人口のギャップがありすぎるため、例えば神奈川県の有権者の一票に対する島根県の有権者の一票の影響力が2倍以上になり、違憲状態となっている。
これを解消するために、現在取り沙汰されているのが、単純に都道府県ごとの人口をある決まった定数で割って、適切な定数を決めるというアダムズ方式だが、これだと議員定数の削減になる反面、定数ゼロの県もできてしまうため、賛否両論となっている。
ちなみにアダムズとはこれを考案したアメリカの第6代大統領ジョン・クインシー・アダムズのこと。詳しくは映画『アミスタッド』を観よう。
6増法案も建前としては、この一票の格差が参議院で3倍になるのを防ぐために採決された(埼玉の選挙区を6から8に増やした)。

投票行動の分析
一般大衆が政治に参加する時代になったわけだけど、その政治的行動を分析する方法は大きく二つある。ひとつが集計データ分析で、各選挙区ごとのそれぞれの政党の得票数を調べることで、その国の政治を分析する。
もうひとつが個人レベル・データ分析で、世論調査みたいに、人々の意識をひとりひとりに質問することで、個人レベルのデータを集め、それを分析する。
最近はこっちが主流だが、それは20世紀半ばのアメリカで、有権者の投票行動を行動主義心理学的なアプローチで研究することが増えたからである(行動科学的政治学)。つまり、集計データだけでは有権者の心理学的傾向と実際の行動との結び付きが分からないのだ。
例えば、集計データ分析で「黒人が多い地域では識字率が低い。よって黒人は識字率が低い」という調査結果が出たとして、個人レベル・データ分析をしてみると、その地域で識字率を下げていたのはもっぱら白人だった、なんてこともあるのだ。

エリー調査
1940年にコロンビア大学で実施された大統領選挙における世論調査で、行動科学的政治学を大きく発展させた調査として有名。
一般的な有権者が大統領選でどの候補に投票するかは、各候補者の公約によってではなく、有権者自身の社会的、経済的地位、居住地域、宗教などの社会学的要因によって決まるというのだ。
また、有権者が誰に投票するかは、あらかじめ早い時期から決まっていて、選挙運動の影響は大して受けていないらしい。
さらにエリー調査は、一般の人々はマスメディアから直接情報を得るよりも、オピニオンリーダーから情報を得るという仮説も示した。これによれば、マスメディアによって投票を変えた人(改変効果)はわずか全体の8%だったという。
しかし50年代からテレビという幸せな箱が登場、マスメディアが有権者に与える影響はずっと大きくなっていく。

ミシガンモデル
ミシガン大学では、1948年以降、大統領選になると全国世論調査を行っているのだが、それによるとアメリカの有権者の多くは、候補者が打ち出す政策よりも、子どもの頃に家庭や地域の人に受け継いだ政治支持態度(政党帰属意識)に基づいて投票を決める場合が最も多いと言う。
さらに、政策争点で判断するよりは、各候補者の見た目やイメージで投票を決めていると言うのだ。この結果は、アメリカの有権者が近代民主主義理論が掲げた合理的有権者像とあまりにかけ離れており、あれ?もしかして衆愚政治やってない?という可能性を示唆するものになったのだ。

政治的無関心(アパシー)層
ミシガンモデルを踏まえるならば、支持政党がない人は政治にあまり関心がないのでは?ということになるのだが、日本で考えると支持政党なしの有権者(無党派層)が急激に増えるのは、自民党の55年体制が崩壊した93年頃、すなわち政局が流動的になったことに関係がありそうで、支持政党なし=政治に興味なしとは直ちに言えない状況になっている。
これは、自民党、民主党どちらの人気も衰えた2010年以降、特に顕著である。テキストによれば、政党によって候補者を決めるのは、情報コスト的にこれまで最も合理的だったが、現在はどの政党もだいたい同じことを言っていて差別化が難しくなったことが、無党派層の拡大の原因に挙げられるという。
確かに、他の政党と全く独自の公約打ち出してるの日本共産党くらいのものだわ(^_^;)

