戦国時代~安土桃山時代の概要(1467年~1603年)
近年では応仁の乱からではなく、室町幕府から中央政権としての機能が決定的になくなった明応の政変(1493年)以降を戦国時代と呼ぶという説もある。
なんにせよ室町幕府は統治機構として完全に形骸化し、ツワモノたちによる群雄割拠の時代となった。ご存知、織田信長と、その部下の豊臣秀吉が、この戦乱をおさめたが、豊臣氏はその後の朝鮮出兵で失敗し、チャンスが来るまで待って待って待った徳川家康が天下泰平の世を築くことになる。
室町幕府の実権
応仁の乱のあとも室町幕府の内部では権力争いが継続しており、その実権は管領家の細川氏から、その家臣の三好長慶(みよしながよし)、そしてさらにその家臣の松永久秀へと移っていった。
鎌倉公方の分裂
関東を統括する鎌倉公方は、足利成氏の古河公方と、8代将軍足利義政の弟(実際は兄だが母親のランク的なあれで弟に)の足利政知(あしかがまさとも)の堀越公方に分裂し争った。
関東管領の分裂
鎌倉公方の補佐役の関東管領は、山内と扇谷(おうぎがやつ)の両上杉氏が内部分裂をしていた。
戦国大名
こんな中央政府の権力争いを尻目に、地方では自ら領国を作り上げ独自支配を行う権力者、つまり戦国大名が育っていった。
15世紀末の北条早雲(鎌倉時代の執権北条家とは無関係で改名の際にあやかっただけ)もそんな一人で、堀越公方を滅ぼして伊豆(堀越)を奪うと、相模へ進出して、小田原を拠点とする戦国大名となり、彼らの子孫は関東一帯にその勢力を広げた。
16世紀に入ると、さらに多くの戦国大名が現れることになる。以下三つの系譜をまとめる。
守護大名系戦国大名
守護大名から戦国大名にそのまま移行したケース。
実は割とレアな存在で、駿河、近江を支配した今川義元や、山梨県“甲斐の虎”武田信玄、薩摩の島津貴久など下克上を一切許さなかった強大な大名が該当する。
守護代系戦国大名
守護の代理出身の戦国大名。
管領の斯波氏の守護代からのし上がった愛知県尾張の織田信長、福井県越前の朝倉義景や、上杉氏の守護代からのし上がった新潟“越後の龍”上杉謙信(旧姓:長尾)らが該当する。
国人系戦国大名
国人出身の戦国大名。広島県安芸の毛利元就や、高知県土佐の長宗我部元親など。
戦国武将の家臣たちは国人や地侍がほとんどだったので、彼らは一番家臣と近しいリーダーだったのかもしれない。
戦国大名の政策①貫高制
家臣の収入額を銭に換算して、それ(貫高)に応じて軍役を課す制度。
経済に割と強い織田信長がいち早く導入した。ちなみに自己申告制だったらしい。
戦国大名の政策②寄親・寄子制
家臣団に組み入れた地侍(子)を、有力家臣(親)に預けて監督させる手法。
戦国大名の政策③分国法(家法、壁書)
武将ごとに制定された家臣団統制や領国支配の基本法で、私婚の禁、罰則の連座制など中世法の集大成的な感じだった。
また喧嘩両成敗法など中世にはなかった新しい法も定められた。
伊達氏の塵芥集、今川氏の今川仮名目録、武田氏の甲州法度之次第、朝倉氏の朝倉孝景条々など。
戦国大名の政策④指出検地
家臣の領主や名主に田畑の面積や収入額を自己申告させ、そのデータを検地帳に登録した。
地方都市の発展
戦国大名は市場税を課さない楽市令を出すことで、経済を活性化させたため、農村の市場や町が飛躍的に増加した。
町(ちょう)とはそもそも裕福な商工業者である町衆を中心とした自治組織を指し、寺社周辺には門前町、浄土真宗の寺院の境内に商工業者が集まった寺内町、ほかに港町や宿場町などの町できた。
中継貿易
