参考文献:小林一岳著『元寇と南北朝の動乱』
徳治政治
徳政とは人々を安心させる徳のある王による政治のことであり、本来は古代中国思想の天人相関説と易姓革命説によって導き出された政治思想であった。
天人相関説(災異説)とは天と地上に生きる人には関係があるという考え方で、天に意思(天命)があると考えた孔子の思想に始まり、前漢の儒学者董仲舒(とうちゅうじょ)によって完成する。
天人相関説は地震や彗星の出現などの天変地異は君主の不徳に原因があるという説で、君主が過ちを起こすと天は小さな災いである災を起こし、さらにそれを無視すると大きな禍である異を起こすと考えられたため、君主は仁政(思いやりのある政治)を行わなければならないとされた。
易姓革命説とは「姓を易(か)え命を革む」という意味で、不徳の政治を行った王朝はそれ故に滅び、新たな王朝(姓が異なる天子)が育つという思想である。
この思想は孔子の段階では認められず、君主の悪徳が王家を滅ぼすという戦国時代の墨子を経て、天の意志は民の目、民の徳によって示されると考えた同時代の孟子によって完成する。したがって易姓革命説は君主権力を相対化する民本主義思想といえるものであった。
武家徳政と元寇
日本において徳政は、奈良時代以降、社会的・経済的弱者を救済するような善政を指したが、その徳政は中国のように王統そのものをドラスティックに変革するようなものではなく、中身を骨抜きにされたようなものだった。日本の徳政として平安期に王権による公家新制が挙げられる。
これは荘園整理令や禁酒令、殺生禁断令など多様な内容を含んだが、鎌倉幕府成立後は幕府も徳政を行うようになった(武家徳政)。
中世における徳政で最も重要なものは、裁判制度の整備(訴訟興行)と、仏神に対する保護(仏神事興行=寺社領荘園の保護)だった。
この仏神事興行がモンゴル戦争において大きな問題に発展する。モンゴルとの戦争では国家的に大規模な祈祷が行われ、二度の元寇でモンゴル軍を撃退した暴風雨は「神風」として人々に強く捉えられた。そのためモンゴルを撃退した仏神は当然武士に恩賞を要求、これは各地の寺社勢力にとっては自らの権益を復活・拡大する絶好の機会であった。
文永の役以降、祈祷命令は朝廷に代わり幕府が出していたので、寺社の恩賞要求は幕府へ向かい、各地の大寺社による恩賞要求が相次いだ。
安達泰盛の弘安徳政
北条得宗家と密接な繋がりが有り人格者として知られる安達泰盛は、この問題を含めたモンゴル戦争の戦後処理の責任者だった。泰盛は弘安7年から政治改革を矢継ぎ早に行い(弘安徳政)、その一環として神領興行法を実施、一般の人々が購入した九州の主要な神社の領地についての返還を求めた。
この法律は同時に伊勢神宮の神領についても出され、各地の神社にとって失われた所領を返してくれる法律と認識された。
この発令はどの神社が返還の対象となるのかという神社間の相互対立を巻き起こすと共に、社地を所有していた御家人や一般人にも大きな影響を与え、実際の支配から排除された集団から悪党が出現していくきかっけとなった。
得宗専制政治
得宗とは執権北条氏の家系を指すが、そもそもの由来は北条義時の死後に贈った称号「徳宗」であり、徳のある人物という意味である。よって得宗とは徳政を行う政治的主体としての意味を持っていた。
しかし執権政治が執権を中心にした評定衆の合議制で、御家人の力が強かったのに対し、得宗政治では、執権は北条家の家督(得宗)に限定、御内人(北条家に仕える武士)を中心にした寄合衆が、非公式に少数で政治を行っていた。
鎌倉幕府は将軍独裁政治→執権政治→徳宗専制政治の3段階に分けられるが、得宗専制時代の始まりは弘安徳政の開始からと見るか、終焉からと見るかは意見が分かれている。
なんにせよ将軍権力を強化した泰盛の急進的な改革は、幕府内部に対立をもたらし結局失敗に終わるが、保守的な反対勢力であった得宗御内人たちも、得宗を中心とする強力な幕府を作ろうとする上では共通点があった。
