鎌倉時代の概要(1185年~1333年)
武士が政治の主導権を握る幕府体制が始まる。
幕府に従う武士を御家人といい、幕府は彼らに領地を与え、その代わりに軍役を課した。
やがて、執権北条氏が専制的な政治を行うようになるが、元寇によって生活が苦しくなった御家人が幕府に不満を持ちクーデターが勃発、終わる。
治承・寿永の乱(じしょうじゅえいのらん)
いわゆる源平合戦。
日本一の大天狗と呼ばれた謀略家の後白河法皇は、鹿ケ谷の陰謀で失敗した際、「もう二度と政治に口出しはしません」と平家に約束したにも関わらず、自分の息子の以仁王(もちひとおう)に打倒平家を広く呼びかけさせ、源頼朝や、木曽の源義仲などを挙兵させた。
そもそもお前が平家を重用したんだろうがって感じだが、これも摂関家と結び付きが強かった源氏の力を弱めるための策略で、今度はその平家が調子に乗り出したから、源氏を利用し平家を始末しようとしたのだ。『アウトレイジ ビヨンド』の片岡刑事ばりの汚さである。
源頼朝
伊豆では桓武平氏系の北条時政が源頼朝の監視に当たっていたはずなのだが、監視がゆるかったのか、源頼朝は北条時政の娘の北条政子と駆け落ちをして、石橋山の戦いに臨んだ。
この戦いに敗北した源頼朝は、武士の情けで見逃されると、千葉県南房総の安房国に逃げ、一度体勢を立て直し、今度は鎌倉に拠点をおいた。
その後、源頼朝は拠点の鎌倉を動かず、弟の源範頼(みなもとののりより)、源義経を使って戦争を進めることにした。ちなみに幕府とはもともと戦場において大将が指揮を執る幕の中を指し、それが武家政権を指す言葉になった。
平家の滅亡
対する平家は、都を大きな港のある神戸の福原京に移転したが、すぐに京都に戻し、畿内や西国での支配を固め、源氏に対抗した。
しかし平清盛が急死してしまった上に、西国で養和の飢饉が起こると、次第に弱体化、北陸で源義仲に敗北し、都落ちした。
その後、源義仲の力が強くなると、後白河法皇は源頼朝に源義仲を始末させ、ついでに西国に逃げた平家も追討させた。ほんとこいつ汚ねえ。
そして1185年、長門の壇ノ浦の戦いで義経軍に敗れた平家は滅亡した。
『吾妻鏡』によれば、幼かった安徳天皇と共に三種の神器の刀も関門海峡に水没し紛失した。
頼朝追討の院宣と義経追討の院宣
後白河法皇の悪巧みはこれで終わらず、利用価値のなくなった源氏の共倒れを狙って、兄の待遇に不満を持つ義経に頼朝を討てと命令し(頼朝追討の院宣)、これが失敗すると今度は兄の頼朝に弟の義経を討てと命令した(義経追討の院宣)。
この時、後白河法皇は交換条件として、守護を全国に置く権利、地頭を荘園や公領に置き、彼らに兵粮米を徴収させる権利、在庁官人を支配させる権利を頼朝に認めてしまった。
これが後白河法皇最大のミスだった。
頼朝は後白河法皇の命令通り、奥州に逃亡していた弟の義経を討ち、さらに彼をかくまった奥州藤原氏を滅亡させたが、その後、自身の勢力を西国にまで拡大させると、後白河法皇が恐れていた武家政権成立に動き出す。
後白河法皇は源頼朝の将軍就任に最後まで反対していたものの、頼朝は後白河法皇が死ぬとさっそく1192年に征夷大将軍となり、武家政権である鎌倉幕府を開いた。
様々な勢力を捨て駒のように影で操った後白河法皇も、最後の最後には飼い犬に手を噛まれたのだ。
鎌倉幕府の成立時期
ちなみに鎌倉時代の始まりはかつては「いい国作ろう鎌倉幕府」だったのだが、現在では1192年鎌倉幕府成立説は少数派で、最近の教科書では「いい箱作ろう鎌倉幕府」という謎のメッセージになっている。
これは1185年に平家の残党と義経追討の名目で守護・地頭が置かれ、武家の支配が全国に及んだことにちなむ。本当どっちでもいんだけど、まあ鎌倉時代はそんな感じで7年伸びた。