戦国時代の明は私的貿易をすべて禁じる海禁政策をとっていたのだが、北のモンゴルと南の倭寇の勢力によって衰えつつあった明には私的貿易のすべてを押さえ込む力がなく、実際には中国、日本、朝鮮、琉球、ベトナムなどの間で中継貿易が盛んに行われていた。
鉄砲の伝来
新たなキリスト教信者獲得と海外貿易圏の拡大を目指したヨーロッパは世界に積極的に進出(いわゆる大航海時代)、1543年に九州薩摩の種子島にポルトガル人フェルナン・メンデス・ピントを乗せた中国人倭寇の船が漂着すると、島主の種子島時尭(たねがしまときたか)は彼らが持っていた鉄砲3丁を購入した。
鉄砲は当時の最新ハイテク兵器で、というか最新過ぎて開発されたヨーロッパでもあまり実戦で使用されていなかったのだが(弓の信頼度の方が高かった)、新しもの好きな織田信長はいち早く戦争に導入し足軽鉄砲隊によって長篠の戦いを勝利に導いた。
ちなみに当時の鉄砲の価格は一丁辺りなんと2000万円以上で、その後、国産化によってコストダウンに成功、織田信長の時は1丁50万円にまで値下がりしている。
私的に貨幣を偽造できるような高い鋳造技術がここで生きたのだ。さすが物作りジャパン。
この時代の有名な鉄砲メーカーとして大阪府和泉の堺、紀伊半島の根来衆と雑賀衆、滋賀県近江の国友などがある。全部近畿地方なんだね。
南蛮貿易
その後、ポルトガル人は毎年のように九州の港に来航、1584年にはスペイン人も佐賀県肥前の平戸に来航して日本と貿易を始めた。
彼らヨーロッパ人は当時の日本人に南蛮人と呼ばれたため(酷い蔑称)、この貿易を南蛮貿易という。日本は16世紀半ばから生産量が伸びていた銀や刀、漆器などを輸出し、中国産生糸や火薬(硝石)、鉄砲を輸入した。
また人身売買(奴隷貿易)も盛んで、一人当たり4万円ほどで安売りされていた。
ほかにも天文学、医学、地理学などの学問、カボチャ、トウモロコシ、ジャガイモといった南米由来の野菜、パン、カステラ、コップ、ボタン、タバコ、地球儀、メガネ、カルタ(!)などが日本に伝わっている。
芸術分野では油絵や銅版画の技法が伝わり、ポルトガル人来航の様子を緻密な写実性で描写した南蛮屏風など西洋絵画の影響を受けた作品も描かれた。
主な貿易港は平戸、長崎、大分の御府内(ごふない)で、京都や堺、博多の商人達が積極的に参加した。
キリスト教の布教
南蛮貿易はキリスト教の布教活動とセットで付いてきた。宗教改革で信者が減ったカトリックイエズス会(耶蘇会)のフランシスコ=ザビエルは1549年に鹿児島にやってくると、大内義隆や大友義鎮たちの保護を受けて布教を開始した。
ザビエルは外国人に慈悲深い人物で、日本人を「異教徒の中で最も優れていて、親しみやすく善良である」と大絶賛。それと同時にキリスト教では考えられない、公然と行われるBL文化にはたまげたという。
ちなみにキリスト教の神様であるイエスは、当初は「大日」と通訳のヤジロウが超訳しちゃったため仏教の一派と勘違いされた。そこでザビエルはデウス(ポルトガル語で神様)という呼び名で布教することにした。
その後、相次いで来日した宣教師たちは教会堂(南蛮寺)を建てたり、聖職者養成学校のコレジオ(カレッジ)、神学校のセミナリオ(セミナー)を作った。
ポルトガル船は布教を認めてくれた大名領に入港したので、南蛮貿易の利益が欲しい大名は積極的にキリスト教を保護、中には洗礼を受けてクリスチャンになるキリシタン大名も現れた。
天正遣欧使節団
1582年に宣教師ヴァリニャーニの勧めで、キリシタン大名の大友義鎮(おおともよししげ)、有馬晴信(ありまはるのぶ)、大村純忠(おおむらすみただ)が、ローマ教皇のもとに派遣した少年使節団。