基本的には、御内人よりも御家人の方が、将軍との関係から言えば直接的な主従関係を持つが、得宗の権力が強化されるとともに幕府内での御内人の勢力も増大した。
御内人は、全国の北条氏領を管理していたため大きな経済力を持ち、御家人たちを統制し、鎌倉の警察を担当する侍所のリーダーも御内人が就任するようになっていた。
有力御内人の中で強力な権力を持っていたのが平頼綱で、安達泰盛の最大の対抗勢力だった。
弘安8年、頼綱は泰盛の息子が将軍位を狙ったとして兵を挙げ、泰盛派を滅ぼした(霜月騒動)。その後、頼綱は幕政の中心に座り、弘安徳政(特に神領興行法)を軌道修正した。
その後、永仁元年に鎌倉で大地震が起こると、成長して自立した得宗北条貞時は頼綱を倒し、貞時自身による得宗専制の時代が始まった。
貞時は裁判の最終決定を自分の直裁とする専制的な体制を作り出し、本来神仏を対象にした徳政令を人の所領にまで拡大、生活の苦しい御家人を一方的に擁護した、永仁の徳政令を発布。非御家人が買い取った御家人の土地は、たとえ何年前の契約でも無償で変換しなければならず(御家人どうしの場合は20年未満の場合に限り無償返還)、借金に関する訴訟は、これを一切受け付けないという、このめちゃくちゃな法律は、かえって御家人の生活を苦しめ(誰も御家人に金を貸す者がいなくなった)、名主百姓も巻き込む暴力的な紛争にまで発展してしまう。
建武新政
鎌倉時代中期の朝廷では皇位継承や既得権益の相続をめぐって持明院統と大覚寺統が激しく対立をしていた。
幕府はこの対立を調停しようと、朝廷の後継者選びに介入するようになったが、幕府内部でも永仁の徳政令による社会的混乱から徳宗専制に対する御家人の反発が強まり、朝廷や幕府に従わない悪党も出現、幕府の力は衰えた。
大覚寺統の後醍醐天皇は、引退した天皇による院政をやめさせ、摂政や関白、征夷大将軍もいらない、天皇自らが政治を行う天皇親政を目指し倒幕を図ったが、失敗し隠岐の島に流される。
しかし、後醍醐の息子、護良(もりなが)が、全国の倒幕派の武士にクーデターを呼びかけたことで、大阪の悪党楠木正成が挙兵。これを鎮圧に当たるはずだった御家人足利尊氏も幕府を裏切り六波羅探題を襲撃、同じく御家人の新田義貞は鎌倉を攻め、1333年鎌倉幕府は滅んだ。
隠岐を脱出していた後醍醐はさっそく、平安時代を手本とした天皇親政を理想とする建武新政を始めた。建武新政は鎌倉後期の公武徳政の延長線上にあったが、戦争の直後だったため鎌倉後期のそれよりもはるかに切実で緊張した内容であった。
まずは司法制度改革である。所領問題解決のため、後醍醐政権によって新設された雑訴決断所は、寺社ではなく、主に武士の訴えを担当したが、新たな裁判制度と判決(牒)は旧来の判決(論旨)とどちらが有効なのかという正当性の問題を生んだ。
また、後醍醐政権はこれまで家柄によって役職が独占されていた中央官制の改革にも乗り出す。後醍醐は強い人事権によって家柄にとらわれない新たな人材を任命し、役職と家を切り離そうとした。さらに官職と官位の対応関係も切り離し(上級貴族を従来より下のポストに就けるなど)、各執行機関を後醍醐が個別に直接掌握できるようにした。
これらの改革は極めてラディカルで(中国の君主独裁制っぽい)、人事をめぐって朝廷内部に大きな不満を読んでしまう。
後醍醐は徳政令も出したが、鎌倉後期の永仁徳政令と比較し、その救済対象が武士から庶民に拡大され、地域社会にも適用された点で異なった。この政策は15世紀からの徳政一揆へとつながっていった。
また、大内裏造営のための新たな財源として全国の地頭武士に課した税制は、新たな火種を地域社会にもたらし、飢餓や戦争で疲弊した人々をさらに苦しめることになってしまった。先にすべきは荒廃した京都の復興と被災した人々の救済だったのだ。
農民や、荘官、悪党、武士、公家と多くの階層の期待を背負った後醍醐による政権交代は、その期待に応えることができなかったのである。
建武政権の崩壊
旧来の既得権に大胆にメスを入れた後醍醐天皇の改革は、政権内部に激しい対立を巻き起こす。
