政治学覚え書き⑭(戦後の政治史)

 もはや趣味の記事。ラララ言えるかな~歴代の総理~♪

昭和(戦後)

45代:吉田茂(第1次)1946~1947
民主自由党。
元は外交官で、鳩山一郎がGHQからの横槍(公職追放処分)で自由党の党首になれなかったことから、鳩山一郎の友人だった吉田茂に白羽の矢が立った。
政治家としての後ろ盾がないため、吉田学校を作り、官僚を政治家に育てた。教え子には池田勇人、佐藤栄作、田中角栄など。
マッカーサーと駆け引きしたくらい度胸のある人で、記者に水をかけたり、やりたい放題。「ワンマン宰相」と呼ばれた。
しかしその強引な実行力がサンフランシスコ平和条約、日米安保条約の調印を可能にし、日本の早期復興を実現させたのだ。

46代:片山哲1947~1948
日本社会党の初代委員長(戦前に社会民衆党を結成)。
片山さんは熱心なクリスチャンでマッカーサーの推薦もあった。
保守政党(自由党→自民党)の最大のライバルである社会党政権。
しかし単独過半数の議席は持っておらず、自由党と民主党の二つの保守政党が連立すれば自由党の政権は維持できたのだが、吉田さんの「第一党の党首が総理になるべきだ」という憲政の常道論によって政権を譲り渡した。
この展開(政権交代)に大慌てしたのが、ほかでもない社会党で、内部対立(特に公共料金値上げの是非)が相次ぎ、あっさり総辞職。中道政党ゆえの悲劇であった。

47代:芦田均1948
民主党&社会党&国民共同党の3党連立内閣を発足。
昭和電工事件(贈収賄)の責任を取る形で総辞職。『総理と呼ばないで』並みの短期政権で(7ヶ月)「戦後最も影の薄い総理大臣」と呼ばれた。

48~51代:吉田茂(第2~5次)1948~1954
民主自由党。
鳩山さんの代役だったはずが権力の座が気に入ってしまったのか再び総理に。しかも長期政権。GHQに働きかけて鳩山さんの復活を遅らせるなどの裏工作をし、それがバレて鳩山さんの闘士に火をつけることになる。
インフレに喘ぐ日本をなんとかディスインフレ傾向に誘導させる。
社会党右派の西村栄一議員のねちっこい質問に対して「馬鹿野郎」とつぶやいたのをマイクが拾ってしまい議会を解散。

55年体制開始(保守合同)

52~54代:鳩山一郎(第1~3次)1954~1956
日本民主党→自由民主党
55年、西側陣営入りを主張する社会党右派と、東側陣営入りを主張する社会党左派が統一し、日本が社会主義になるんじゃないかという危機感から、財界からの要請を受けて民主党と自由党の保守政党が合体した。これを保守合同という。
これにより自由民主党が誕生。総裁は吉田茂の妨害をなんとかはねのけて病床から復活した鳩山一郎、幹事長は岸信介だった。
これにより改憲、保守、安保護持の自民党VS護憲、革新、反安保の社会党の二大政党制になったが、議席数を見る限り、社会党の議席数は自民党の半分で1と1/2政党と言われた。でも憲法改正は総議員数の3分の2の賛成が必要な特別多数決なので、別にこの状況でも憲法は改正できないし、まあいいか、と社会党は満足してしまった。
この野党の現状維持路線が55年体制が長く続く原因にもなった。
鳩山首相は日ソ共同宣言でソ連との国交を回復すると内閣を総辞職し、政治の世界から引退。
以降自民党内部の派閥争い(宰相ゲーム)によって総理が変わっていくことに。

55代:石橋湛山1956~1957
自由民主党。
日本中を回って有権者の声を聞いて回ったが、それがたたったのか、在任してわずか二ヶ月で病気になり退陣。総理の座を岸信介に譲るが、その後病気は回復。ハト派の重鎮として活躍する。

56~57代:岸信介(第1~2次)1957~1960
自由民主党。
日米安保条約を改定。「昭和の妖怪」と恐れられ、時に強硬な手段で満州を開発した天才だったが、日本では国会を国民に取り囲まれるという散々な目にあった。