ハロルド・ラスウェル
シカゴ学派の大物政治学者ラスウェルは現代の政治的無関心(アパシー)を無政治的無関心、反政治的無関心、脱政治的無関心の3つに分類した。
①無政治的無関心:政治以外のものを優先
②反政治的無関心:宗教上の理由などで積極的に政治との関わりを避ける
③脱政治的無関心:政治に絶望し離脱

争点投票から業績投票へ
ちなみに、アメリカ本国でもミシガンモデルの批判はあって、つまり、ミシガンモデルはわりと政局が安定して穏やかな時に調査したから、そういう傾向が見られただけであって、国論が二分された60年代後半~70年代半ば(ベトナム戦争や公民権運動)で見れば、政策争点は明確化していたよ、という。
そして現在では、有権者は候補者の過去の業績に基づいて投票を判断しているという研究もある。つまり有権者が、政党や争点に基づく投票をしていなくても、合理的な行動をしている可能性があるのだ。

マスメディアの強力効果理論
言うまでもなく、現在の政治(有権者)にマスメディアが与える影響は大きい。では具体的にはどういった影響を与えているのか、いくつか紹介。

フレーミング効果
情報の送り手が報道内容をどういった枠組みで伝えるかによって、受け手の意見や態度が変わってしまうという効果。編集の仕方で同じ内容のニュースが、なんとでもなっちゃう!

プライミング効果
プライミングとは焦点報道という意味。ニュースは課題設定だけでなく、どの政治争点が重要か判断する基準の形成にも影響を与えるという効果。例えばブッシュ大統領は、911の際にテロに対して強靭な姿勢をマスコミによって流されたことで、支持率が急上昇した。

沈黙の螺旋
マスメディアが世論調査の分布を報道すると、自分の意見が少数派なんだと感じた人はどんどん沈黙し、その結果、多数派の意見がますます強く報道されてしまう現象。

涵養効果論
マスメディアが与える影響は短期的ではなく、長期的なものであるという理論。
長期にわたって長時間テレビを見ていると、ある一定の価値観を身につけてしまう。
面白いのは、暴力的なドラマを長期的に見ている人の方が、リアルでも実際に暴力に巻き込まれる可能性が高かったというのだ。

デシベルメーター
マスメディアが国民に代わって、代理人である政治家がちゃんと仕事をしているか監視(モニタリング)する機能のこと。

アナウンスメント効果
マスメディアが選挙戦の前に各政党の有利、不利の予測を報道すると、その予測が有権者の投票行動に影響を与えてしまうこと。
有権者が、勝ちそうな政党に入れてしまうのをバンドワゴン効果、逆に不利な政党に入れたくなるのが判官びいき効果で、こちらは日本が中選挙区制をやっていた頃よく見られた。
しかし小選挙区制では、負けそうな候補者に入れるということは自分の1票を死票として無駄にすることになるので、自分が応援する候補者に勝つ見込みがない場合は、投票を棄権することが最も合理的な戦略になる(選挙の代わりに遊びに行ったほうが効用が高くなるから)。
ちなみに負けそうな方にあえて票を入れて、特定政党に権限が集中することを防ぎ、全体のバランスを取ろうとするメタな人はバッファー・プレイヤーと呼ばれている。

ダウンズの合理的選択モデル
個々の有権者は、与党と野党のどちらに投票するかという判断をどうやって決めているのか?それを表した方程式。

B=E(UA)-E(UB)

利益(政党間の期待効用差)=A党が勝つことで得られる効用-B党が勝つことで得られる効用

よって有権者は、この結果BがプラスになればA党に、マイナスになればB党に投票する。

この考え方を、有権者が投票するか棄権するかに応用したのが、ライカーとオーデシュックの二人。

R=PB-C+D

投票したことによる見返り(リワード)=有権者が自分の投票をどれだけ有効と見ているかの度合い(プロバビリティ)×政党間の期待効用差(ベネフィット)-投票に行くためのコスト(機会費用)+投票への義務感(デューティ)

つまりRがマイナスになると、その人は投票にいかないのが最も合理的な判断になるのだ。
だいたい今日は雪だったしね。
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