まず表面化したのが、政権内部で権力を拡大させつつある足利尊氏と、自らの軍によって実権を握ろうとしたが、それを否定された(征夷大将軍を解任された)護良の対立である。
与えられたポストに納得がいかなかった護良は足利尊氏に不満をぶつけ、建武元年(1334年)6月、護良による尊氏打倒の噂が京都中に流れた。
尊氏は兵を集めて自宅の警護を固め、護良の父である後醍醐に責任を問いただすが、後醍醐は息子の勝手な行動だと弁明、クーデターを未遂した護良は捕縛された。
護良の容疑は、後醍醐天皇の帝位を奪おうと謀反を企てたというものだったが、この背景にはほかならぬ後醍醐天皇自身がいて、後醍醐が勢力を拡大する尊氏に対抗するために護良をけしかけたのではないかという疑惑もあった。つまり、後醍醐は息子の護良をバックアップしながら、自分の立場が悪くなると、その息子を切り捨ててしまったのである。結局、護良は宿敵尊氏のもとに預けられ、その身柄は鎌倉に護送された。
この事件によって、尊氏は最大のライバルを退け、後醍醐に対しても優位性を得ることができた。
後醍醐政権発足後、各地で中小規模の反乱が起きていた。いずれも鎌倉時代後期に北条氏が守護職を持っていた国で起こり、北条一族や北条派の反乱であった。
さらに、建武二年には大規模な反乱計画が暴露される。承久の乱以降、幕府、北条氏と強い結び付きを持っていた西園寺公宗(さいおんじきんむね)による後醍醐天皇暗殺計画である。
後醍醐政権発足後、冷遇されていた公宗は、最後の得宗北条高時の弟、北条時興と、持明院統の後伏見上皇を担ぎ出して反乱を企てるが、公宗の弟の密告によって失敗。
しかし、旧北条氏勢力と、一部の公家が手を組み後醍醐政権に反旗をひるがえした、この大事件は、後醍醐政権の崩壊と、その後の約60年にわたる南北朝戦争につながるきっかけとなった。
中先代の乱
西園寺公宗の反乱は、全国で同時に実行されるはずであったが、蜂起前に反乱計画が発覚してしまったため、信濃(長野県)で反乱を起こす予定だった北条高時の息子、北条時行は仕方がないので単独で蜂起した。これが中先代の乱である。この反乱から南北朝戦争の火蓋は切って落とされた。
時行軍は信濃から鎌倉を目指し、足利軍を次々に撃破。ついに足利尊氏の弟の足利直義が鎌倉から出撃し、東京都町田市で時行軍と戦うが大敗、鎌倉に戻ってきた。
直義は、鎌倉に監禁中の前征夷大将軍(すぐクビになったけど)護良親王と、北条時行がタッグを組むことを恐れ(鎌倉幕府を復活させちゃう可能性があったから)、護良親王を殺害すると、さらに西の愛知県へ進み、京都にいる兄、足利尊氏に援軍を要請する。
尊氏は弟を助けるために、後醍醐天皇に鎌倉へ向かう許可と、征夷大将軍への任官を申請したが、断られ、結局後醍醐の許可のないまま京都を出発する。
この時、尊氏に喜んで従った人々は数え切れないほどだったという。後醍醐天皇は、それが気に入らなかったのか、尊氏ではなく、自分の息子の成良親王を征夷大将軍に任命。後醍醐と尊氏の仲はさらに険悪なものになった。
三河(愛知県岡崎市、安土市辺り)で弟直義と合流した尊氏は、静岡県遠江国(とおとうみのくに)橋本・佐夜中山、神奈川県箱根、山梨県相模川など17箇所の戦いに勝ち、鎌倉を奪還。時行は逃亡し、彼の反乱に参戦した諏訪頼重は自害した。結局、時行の鎌倉占領は一ヶ月にも満たなかった。
中先代の乱で勝利した足利尊氏は鎌倉に居を構えて、戦いに協力してくれた人たちに勝手に恩賞を与え始めた。後醍醐天皇は尊氏の功績を認め、尊氏を昇進させると共に(従二位)、鎌倉に使いを出し、「恩賞とかは京都でやるから戻っておいで」と尊氏を呼び戻そうとしたが、尊氏はそれを断り鎌倉で恩賞を与え続けた。
尊氏は征夷大将軍を名乗り、後醍醐とは独自に主従関係を行使し始めたのである。これは明らかに源頼朝を意識していた。
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