58~60代:池田勇人(第1~3次)1960~1964
自由民主党。
頭は切れるが冷徹なイメージがあった岸総理に代わって、苦労人で軽いイメージの池田総理は、税の専門家で「所得を10年で2倍にします。私は嘘を申しません」と、所得倍増計画をコマーシャルで公言した。実際公共事業が増え、雇用は拡大、給料は上がり、税率は下がり、貯蓄は増え、消費は活発化した。日本を経済大国にしたのはこの人である。
しかしエンジニアの人材育成のため学校現場では詰め込み授業が行われ、落ちこぼれ、校内暴力などの問題が起きる原因になった。
さらに九州で勃発した労働運動に対して斡旋を受け入れるように働きかけている。これはエネルギーのメインが石炭から石油に変わったことが原因だった。

61~63代:佐藤栄作(第1~3次)1964~1972
自由民主党。
岸信介の弟である。沖縄問題に力をいれ、「沖縄の復帰がなければ戦争が終わったことにはならない」と宣言。ジョンソン大統領に返還を要求する。国民やマスコミの反応は冷ややかだったが、天才を兄に持つ弟持ち前の粘り強さで沖縄返還を有言実行した。
「持たず、つくらず、持ち込ませず」の非核三原則を国会で明らかにし、ノーベル平和賞も受賞しているが、日本に残ったアメリカの核兵器について密約があったことが、後の民主党政権で公開された(撤去した核兵器を日本に再び持ち込みたいとアメリカが事前協議をしてきたら、日本政府はそれを必ず受け入れるという内容)。
また、パク・クネ大統領のお父さん(パク・チョンヒ)と日韓基本条約も結んでいる。

64~65代:田中角栄(第1~2次)1972~1974
自由民主党。
とにかく人気のあった政治家で、「庶民宰相」「今太閤」「越後のコンピューター付きブルドーザー」と呼ばれた。建設会社社長を経て、戦後最年少で総理に就任、高等小学校(中学校)卒の学歴で日本のトップにのし上がる。
田中角栄の持論を秘書や記者、官僚がまとめた『日本列島改造論』は91万部のベストセラーになり、その理念(拠点都市の分散、国土のバランスのとれた発展)はアベノミクスにも影響を与えている。
さらに、周恩来と日中国交正常化をわずか二ヶ月で成し遂げてしまった(台湾とは国交断絶)。
73年の第一次石油危機の際には、アラブ諸国から石油を買いたいがためにイスラエルの占領政策を非難、これに怒ったアメリカのユダヤ勢力にロッキードスキャンダルを暴露されて退陣するはめになった。
その後、竹下登が自分の派閥を結成したことに怒って脳溢血で倒れ引退。娘の田中真紀子が後を継いだ。
小沢さんを可愛がったが、小沢さんのリーダーのイメージは角栄とは結構違う。

66代:三木武夫1974~1976
自由民主党。
田中角栄に「政治のプロ」と言わしめた人物で、永田町で生き残るために敵味方をどんどん変えていく「バルカン政治家」と呼ばれた。田中内閣時代は副総理だったが、金にものを言わす角栄と、クリーンな政治を信条とする三木は対立していく。
ロッキード事件の徹底的解明を約束したが、これが一部の自民党議員から反感を買い、三木おろしが始まってしまった。
政治資金規正法、公職選挙法を改正。

67代:福田赳夫1976~1978
自由民主党。
田中角栄のライバルで角福戦争を繰り広げた。
経済政策(70年代の経済危機はこの人が回避)と外交(日中平和友好条約)で手腕を発揮したが、なぜか次の総裁選(大福戦争)の予備選で敗北。
「国民の声は天の声というが、たまに変な声もある」と負け惜しみのセリフを述べた。
福田語録と呼ばれるほど名言を数多く残しており、「狂乱物価」「人命は地球より重い」などが有名。

68~69代:大平正芳(第1~2次)1978~1980
自由民主党。
「アーウー」が口癖で「讃岐の鈍牛」と呼ばれたが、実際は政界きっての知性派。
失言をしないように気をつけていただけだった。
外務大臣の経験が長く外交のプロでもある(日韓交渉や日中国交正常化交渉など)。
角栄に接近し党内でのし上がり大福戦争に勝利。総理大臣になるが、解散総選挙の際に心不全で亡くなる。戦後初の現職総理の死だったが、選挙は歴史的な大勝をした。
「政治とは明日枯れる花にも水をやることだ」
「政治は甘い幻想を振りまいてはいけない、国民も過大な期待を政治に寄せてはならない」
などの名言がある。