二元統治
武家政権が始まったものの、源頼朝の時代には幕府の権力は絶対的なものではなかった。
幕府の財政基盤は、頼朝が所有する知行国や、平家から没収した大量の荘園(平家没官領)だったが、朝廷や貴族、大寺院といった荘園領主の力は根強かった。
鎌倉幕府と朝廷の関係は、新制という朝廷から通達される法令によって拘束され、幕府は守護・地頭を通して朝廷の支配や荘園の維持を助けた。
封建制度
源頼朝は従者である御家人たちを、公領や荘園の管理をする地頭に任命し、先祖代々の所領の支配を保障する本領安堵や、新たな所領を与える新恩給与などの御恩を与えた。
地頭とともに新設された守護は、各国に一人ずつ置かれる諸国の軍事行政官で、東国出身の有力御家人が任命された。
守護は職務内容が国司とかなり丸かぶりで、後の御成敗式目では守護は警察と軍事だけを行い、行政は国司に任せるということになったが、結局国司は形骸化した。
御恩を主人から受けた御家人は、戦時には軍役、平時には大犯三ヶ条(だいぼんさんかじょう)という職務規定に従い、京都大番役、鎌倉番役、異国警固番役などの警備といった奉公をした。
このような土地の支配を認める代わりに、軍役を課す制度を封建制度といい、若干形は違うが中世ヨーロッパや中国の西周などでも行われた。
侍所
御家人を統率。軍事や警察を担当。長官は別当と呼ばれ、和田義盛が務めた。
政所
一般政務や財務事務を担当。初期は公文所と呼ばれた。長官は別当と呼ばれ、大江広元が務めた。
問注所
裁判事務を担当。長官は執事と呼ばれ、三善康信が務めた。
北条時政
源頼朝が謎の急死をし、当時18歳で政治家として無能だった源頼家が2代将軍につくと、御家人たちは主導権争いを始めた。
北条政子の父、北条時政は1203年に自分の孫に当たる源頼家を幽閉、翌年殺害し、頼家の弟でまだ幼かった源実朝を将軍につけた。
北条時政は将軍が幼いということで、彼を補佐する執権という職に就き、将軍版摂関政治みたいなものを始めだした。これを執権政治といい、以降将軍は形ばかりの地位となった。
その後、北条時政は源実朝の代わりに婿の平賀朝雅(ひらがともまさ)を擁立しようとしたが、娘の北条政子や息子の北条義時に阻止され、伊豆に引退することになった。
北条義時
2代執権。
侍所の別当の和田義盛を和田合戦で滅ぼし、自ら侍所と政所の別当となった。
藤原将軍
1219年、源頼家の子の公暁(くぎょう)が父の敵である源実朝を暗殺、さらに公暁自身もまもなく討たれてしまうと、源頼朝の血は絶えてしまった。
これを受けて北条義時は皇族を次の将軍につけようと交渉を持ちかけたが、後鳥羽上皇がこれを拒否、仕方なく源頼朝の遠い親戚の摂関家、藤原頼経(ふじわらよりつね)を4代将軍につけた。これを摂家将軍と呼ぶ。
ちなみに藤原頼経は2歳のとき鎌倉に迎えられ、8歳で将軍に即位した。お飾りだったのは言うまでもない。
承久の乱
分散していた皇室領の荘園を集め、西面の武士を置くことで院政を強化した後鳥羽上皇は、歌仲間の3代将軍実朝が殺されると幕府との対決姿勢を強め(4代将軍の依頼を断った)、1221年についに北条氏打倒を呼びかけた。
しかし後鳥羽上皇の予想に反して東国武士の大半は北条氏側につき、北条義時の息子の泰時と、義時の弟の時房が京都を攻めると一ヶ月程度で鎮圧されてしまった。
その後、幕府は主犯の後鳥羽上皇を始め3人の上皇を島流しにすると共に、仲恭天皇を廃し、皇室の皇位継承に介入するようになった。
さらに京都に朝廷を監視する六波羅探題を設置し、京都周辺の警備や西国の統治に当たらせ、朝廷が挙兵できないようにした。六波羅は京都にあるお寺の名前。