チームリーダーは伊東マンショでメンバーの年齢は全員中学生くらいだった。
スペイン王フェリペ2世に謁見するなどしてヨーロッパに日本人の存在を広めた彼らは、お土産としてグーテンベルグの活版印刷機を日本に持ち帰ってきた。
この技術で印刷されたローマ字による日本の古典をキリシタン版(天草版)といい、天草版『平家物語』などや『イソップ物語』、ポルトガル語の辞書が有名。
信長の野望
信長様は、尾張の守護代の分家に生まれた。
幼少時は常識破りの行動から「大うつけ」と呼ばれ、身分を気にせず町の民と遊んでいたらしい。しかし信長が中学生くらいの頃に初めて出会った斎藤道三(のちに信長の義理のお父さんになる)は、早くして信長の才能に気づいていたという。
しかしそんな斎藤道三は、長良川の戦いで実の息子のクーデターにあい、織田信長の助けも間に合わず殺されてしまう。
その後、稲生の戦いで弟の織田信勝を倒し、名実ともに尾張の主になった信長は1560年に東海一の大名の今川義元を桶狭間の戦いで破ると、さらに西へ進軍し、美濃の斎藤氏を稲葉山城の戦いで撃破。
美濃を岐阜と名称を変更した信長は、ここで天下布武の印判を押し、天下統一の野望を宣言した。
1568年には、畿内を追われていた足利義昭を京都に連れ戻し、将軍職に就け、自分が将軍を凌ぐ力を持つことを大々的にアピール。
1570年、姉川の戦いで近江の浅井氏と福井県越前の朝倉氏を倒すと、1571年には比叡山延暦寺を焼き討ち、1573年になると将軍職の権威を復活させようと動いた足利義昭を追放し室町幕府を滅ぼした。
この翌年には、伊勢長島の一向一揆を鎮圧、1575年に徳川家康とタッグを組んで戦った長篠の戦いでは、騎馬や投石中心の武田勝頼の軍隊を最新兵器の鉄砲で撃破した。同年には越前の一向一揆も鎮圧している。
こういった宗教勢力は非常に手ごわい相手だったのだが、信長はキリスト教を保護することで、目には目を宗教には宗教をで対抗を試み、1580年には11年も抵抗した強敵石山本願寺をついに屈服させ、お館様は日本の三分の一を征服、天下統一まで後一歩というところまで及んだ。
しかし1582年、中国地方の毛利氏に手を焼いた豊臣秀吉を助けに向かうため、京都に滞在していた信長は、明智光秀の裏切りにあい自害してしまう(本能寺の変)。
これにより信長の野望は惜しくも潰えた。
織田信長の政策①関所の撤廃
寺社や公家が、関銭徴収のために設けた関所を廃止し、自由に人や物が移動できるようにした。
織田信長の政策②楽市令
安土城下で、特権的な販売権であった市座を廃止し、自由に商売をさせることで、経済を活性化させた。秀吉も信長に習って実施している。
江戸時代になると朱子学の影響でお金儲けは後ろめたいものみたいなイメージになってしまうが(だから商社を営んだ坂本龍馬や塾で月謝をとった福澤諭吉は疎まれた)、信長はアダム=スミス的に経済を自由化させたほうが最終的にはみんなが豊かになると考えたらしい。そう言う意味では、信長はやっぱり時代の先を行っていた(アダム=スミスが生まれたのはこの100年以上あと)。
豊臣秀吉の天下統一
信長の野望を継承したのが、身分にとらわれない人事がモットーのお館様に、地侍の生まれながら可愛がられた羽柴秀吉である。
彼は信長の死を知ると、戦っていた毛利氏と講和を結んで、すぐさま明智光秀を山崎の戦いで討伐した。たった11日の天下であった。ただ明智光秀は生存していた可能性があって、千利休や、徳川三代に仕えた僧侶の天海が光秀だったんじゃないかという珍説もある。