70代:鈴木善幸1980~1982
自由民主党。
大平総理の急死を受けて大抜擢。温厚な性格で党内融和路線を取る、調整のプロ。
外交に関しては「日米関係は同盟関係じゃない」と発言し、アメリカの不信を買ってしまう。ちなみに海外メディアは、当時無名だった鈴木総理を「ゼンコー?WHO?」との見出しをつけて紹介した。
またこの頃あたりから赤字国債の返済がもう不可能なんじゃないかって薄々気付きだす。
政権自体は安定していたが次期総裁選には出馬せずに辞任した。
「もとより私は総裁としての力量に欠けることを十分自覚している」が彼の性格をよく表しれいる。

71~73代:中曽根康弘(第1~3次)1982~1987
自由民主党。
反吉田の急先鋒だったが吉田学校の佐藤栄作政権の時に態度を一変させて閣僚入り。
このため「風見鶏」と呼ばれる。
レーガン大統領とすごい仲良しで(そのため大統領型首相と言われた)、プラザ合意により日本のバブル景気のきっかけを作り、「戦後政治の総決算」を掲げて、国鉄や電電公社を民営化した。官から民へ、アメリカ大統領と親密、ということで小泉総理と似ている。

74代:竹下登1987~1989
自由民主党。
中曽根前総理の強い後押しで総理大臣になる。中曽根内閣で失敗した売上税問題を決着させるために消費税導入で強行採決。その後リクルート事件が発覚し、消費税導入で反感を買っていた国民にNOを突きつけられてしまった。
気配りの人で「汗は自分でかきましょう、手柄は人にあげましょう」と言っていた。確かにどう考えても貧乏くじ確実の消費税導入はこの人じゃないとできなかったのかもしれない。

平成

75代:宇野宗佑1989
自由民主党。
リクルート事件を受けて、クリーンなイメージを出すために無名の宇野さんを総理にしたが女性スキャンダルで退陣。
芸術文化の才能に恵まれ、さらに完璧な国会答弁をこなすなど勉強家だった。

76~77代:海部俊樹(第1~2次)1989~1991
自由民主党。
三木派の秘蔵っ子。三木武夫を尊敬し、自民党総裁選で田中角栄に敗れたときは号泣したという。三木さん同様クリーンな政治家だった。女性を中心に国民の人気はとても高かったが、党内の人気は今一つで竹下派の反発を買って、不完全燃焼的に総理の座を譲った。

78代:宮澤喜一1991~1993
自由民主党。
PKO協力法を成立、自衛隊をカンボジアに派遣した。
政治改革関連法案(小選挙区制導入)を廃案にしたことから、離党者を大量に出すことになる。これにより羽田孜の新生党、武村正義(ムーミンパパ)の新党さきがけが誕生。
ハト派の政治家と知られ見た目も温厚そうだが、割と毒舌で酒好きだった。

55年体制崩壊

79代:細川護煕1993~1994
日本新党&新生党&社会党&公明党&民社党&社会民主連合&新党さきがけ&民主改革連合の7党1会派政権。
自民党の議席数が過半数を割ったので、自民党以外のすべての政権が合体すれば政権を取れるんじゃね?と小沢さんが持ちかけて、本当に実現させてしまった。
細川内閣は大政党に有利だった中選挙区制を小選挙区比例代表並立制に変える選挙制度改革を行なったが、その目標が達成されると求心力は低下、政治資金の不正疑惑が決定打になって細川内閣はあっけなく崩壊した。

80代:羽田孜1994
自民党以外の連立政権は、小沢さんの支配を嫌う社民党が離脱し少数与党になってしまう。今度は新生党の羽田さんをリーダーにするが、少数では政権は維持できなかった。
『総理と呼ばないで』に出てきたFAX目安箱をやった人。ろくな意見は届いたのだろうか。田中角栄からは「政務の羽田」と呼ばれ、同じ竹下派七奉行の小沢さんなどと親交がある。
「アレする」「~というふうに」が口癖。

81代:村山富市1994~1996
日本社会党&自民党(&新党さきがけ)という衝撃的な連立政権。反小沢というキーワードで冷戦時代のライバルが手を組んでしまった。
リーダーは社会党の村山さんで、これは47年の片山内閣以来のことだった。
社会党政権のまさかの「自衛隊は憲法違反じゃない&日米安保賛成」発言に国民は「今までの対立は何だったんだ」と政治に失望。
ラスウェルで言う「脱政治的無関心」が増えることになった。
村山さんは「とんちゃん」と親しまれたが、70歳で首相になったため疲れてしまい、連立政権のリーダーの座を自民党に譲ることにした。
このような自社さ連立政権の動きを批判した鳩山由紀夫は菅直人と共に民主党を結成する。
ちなみに村山総理は、左の日教組と右の文科省を強調させた人物である。