承久の乱で後鳥羽上皇側についた貴族や武士たちの土地は没収され、幕府側で頑張って戦ってくれた御家人に与えられた。
この時任命された地頭は新補地頭(しんぽじとう)と呼ばれ、幕府の支配権は畿内、西国、荘園、公領と、さらに拡大したが、これにともない武士同士、もしくは荘園領主や国衙たちとの小競り合いも頻発し、裁判制度の確立が求められた。
北条泰時
3代執権。
1232年にかの有名な御成敗式目51ヶ条(貞永式目)を制定する。
御成敗式目は、日本初の武士の法典で、先例や道理と呼ばれる武家社会の慣習、道徳に基づき、封建制度における紛争を公平に裁く基準を明確にした。
北条泰時は他にも、執権の補佐をする連署や、幕府の政務処理や裁判を行う評定集というポストを新設、これらのポストには有力御家人、とりわけ北条氏が優先的に任命され、やがて北条氏がほとんど独占するようになる。
北条時頼
5代執権。
御家人の所領に関する訴訟を専門に受け付ける引付衆を作って裁判を迅速化させたり、朝廷にも評定集を設置してつながりを強め、藤原将軍から皇族将軍に変更(もちろんこれも有名無実)、幕府が朝廷を支配できるようにした。
宝治合戦(ほうじがっせん)
1247年。幕府内で強い影響力を持っていた大御家人三浦泰村(みうらやすむら)を、北条時頼とその外戚の安達景盛(あだちかげもり)が滅ぼし、北条氏の独裁体制を確立させた戦い。
惣領制
鎌倉時代の武士は血縁関係で結ばれ、一族(一門もしくは一家)ごとに本家である宗家と、その他の庶子で構成されていた。
惣領は一門のリーダーで、戦時には軍を指揮し、平時には祭祀を取り仕切ると共に、幕府への軍役や、領主・国衙への年貢納入における責任者を務めた。
武士たちは河川近くのちょっと高くなっている土地に堀や塀を巡らせ、その中に館を建てて暮らした。
館の周囲には佃、門田、正作、用作などと呼ばれた年貢がかからない直営地を作り、下人や農民に耕作をさせた。
地頭は、農民から徴収した年貢を国衙や荘園領主に納め、自分の収入は農民から課徴米として別に徴収したため、農民にとっては国税、地方税的なダブルパンチになった。
地頭請所(じとううけしょ)
荘園や公領の領主が、しかたなく地頭に荘園の管理をすべて任せて、その代わりに一定の年貢を納入させること。
下地中分(したじちゅうぶん)
領地を地頭に分け与えて、相互支配を認め合うこと。
武芸の訓練
流鏑馬:走る馬に乗りながら的に矢を射る訓練、もしくは儀式。
笠懸:流鏑馬とほとんど一緒だが、こちらの方がより実践的で余興的だった。
犬追物(いぬおうもの):馬に乗りながら犬を追いかけて弓で射る訓練。一試合に150頭もの犬が射られた。かなり動物虐待だが、用いられる矢は柔らかく殺傷能力はなかった。
巻狩:シカやイノシシを四方から取り囲み、徐々に包囲を狭めながら、弓矢で獲物を仕留める大規模なハンティング。猟犬が使われた。
蒙古襲来(元寇)
13世紀初め、チンギス=ハーンが中央アジア~南ロシアを征服しモンゴル帝国を築いた。
チンギス=ハーンの後継者らは、ヨーロッパや中国の金を侵略し、ユーラシア大陸をほとんど支配してしまう。
チンギス=ハーンの孫のクビライ=ハーンは元を起こし都を北京に移転、朝鮮半島の高麗を隷属させ、次は日本だ!と日本に朝貢を要求してきた。
時の執権北条時宗は、この要求(×4)を拒否するばかりか、元からの使者を殺してしまったので、元は高麗の軍隊を使って日本に侵攻することにした。
クビライは、南宋の旧軍人に農具と作物の種を持たせ、占領後の日本に移住させるつもりだったらしい。
文永の役
1274年。一度目の元寇。
