飛鳥時代覚え書き

参考文献(※以降の日本史の記事含む):岩波ジュニア新書『日本の歴史』、学研『聴くだけ日本史』『聴くだけ日本史一問一答』、東京大学出版会『教養の日本史』、ナツメ社『図解雑学日本の歴史』『読みたくなる日本史』、晋遊舎『日本史の新常識100』、中公新書『征夷大将軍 もう一つの国家主権』、岩波新書『歴史の中の天皇』『刀狩り 武器を封印した民衆』、DTP出版『中国史略』その他教科書過去問などをまとめました。

 日本史は、語句が全然変換できなくてすごいストレス。パソコンが変換できなような語句は漢字で書けなくても正解とする、とかして欲しいよ。
 蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらのやまだのいしかわのまろ)ヴァヒド・ハウルホジッチ氏並みに言いにくい。気をつけろ!

飛鳥時代の概要(592年~710年)
奈良県飛鳥に都があったことに由来。仏教伝来で始まり、天皇中心の律令国家(文章化された法律)を目指し、豪族の有力者を倒した大化の改新で終わる。
これにより日本という国名や、天皇という存在が国内外に認知された。

大伴氏
6世紀初めヤマト政権の政治的主導権を握っていたが、高句麗が南下したことで朝鮮半島の勢力を失い失脚する。

丁未の乱(ていびのらん)
大伴氏の後がまを争ったのが、蘇我氏と物部氏で、仏教を受け入れるかどうかで対立した。
蘇我氏は渡来人との結び付きが強く、物部氏は排外主義的だった。

蘇我馬子
587年に物部守屋を倒し、592年には崇峻天皇(すしゅんてんのう)を暗殺して、蘇我氏の主導権を確立した人物。

推古天皇
暗殺された崇峻天皇に代わって即位した日本初の女性天皇。
甥っ子の聖徳太子や蘇我馬子と協力して国家の中央集権化を進めた。

聖徳太子
早熟の天才で19歳で推古天皇の摂政(天皇の代役)に抜擢される。
冠位十二階(603年。才能や功績に応じて冠位を授与)、十七条憲法(604年。仏教を重んじ、豪族たちに国家官僚としての自覚を促す)、遣隋使(607年~。南北朝を統一した隋に派遣)など。
ちなみに十七条憲法は「みんな仲良くしましょう」とか「人のあやまちを許そう」とか「恨んだり妬んだりするのはダメ」とか、法律というよりは道徳の教科書みたかった。

小野妹子
遣隋使。その様子は『隋書』倭国伝に記されている。
第一回目の遣隋使において「日本は随よりも優れている」という内容の国書を送ってしまったため、随の皇帝の煬帝(ようだい)はブチギレ。その返事があまりにもひどいものだったため、小野妹子は「返書を百済で盗まれたと嘘をつき」、朝廷にめちゃくちゃ怒られて流刑されかけた。
推古天皇はそんな事情を知ってか知らずか、小野妹子をもう一度隋に派遣。今度は「日本は中国と対等な国である」という内容にマイナーチェンジした。これはこれで煬帝の逆鱗に触れたが、当時の隋は滅びかけていて日本まで敵にまわす余裕がなかった。遣隋使のタイミングをうまく狙った聖徳太子の作戦勝ちだったといえよう。
そんな隋が滅ぶと、今度は遣唐使に。630年には犬上御田鍬(いぬがみのみたすき)が小野妹子に代わって唐へ行き対中外交を継承。

飛鳥文化の文化財
釈迦三尊像:鞍作鳥(止利仏師)の作品。法隆寺金堂にある北魏様式の仏像。
如意輪観音像:中宮寺にある。
半跏思惟像:広隆寺にある。
釈迦如来像:鞍作鳥(止利仏師)の作品。飛鳥寺にある。仏像の基本形で最古の国宝。

斑鳩
飛鳥文化の本格的な都で法隆寺が建っている。

伽藍配置(がらんはいち)
寺院の敷地における、釈迦の遺骨を納める塔や、仏像を祀る金堂などの配置のことで、どちらが寺院の中心にあるかで、そのお寺が釈迦と大仏のどちらを重視していたかがわかる。