なんにせよ、三谷幸喜監督の『清洲会議』見てくれれば分かるけど、信長の敵を討って名を上げた秀吉は、信長の孫の秀信(三法師様)を、信長の息子たちを差し置いて後継者にしてしまうと、このとき対立した信長の筆頭家老、柴田勝家を賤ヶ岳の戦いで破り、石山本願寺の跡地に大坂城を建設した。
1584年には、妻夫木くん・・・じゃなかった信長の次男の織田信雄&徳川家康の連合軍と小牧・長久手の戦いを繰り広げ、実力者の徳川家康を味方につけてしまう。
1585年に関白に任命され名字が変わった藤原秀吉は、長宗我部元親を降参させ中国地方を平定、翌年には太政大臣の豊臣秀吉となり、天皇の命令という形で惣無事令を出して日本各地に停戦を呼びかけた。
このように秀吉は、後陽成天皇を京都に作った聚楽第(じゅらくだい)に迎えるなど、伝統的権威を巧みに利用することが得意だった。
でも、この停戦の呼びかけを無視したのが九州の島津義久(しまづよしひさ)で、秀吉はしょうがないから1587年に彼を降伏させている。その後、北条氏政・氏直親子(小田原攻め)を滅ぼし、伊達政宗ら東北地方の大名たちも服属させて(奥州平定)、1590年についに天下統一を果たした。
豊臣秀吉の政策①太閤検地(天正の石直し)
土地の面積を町、段、畝(せ)、歩に、米を量る升の容量を京升に全国的に統一した。
また田畑と屋敷の土地面積を計算し、その収穫量(石高)を算出、全国の生産力が米の収穫量で一元的に換算されるようになった。これを石高制という。
さらに荘園制度によって一つの土地に複数の土地所有者がいるややこしい状況を改善、実際にそこで働いている農民の田地と屋敷地のものにした。
これを一地一作人といい、農民は自分たちの田畑を法的に所有することができるようになったが、その代わりに石高に応じた年貢を収める義務が課せられた。
ほかにも秀吉は、大名たちには検地帳とともに、徴税や軍役をする際に便利な行政用地図である国絵図も提出させている。
豊臣秀吉の政策②刀狩り
第1条:百姓の武具を全て没収します。
第2条:取り上げた武具は方広寺の大仏建立に役立てられます。
第3条:農民は耕作に専念しましょう。
1588年に実施。農民から武器を取り上げ、土一揆や一向一揆を防ぐ狙いがあったというのが一般的な解説だが、近年ではそういった武力解除としての側面より、農民から帯刀権を奪うことで身分制度を徹底させる側面のほうが大きかったのではないかとれている。
豊臣秀吉の政策③人掃令(ひとばらいれい)
1591年に実施。武家奉公人が町人や百姓になることや、百姓が商人や職人になることを禁じた、身分統制令。江戸時代の身分制度につながる。
これを徹底させるために、職業別に戸数と人数を調査し、兵農分離を実現させた。
江戸時代は8割以上が農民などのデータもここら辺のセンサスから来ている。
豊臣秀吉の政策④バテレン追放令
織田信長は日本の宗教勢力を制圧するためにキリスト教を保護したが、秀吉はポルトガルが日本を植民地にするんじゃないかと危機意識を持ち、1587年の九州平定の際に宣教師(バテレン)を国外退去させた。
しかし1588年に海賊取締令を出して倭寇を鎮圧させた秀吉は、その後も南方貿易を継続させたため、キリスト教徒の取り締まりは不徹底だった。
豊臣政権の財源
①蔵入地(直轄領)からの収入。
②佐渡金山、石見銀山などの直轄化した主要鉱山の利益。
③京都、大阪、堺、伏見、長崎などの豪商の経済力。
とにかく広大な版図を持っていたので、財源は莫大だった。
この時作られた天正大判は巨大な金貨で秀吉政権の経済力を象徴している。