82代:橋本龍太郎(第1~2次)1996~1998
自由民主党&社民党(社会党が名称変更)&新党さきがけの連立政権だったが、途中で連立解消があり自民党の単独内閣になる。
小渕、小沢、羽田などの竹下派七奉行の一人であり政策通だった。
あとイケメンでおばさんからアイドル的人気があった。
行財政改革により省庁を再編、数を半減させた。
しかしバブル崩壊後の対策として消費税を5%に上げたら選挙で惨敗。
消費増税は政治家にとって鬼門なのだ。

84代:小渕恵三1998~2000
自由民主党の単独内閣だったが、その後公明党と今に至る連立を組む。
自民党は今まで公明党に対して「政教分離に反する!」と批判していたのだが、こういう節操のなさ、政権取れれば何でもやっちゃう主義は(マーベルか)今に至る自民党の強さとして逆説的に評価されている。
小渕さんは「凡人(C)田中真紀子」「冷めたピザ」「平成の借金王(これは自称)」と揶揄されながら、周辺事態法、通信傍受法、国旗・国歌法などの重要法案を通した人格者だったが、脳梗塞で突然死してしまった。現職総理の死は大平総理に続いて戦後では二例目。
地域振興券、ゼロ金利政策、ITバブル(ブッチフォン)、男女共同参画社会基本法・・・また平成おじさんとしても有名。

85~86代:森喜朗(第1~2次)2000~2001
自由民主党。
「サメの頭脳とノミの心臓」を持つと揶揄された。党内では今なおその名を轟かす実力者だが「日本は神の国」発言で退陣してしまった。

87~89代:小泉純一郎(第1~3次)2001~2006
自由民主党。
「永田町の変人」と田中真紀子さんに評される。自民党をぶっ壊すと宣言し、聖域なき構造改革(規制緩和)を実行した。
悲願の郵政民営化や日朝首脳会談も実現。最近ではウルトラファミリーになった。
フォーエバラブ。

90代:安倍晋三(第1次)2006~2007
自由民主党。
若くして総理大臣になったが閣僚の不祥事が相次ぎ支持率が急落。
体調を崩して辞任してしまった。
教育基本法を改正。

91代:福田康夫2007~2008
自由民主党。
「あなたとは違うんです」と記者に逆ギレしたのは覚えている。

92代:麻生太郎2008~2009
自由民主党。
漫画の殿堂を造った。リーマンショックのとばっちりで下野する羽目に。まあ今、楽しそうだからいいか。

政権交代

93代:鳩山由紀夫2009~2010
民主党&社会民主党&国民新党の連立政権。
政権交代がよほど嬉しかったのか、沖縄の基地問題について「最低でも県外」と適当な約束をしてしまい退陣。沖縄の人を失望させたばかりか、日米関係も冷え切った。
ちなみに奥さんは宇宙人とあったことがあるというすごい変わり者。

94代:菅直人2010~2011
民主党&国民新党の連立政権。
「イラ菅」と呼ばれ、東日本大震災が起きたとき役に立たないスタッフに怒鳴ってしまったという。菅さんはなんで失脚したのか未だに謎。誰か教えてw
ちなみに若い頃には全学闘争委員会の過激なやり方に疑問を持ち、「大学改革推進会議」を立ち上げたり、麻雀の自動計算機を発明したり、薬害エイズ問題に尽力している。

95代:野田佳彦2011~2012
民主党&国民新党の連立政権。
民主党の「官から民へ!(行政の民主化)」の変革がリアルではうまくいかないことを実感し、これまで自民党がやってきたことは問題もあったけれど、それはそれで意味があったんだなと、消費増税や官僚政治に再び路線変更をしてしまう。
もうマニフェスト違反丸出しで、消費増税に反対する小沢さんが「国民の生活が第一」という党を作って離脱。民主党は下野してしまうが、野田さん自身の評価は政治記者などからは高かった。

再び政権交代

96代:安倍晋三(第2次)2012~
自由民主党。
病気を克服し復活。アベノミクス、教育改革、憲法改正、集団的自衛権などいろいろやっている。一度退陣しながらも期間をおいて再び総理に返り咲くパターンはなんと吉田茂以来である。体調に気をつけて頑張れ安倍さん。
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