乙巳の変(いっしのへん)
7世紀半ば、有力貴族、蘇我蝦夷の息子の蘇我入鹿は聖徳太子の息子(山背大兄王やましろのおおえのおう)を自殺に追い込み、天皇を凌ぐ権力を握っていた。
強大な唐に対抗するために、律令国家を目指す政治改革(大化の改新)に乗り出した舒明天皇(じょめいてんのう)のもと、皇極天皇(こうぎょくてんのう)の息子の中大兄皇子は、645年に義理のお父さんにあたる蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらのやまだのいしかわのまろ)や、天児屋命(あめのこやねのみこと)という日本神話の神様を祖先とする中臣鎌足らと協力し、蘇我蝦夷と蘇我入鹿を滅ぼす。これを乙巳の変という。

孝徳天皇
孝徳天皇は皇極天皇の弟で(皇極天皇はお姉ちゃんにあたる)、つまり中大兄皇子のおじさん。
乙巳の変の後にできた新政府を引っ張ったが、その後中大兄皇子と対立してしまう。
孝徳天皇の新政府では、大臣(おおおみ。天皇を補佐する最高官で蘇我氏が就いていた)、大連(おおむらじ。天皇の補佐官で物部氏が就いていた)は廃止され、左大臣&右大臣(どちらも政務長官)が新設。
左大臣には阿倍内麻呂、右大臣には蘇我倉山田石川麻呂を任命した。
国博士(政治顧問)には、ずに留学経験のあるお坊さんの旻(みん)高向玄理(たかむこのくろまろ)が就いた。
都は斑鳩から難波宮(なにわのみや)に移された。

改新の詔
646年に新しい中央集権国家のあり方を示したもの。『日本書紀』に記述されている。
日本の歴史上初めて「大化」という年号ができる。年号は独立国家の証だった。
田荘(たどころ。豪族所有地)と部曲(かきべ。豪族の私有民)は廃止され、土地と人民は国家が所有するとした(公地公民制)。
人民と田地の全国調査を行い戸籍と計帳を作成、税制の統一(班田収授法)や地方の行政区画を定めた。

白村江の戦い
唐&新羅によって滅ぼされた百済を復興するために白村江に軍を送った日本が、663年に唐&新羅の連合軍と衝突した戦い。日本は大敗し、朝鮮半島のほぼ全域が新羅のものになった。これによりヤマト政権は危機感を強め、律令国家の形成を急いだ。

天智天皇
667年に都を近江の大津宮に移したあと、中大兄皇子は天智天皇となる。
最初の令(行政法、民法)である近江令を制定、また日本初の全国的な戸籍(庚午年籍こうごねんじゃく)を作った。

壬申の乱
天智天皇がなくなると、天智天皇の弟の大海人皇子(おおあまのおうじ)と天智天皇の子の大友皇子が皇位継承をめぐって争いだし、672年には武力衝突に発展した。
これに勝利した大海人皇子は翌年天武天皇として即位した。

天武天皇
豪族たちを天皇中心の身分秩序に再編成する八色の姓(やくさのかばね)を制定。
富本銭を鋳造し、中国の都城に倣って奈良盆地南部に藤原京の造営を開始。

持統天皇
天武天皇の奥さんで、飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)を完成させる。この法律も令のみで律は規定されていなかったが、国名が日本と決定されたり、天武天皇から日本の王様を「天皇」と呼んでいたらしいことがわかる、最も信憑性の高い文章として有名(『日本書紀』の記述はのちの時代の創作らしい)。
また、彼女は694年、完成した藤原京に遷都した。

大宝律令
天武天皇と持統天皇の孫の文武天皇の時代に、中臣鎌足の子、藤原不比等(ふじわらのふひと)&刑部親王(かさかべしんのう)によって701年に完成。
律令とは刑法である律と、行政法・民法に当たる令を合わせた言葉。

大宝律令①律
律には五つの刑罰である五刑が定められ、国家や天皇、尊属や神社に対する反逆は八虐とされ重罪だった。

五刑
笞(ち。むち打ち)
杖(じょう。つえ打ち)
徒(ず。強制労働)
流(る。島流し)
死(し。死刑)