これ一枚(=10両)で米が6トン以上購入でき、現在の価値に直すと大体100万円ほど。
朝鮮出兵
戦国時代が終わり、領土拡大の機会がなくなってしまった諸大名のモチベーションを上げるために秀吉は没落しつつある明の征服を計画した。
とりあえず、秀吉は対馬の宗氏を通じて、朝鮮に朝貢と明への先導を要求したが、明に従属していた朝鮮は当然断り、秀吉は朝鮮への出兵を決めた。
秀吉はどうやら東アジアに、アジア版EUというか大東亜共栄圏みたいなものを作ろうとしていたらしく、インドのゴア州に置かれたポルトガル政庁や、フィリピンのマニアに置かれたスペイン政庁、台湾の高山国などにも朝貢を求めている。
さて、第一回目の進軍となる1592年の文録の役では、日本は明との国境付近まで軍隊を進めることができたが、朝鮮義勇軍や明の援軍によって次第に押し戻され停戦。
もう先が長くないと感じていた秀吉は、これが人生最後の大勝負だと、1597年にもう一度朝鮮に軍を送り、慶長の役を始めるが、今度は李舜臣(りしゅんしん)の朝鮮水軍にハナから苦戦、秀吉が病気で死ぬと、徳川家康や石田三成はすぐに日本軍の撤退を開始した。
この朝鮮出兵によって、諸大名のあいだには亀裂が生じ、大阪城に蓄えていた莫大な財宝をかなり使ってしまった豊臣家は、その没落を早めてしまう。
そんな秀吉とは対照的に、この時うまいこと財力や兵力を温存していたのが徳川家康で、天下泰平は彼の手によって実現することになる。
桃山文化
「桃山」とは、秀吉が晩年に住んだ京都の伏見城の城跡に桃が植えられていたことに由来する。
その特徴は、とにかく豪華絢爛、ヨーロッパの影響が随所に見られ、逆に仏教の影響が薄い点(世俗的)。
建築では、戦時の要塞としての機能よりも領国支配の利便性が優先された城郭建築が有名で、安土城、大阪城、姫路城などが挙げられる。
このような城の内部には大書院という大広間が設けられ、壁やふすまには濃絵(だみえ)という金ピカで強烈な色彩の絵が描かれた。狩野永徳の唐獅子図屏風はあまりにも有名。
こういった障壁画にはダイナミックな水墨画が描かれることもあり、こちらは長谷川等伯の松林図屏風が有名。
扉と天井の間の欄間には透かし彫りの彫刻が施された。
茶道
豊臣秀吉のお茶の先生だった堺の豪商、千利休が確立。
千利休は、茶の湯から余計な要素を取り除いて(バサラ大名がやってた闘茶ゲームとか)、精神的な要素だけを高めることで、たった二畳の茶室で簡素に行う侘び茶にたどり着いた。
1587年にはどんな身分の人も自由に参加できる北野大茶湯を開催している。
ちなみに、この時代の茶器や茶室、庭園には優れたものが多いという。
陶磁器
朝鮮の職人さんを捕虜として連れてきたので、技術が飛躍的に発展。
佐賀の有田焼(伊万里焼)、唐津焼、山口の萩焼、鹿児島の薩摩焼などは朝鮮の陶工が伝えたもの。
ちなみにそれ以前の縄文土器→弥生土器→須恵器・・・と続く日本の焼き物は六古窯といい、これらと区別される。その6つとは瀬戸、常滑、越前、備前、信楽、丹波で、大学時代、有名な陶芸家の先生に強制暗記させられました。
庶民文化
歌舞伎踊り:出雲大社の巫女さんだった出雲の阿国が京都で始めた。
人形浄瑠璃:琉球から伝わった三味線の伴奏付きの人形劇。
隆達節(りゅうたつぶし):高三隆達(たかさぶりゅうたつ)が小歌に節をつけた。
小袖の着流し:当時の女子に流行。袖口が狭く、後の和服(着物)の原型になった。
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