3万もの元軍が900隻の軍艦で、対馬と壱岐を攻めたあと、博多湾に上陸、集団戦術(武士の戦いは基本的に一対一)や火器によって日本軍を圧倒した。
しかし一所懸命の精神(=と恩賞が欲しかった)で無謀な特攻を繰り返す、日本軍の予想外の根性に、元軍の首脳陣が撤退を命令、さらに偶然吹いた暴風雨によって敗退した。
これを受けて幕府は九州の異国警固番役を強化し、博多湾ぞいに石塁を築いた。
弘安の役
1281年。二度目の元寇。
南宋を滅ぼした元が今度は14万2000人の兵士と4400隻の軍艦を率いて襲撃してきた。
しかし今度も台風によって艦隊は一瞬にして壊滅、元軍を追撃した日本軍は海上で強襲し、元軍の4分の3を撃破。日本軍は大勝利した。
一説には、元が高麗に軍艦を突貫工事で建造させたため、神風でみんな沈んでしまったと言う。
この戦争の後、幕府は朝廷管轄の全国の荘園や公領からも武士を動員する権利を得た。
また博多に鎮西探題(ちんぜいたんだい)として北条一門を派遣し、九州の政務や裁判、御家人の指揮に当たらせた。
得宗専制政治
西国一帯の武士の支配権が確立されるとともに、北条氏の家督である得宗の権力も強大なものになった。
得宗の家臣、御内人(みうちびと)と御家人の対立は激化し、9代執権北条貞時の頃には、元寇の戦後処理を行った有力御家人の安達泰盛が、御内人の内管領平頼綱に滅ぼされる霜月騒動が起きた。
平頼綱は、その後成長した北条貞時に滅ぼされたが、これ以降北条氏と御内人は独裁政治を行うようになった。
全国の守護の半分以上、地頭のほとんどが北条ファミリーに独占されてしまい、得宗専制政治は多くの不満を生むようになった。
鎌倉時代の農業
二毛作:一年に米と麦を栽培する。
刈敷:刈った草を田に敷いて肥料にする。
草木灰(そうもくかい):草木を焼いた灰を肥料にする。
荏胡麻(えごま)の栽培:それをさらに麻布を作った。
鎌倉時代の経済
定期市:荘園や公領の中心地、交通の要所、寺社の門前で開催。
三斎市:月に3回行われる市。
行商人:中央から地方へと工芸品や織物を売りに行く商人。
見世棚:奈良や鎌倉などの都市にある常設小売店。
問丸:年貢運送管理や商品の中継、委託販売を行う、物流を専門にした組織。
座:商工業者の同業者団体。公家や寺社に賄賂を贈り、その見返りに販売権を独占した。
貨幣経済:米といった現物支給ではなく、支払いが宋銭などの貨幣になった。
為替:遠隔地取引の際に金銭の輸送を手形で代用すること。
借上(かしあげ):高利貸業者。
永仁の徳政令
元寇での恩給が期待以上に不十分、分割相続の切り返しで所領が細分化、貨幣経済の発展などによって御家人たちの生活は困窮していた。
これを受けて北条貞時は永仁の徳政令を出し、御家人の質入れを禁止し、彼らの借金を帳消しにしたが上手くいかず、畿内や周辺では、地頭や御家人ではない新興武士たちが悪党となり荘園領主に抵抗するようになった。
正中の変
朝廷では後深草天皇の流れを汲む持明院統と、亀山天皇の流れを汲む大覚寺統が皇位継承権で争い、幕府の介入でとりあえず交互で皇位につくようにしていたが(両統迭立)、これに不満を持っていた大覚寺統の後醍醐天皇は、得宗専制政治に対する御家人たちの不満を利用して、1324年に倒幕計画を試みるが幕府側に情報がもれて失敗する。
元弘の変
懲りない後醍醐天皇は女装して御所を抜けると1331年に再び挙兵をして、やっぱり失敗。これにより後醍醐天皇は隠岐に島流しにされた。
しかし後醍醐天皇の息子の護良親王や、大阪河内国の豪族の楠正成(くすのきまさしげ)は、悪党などの反幕勢力を結集させて幕府軍に宣戦布告、隠岐を脱出した後醍醐天皇も倒幕を呼びかけるようになると、呼応する者が急増、有力御家人で幕府軍の指揮官だった足利高氏は北条高時の「高」を与えられたことも忘れたのか、天皇側に寝返り六波羅探題を襲撃、群馬県上野国の御家人新田義貞も鎌倉に攻め込み、北条高時を滅ぼした。これにより1333年、鎌倉幕府は滅亡した。
