ポリス・ストーリー/レジェンド

 「面白い度☆☆☆☆ 好き度☆☆☆☆」

 父さん、ヒーローじゃなくていいからもうやめて。

 去年、アクション映画は引退とか言ってた気がするジャッキー・チェンが早すぎる復活!
 私、小さい頃にいくつかみただけで、そんなジャッキー映画ジャンキーではないんだけど、ポリスストーリーって言ったらあの、何言っているかよくわからない♪ハンチモ~ガンホンチ~ペンチョンヤッサンチィ~とか言ってる主題歌がすごいかっこいいじゃんw
 テレビCMであの曲が流れて、石丸博也さんの声で「よお、オレだよオレ~帰ってきたぜ~伝説を見逃すなよ~」とか言われちゃったら男なら見ないわけには行かないじゃん。
 でも、近所の映画館では、もうほとんどやってなくて、しかもやっている映画館でも朝9時半からの一回上映とかいう、逆レイトショーぶりで、なんとか時間作って早起きして見に行ったら、まさかというか、やはりの貸し切り!
 なんかいよいよ逆オキテテヨカッタ(※ドラえもんのひみつ道具)みたくなっちゃって、すごい落ち着かなかった。3人4人くらいしか入ってない時は『LEGOムービー』とかいろいろあったけど、まじで自分ひとりだからね。

 で、このポリスストーリーレジェンド・・・実は今までのシリーズ、香港国際警察とは無関係なよう。だって舞台が香港じゃねーし。国際警察じゃねーし。ジャッキー演じるジョン刑事は北京市の警ら係みたいだった。
 そして娘とうまくいってないベテラン刑事が、ビルに籠城した犯人グループと一人戦うっていう設定やシチュエーションは、もう、あのおハゲ様の映画そのまんま。
 だから映画の最初の方は、ベタベタだな~(^_^;)って思ってて、まあ最終的に最後までそうだったんだけど、クライマックスまで見ると、不思議なことにいい意味でダイ・ハード(あ、言っちゃった)と全然違う独特な作品に仕上がっていた。

 で、どこがダイ・ハードと違ったんだろうっていろいろ考えてみたんだけど、まずジャッキー映画だけれどアクションシーンがそんなにないこと。
 いや、普通のアクション映画くらいはあるんだけど(最初からビルから飛び降りてるしw)、80年代くらいのジャッキー映画ってほぼ100%アクションだったじゃんw
 それが軽快なアクションじゃなくて、脚本で勝負しているのが、いままでのジャッキー映画や、どんどん大味になっていくダイ・ハードシリーズとは対照的。
 構成も過去の回想や、シミュレーション(未来の予測シーン)を多用しててけっこう独特で新鮮だし。
 まあ、往年のジャッキー映画を期待している人にとっては物足りないかも・・・でもジャッキー今年で生誕60年だからね!還暦だからね!限界があるよ!!(C)エガちゃん

 でも、ダイ・ハードとの最大の違いは、例えば『ダイ・ハード4.0』がマクレーン刑事が結局悪人をバカスカ殺すスーパーヒーローになっちゃったのに対し、ジャッキーは最後まで不殺の一警官を貫いたことだよね。

 誰の命も尊い。犯罪者だろうともだ。

 ジャッキーは作中何度もこう言うんだけど、これが犯罪者を完全な悪役(イーブル)にしちゃうハリウッドアクション映画とは違うよなあって。
 つーか完全な悪役にすると、そいつはただのシンボルになっちゃって人間的な魅力を感じなくなっちゃうんだよね。最近ではハリウッドってSF映画が多いけど、それは、もう悪役なら話が通じないエイリアンとかでもいいやってことなんかも。
 でもそのぶん人間ドラマとして薄味になっちゃうのは否めない。

 で、この映画はジャッキーよりも悪役が割と面白い。わりと慈悲深くて話がわかる。
人格がある。犯人も人だから。
 まあ、こういうタイプの犯人もハリウッドでは出てくるけど、たいていボスに殺されちゃったり、最後は豹変してげへへになるんだよね(マグニー○さんとか)。
 でもポリスストーリーは「犯人も人間で、罪を犯す事情がある」という設定を貫き通した。