大宝律令②令
令では、中央行政の最高機関として、神祇官(宮中の祭祀の最高機関)と太政官(行政の最高機関)の二官が置かれた。
太政官には太政大臣、左大臣、右大臣、大納言などのポスト(公卿)があった。
太政官の下には、太政官で決められた政策を実行する八省が置かれた。

八省
中務省:天皇の詔の文書作成。
式部省:文官の人事や大学の管理。
治部省:仏事や外交事務。
民部省:民生、租税など。
兵部省:軍事や武官の人事。
刑部省:裁判や刑罰。
大蔵省:財政や貨幣。
宮内省:宮中事務。

大宝律令③地方行政
地方は畿内七道という行政区に分けられ、畿内七道はさらに60余りの国に、国は郡に、郡は里に分けられた。国の統治は国司(中央政府からの派遣)、郡の統治は郡司(地方豪族が任命された)、里の統治は里長(土地の有力者が任命された)が行なった。
このほか要所には特殊な行政官が置かれた。京では左京職と右京職、難波では摂津職、九州北部では大宰府がそれにあたる。

大宝律令④官吏
官吏は位階に応じたポストに任命された(官吏相当制)。
封戸、田地、禄(布や穀物)などが支給され、調、庸、雑徭などは免除された。
位階が五位以上の人は貴族と呼ばれる特権階級になった。
貴族と位階が三位以上の者は、父や祖父の位階を踏まえてある程度世襲できた(蔭位の制おんいのせい)。

大宝律令⑤民衆
民衆は、まず良民と賤民に分けられ、賤民は五色の賤という服の色でランク分けをする制度によって、官有である 陵戸(りょうこ)、官戸(かんこ)、官奴婢(=公奴婢。くぬひ)と、私有である家人、私奴婢(しぬひ)に分類された。官奴婢と私奴婢はいわゆる奴隷で、彼らの子も主人の所有物とされていた。
民衆は25人程度の組織の戸に分けられ、戸籍と計帳に登録され、50戸で1里となった。
戸籍は班田収授を行う際の基本台帳で6年ごとに作成された。
計帳は調・庸を徴収するための台帳で毎年作成された。
このような税金を納めさせるための戸籍調査や台帳は、歴史学者が当時の人口の推移などを調べる際、データとして重宝されたりする。

班田収授法
公地公民に基づき、6歳以上の男女に口分田という田んぼをレンタルする法律。
口分田は売買できず、借主が亡くなったら返却された。
国家は班田(口分田のレンタル)をしやすいように条里制を施行し田地を区画整理した。

祖調庸
民衆に課した税負担。
祖は口分田の収穫量の3%の稲を納めること。
調は絹や糸、海産物といった特産品を一定量納めること。
庸は都での労役の代わりに長さ8mの麻布を納めること。
雑徭は年間60日以下の地方での労役(インフラの整備などの土木工事)。
防人は東国の兵士から選ばれる九州北部の警備兵。
公出挙(くすいこ)は国司が祖として納められた稲を春にレンタルし、秋に5割の利息をつけて返却させるというもの。
どれもキツく農民は苦しい生活を余儀なくされた。

白鳳文化
律令国家形成期の7世紀後半~8世紀初めにかけての文化。
飛鳥文化は南北朝時代の中国の影響を受けていたが、白鳳文化は初期の唐の影響を受け、藤原京で花開いた。

白鳳文化の文化財
薬師寺:奥さんの持統天皇の病気の回復を願って天武天皇が建てた。フェノロサが絶賛。
大官大寺:舒明天皇が建てた百済大寺を、天武天皇が移転したもの。
興福寺仏頭:飛鳥文化の特徴であるアルカイックスマイルが見られない。あと丸顔。
高松塚古墳:明日香村にある。北:玄武、東:青龍、西:白虎などカラフルな壁画が描かれている。
キトラ古墳:こちらも奈良の明日香村にある古墳。こちらも四神が描かれている。
法隆寺金堂壁画:法隆寺にあるが飛鳥文化ではなく白鳳文化に分類される。なんでこういうことになるかというと、年代じゃなくて絵画の画風で分類しているからで、それでいいんかいと論争になっている。一部火事で燃えた。
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