ちなみに、この功績(寝返り)を認められて足利高氏は、後醍醐天皇から「尊」の字をもらったのだが、逆に言えばご褒美はそれくらいだった為(高い地位に就かせてもらえなかった)、後醍醐天皇と足利尊氏の間にはしこりが残ることになった。
鎌倉文化
武士の質素で力強い文化と、政権を武士に奪われた貴族のノスタルジックな文化が見られた。
鎌倉新仏教
旧来の難しい学問や祈祷を重視するのではなく、庶民など広い階層の人々を取り込むために、念仏や題目、座禅など誰でもわかりやすい修行を中心としている。
浄土宗:法然。専修念仏。『選択本願念仏宗』。知恩院。
浄土真宗:親鸞。悪人正機説。『教行信証』。本願寺。
時宗:一遍。踊念仏。『一遍上人語録』。清浄光寺。
日蓮(法華)宗:日蓮。『立正安国論』。久遠寺。
臨済宗:栄西。幕府に広まった禅宗。『興禅護国論』。建仁寺。
曹洞宗:道元。山中でひたすら座禅。『正法眼蔵』。永平寺。
旧仏教の動き
鎌倉新仏教に刺激され、法相宗の貞慶(じょうけい)と華厳宗の明恵(みょうえ)は南都仏教を復興し、律宗の叡尊(えいぞん)と忍性(にんしょう)は戒律を重んじながら、貧しい人や病人へ赤十字的な慈善事業を行った。
中世文学
『新古今和歌集』:藤原定家が後鳥羽上皇の命で編纂。
『山家集』:西行が平安末期の動乱をふまえて詠んだ。
『金槐和歌集』:源実朝の歌集で万葉調。
『十訓抄』:儒教に基づいた教訓を記述。
『沙石集』:仏教説話集。
『方丈記』:鴨長明の随筆。世の中の無常を描く。
『徒然草』:吉田兼好の随筆。動乱記の人間観察。
『海道記』:作者不詳。東海道を取り上げた紀行文。
『水鏡』:四鏡の第3弾で古代~平安時代までの歴史を振り返る。
『吾妻鏡』:作者不詳の歴史物語。幕府の歴史を記述。
『愚管抄』:源頼朝の友達、九条兼実の弟の慈円による歴史物語。
『平家物語』:平家の興亡を描いた軍記物語。琵琶法師が文字の読めない人に語った。
『保元物語』:保元の乱を源為朝を中心に記述した歴史物語。
鎌倉時代の学問
貴族の過ぎ去った栄光を懐かしむ風潮があった。
有職故実(ゆうそくこじつ)という朝廷の儀式や先例を研究する学問が流行り、金沢には金沢文庫という私設図書館が建てられた。新書レーベルみたいな名前だけど。
また宋学(朱子学)も伝わり、その中の大義名分論は後醍醐天皇の倒幕運動の理論的裏付けになった。
さらに鎌倉仏教の影響を受けた神道理論が、伊勢神宮の渡会家行(わたらいいえゆき)によって作られ、伊勢神道もしくは度会神道と呼ばれた。伊勢神道は、仏>神と考えた本知垂迹説とは真逆で神>仏と考えた。
鎌倉時代の建築
東大寺南大門:大陸的な雄大さを持つ大仏様という建築様式が特徴。
円覚寺舎利殿:整然とした美しさと繊細さを持つ禅宗様(唐様)という建築様式が特徴。
蓮華王院本堂:平安時代からの和洋建築。
観心寺金堂:大仏様+禅宗様の折衷様の建築物。
鎌倉時代の芸術
西洋のルネサンスのように、ありのままの人間を肯定するような、写実的な表現が見られ、蒙古襲来絵巻、平治物語絵巻、法然上人絵伝、一遍上人絵伝、春日権現験記といった絵巻物や似絵という肖像画が描かれている。
彫刻では運慶と快慶が作った東大寺南大門金剛力士像が有名。
書道では、和と宋の書風を組み合わせた青蓮院流(しょうれいいんりゅう)を創始した尊円入道親王の『鷹巣帖』がある。
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