 それと、犯行グループ以上に人質が単なる脇役じゃなくて、キャラが立ってて面白かったんだよな。
 犯人の人間的弱さ、悲しさを描くと同時に、本来のアクション映画なら100%被害者であるはずの人質のキャラを掘り下げ、そいつらの自分勝手でどうしょうもないところも描くことで、人間の本質?をうまく相対化できたんだと思う。
 特に、強欲不動産屋が病気のふりして同情を買って自分だけ解放されようとするところなんか、なかなかチャイナ的で(中国の人ごめんなさい)笑っちゃった。

 筋を通そうとする犯人と、節操のない人質・・・どっちも大切な命で、ジャッキーは強硬な警察上層部(これはどこの国も一緒w)と立てこもり現場のあいだを板挟みになりながら奔走する。
 下水の油を食用油として売っちゃったり、村民委員会や郷鎮政府が農民の同意なく土地を収用し、一日に何百件もデモや暴動があったりと、しばしば欧米に比べて人権が軽んじられる国だって言われちゃう中国だけど、犯人を凶悪犯と決め付けてバババって殺しちゃうアメリカ映画と違い、最後まで犯人の人権も守ろうとして、最終的に(ネタバレゴメン)犯人や人質に死者が出なかったっていうのは、この手の映画ではすごい珍しかったんじゃないか。
 逆説的に考えると、人権がリアルで保障されている国は人権無視なフィクションの需要があって、人権がリアルで踏みにじられている国は人権を訴えるフィクションの需要がある??いやよくわからないけど。
 でも春秋戦国時代とかすごい世が乱れた時に諸子百家とか登場しているしね。

 そしてこの映画で最もすごいのが、アクション映画なのにクライマックスがほとんど会話劇になってること!

 ・・・なんかずっと討論してるんさ(^_^;)

 これが、もうすごい予想外でww学級会というか、魔女裁判というか・・・内容の核心に触れる部分だから、詳細はここで書くのはやめるけど、要は傍観者に責任はあるのか?っていう話なんだと思う。
 もちろん法的には傍観者に責任はないけれど(あったらヤバイ)、5年前の事件の犯人探しは意外な方向に・・・
 それで、この傍観者問題って、教育現場ではいじめや荒れがそうなんだよね。いじめや荒れって、もちろんそれをやる当事者が悪いんだけど、それを容認する空気が一番の問題なんだよ。
 で、その空気は、少数の当事者ではなくて、多数派の傍観者集団の動向で変わってくるんだ。こういうのを集団力学って言うんだけど。
 この多数派集団が、アンチいじめ集団になると中学生くらいって周りの目を意識するからいじめってなくなるんだけど、これが我関せずだと、ブレーキが効かなくなっちゃうんだ。

 ここまで話してて、あれもそうだなって。今話題の都議会のセクハラヤジ騒動。あれも塩村議員に野次を飛ばした犯人探しになっちゃったけど(ほんと学級会だよなw)、都議会という真剣な討議の場が、そういう野次を飛ばせる居酒屋的環境になっちゃっているのが厄介なんだよね。
 そして、それは多数派集団の意識を変えないといけないわけだから、あの騒動で「犯人探しよりも体質改善を!」とか訳知り顔で批判している人は、私も含めて自分自身に同じ言葉を言い聞かせたほうがいいよな。そう言ってる私たちだって、THE多数派集団なのだから(ネットという安全な場所で石投げろってことじゃないよ)。
 この映画の個性的な脇役たちは、自分勝手でお金が大好きで、どこか憎めない(特に中高年キャラに多いw)。それは中国人だからとかじゃなくて、もっと普遍的な私たち人間の弱い部分を描いているからなんだろう。

 さて、いつものジャッキー映画っぽいところも二つだけあった。それをまとめて今日はおしまい。
 一つ目。ラストの余韻もなくいきなりエンドロール突入(ジャッキー映画あるある)。
 二つ目。エンドロールのお馴染みNG集。今回の映画は、なんだかんだでテーマが重かったから、コミカルなNG集はかなりの中和作用があったと思われる。
 ジャッキー、金網に顔を押し付けられるシーンでどうしても鼻が金網に潰されてブタになっちゃって何度も撮り直したらしい(^_^;)難しいなあって。
 あ、ちなみに大怪我につながる痛いタイプのNGはなかったみたい。よかった~・・・

 考えてみれば年寄りいじめも気の毒だ。
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