江戸時代の概要(1603年~1868年)
徳川将軍家が豊臣家が始めた封建制度を継承し、260年間に及ぶミラクルピースを実現させた。政治は政治家任せ、大衆文化に殺到、とにかく勤勉、外国には頭が上がらず排他的・・・現代に繋がるような日本人の庶民感覚は、ここで確立されたような気がする。
江戸時代前期
平安時代同様長い時代なので4回に分けてまとめます。
まずは江戸時代の幕藩体制が確立した、家康→秀忠→家光の時代。
今までの幕府(武家政権)って大体2代目あたりでつまずくことが多かったんだけど、2代将軍秀忠はコンプライアンスを徹底させて幕府の支配を全国的に磐石なものにしている。
じゃあ、彼が断行した改易や減封などの諸大名への厳しい措置によってクーデターは起きなかったのかというと、実はかなり重い改易処分の際にも金銭的、人事的配慮をして(家名はちゃんと残してあげたり、より高いポストに再就職みたいな)、まあこれでもいいかと大名たちを納得させたらしい。そこらへんがとにかく上手いよ。
関ヶ原の戦い
秀吉が亡くなると、秀吉政権で五大老筆頭(最高顧問的な地位)に就いていた徳川家康と、五奉行(秀吉政権の国務大臣的な)石田三成が対立、1600年に関ヶ原の戦いが起きた。
東軍の豊臣秀吉と、西軍の石田三成の兵力はほぼ互角で、むしろ事前予想では東軍を挟み撃ちにしていた西軍が有利くらいに思われていたのだが、なぜか西軍は敗れた。
その原因としてよく挙げられるのが小早川秀秋(こばやかわひであき)の裏切りである。
彼は秀吉の養子で、一時は秀吉政権の後継者とされていたが、子宝に恵まれなかった秀吉にやっと息子(豊臣秀頼)ができると、お払い箱的な扱いをされてしまう(小早川家に移籍された)。
そんな経緯もあってか、1万5000もの兵を抱え、当初は西軍についていた彼は、最終的に東軍と西軍のどちらの味方につくか決めかねていた。
結局、小早川秀秋は、徳川家康の「寝返ってくれたら上方の大国二つプレゼント」の誘いに乗ってしまい西軍を裏切り、ほかにも立場を決めかね傍観したり、東軍に寝返る者が出たため、西軍は軍勢の半分も動かせずに、大方の予想を覆して、たった一日で東軍に敗れてしまった。
小早川秀秋は、この戦いをあくまで豊臣家内の勢力争いと考えており、まさか徳川家が豊臣家を滅ぼす野望を持っているとは思っていなかったという。
一方、勝利した東軍の徳川家康は、1603年に征夷大将軍に任命され江戸幕府を開くと、西軍の中心の石田三成と小西行長(こにしゆきなが)を処刑した。
そして大阪城に入城していた毛利輝元を転封&減封処分するなど、敗れた西軍から領土を没収、それを東軍についてくれた大名に分け与え徳川幕府の大名配置の原型を作った。
大名
将軍と主従関係を結んだ1万石以上の武士を指す。1万石とは1500トンの米の生産力があるということで、金額に換算すると年間の予算は5億円ほどになった。
徳川家康は大名たちを親藩大名、譜代大名、外様大名の三つに分けて全国に配置、江戸城と市街地造成の土木工事や国絵図、郷帳(ごうちょう)作成を求めた。
郷帳とは検地帳みたいなもので、村ごとの石高を郡単位で記載し、それをさらに国単位にまとめたデータベースである。
ちなみに1万石に満たない将軍直属の家臣は旗本や御家人と呼ばれ、将軍に謁見できる地位の高いほうが旗本、できないのが御家人。
親藩大名
徳川氏の親戚。尾張、紀伊、水戸は御三家とされ、将軍に子がいないときはこの三家から後継を出すとされた。
なかでも水戸黄門で有名な水戸徳川家は、参勤交代を免除され江戸に常駐する定府大名であり、そう考えると最も諸国漫遊とは遠い地位にご老公様はいたことになる。
このように参勤交代を免れる大名はほかにもいて、参勤交代ができるほどの経済力がどう考えてもない小大名(石高1万ギリギリ)は藩の存続も厳しくなるので免除とされた。
譜代大名
古くから徳川方についていた大名。石高は少ないものの重要な職務を任された。
外様大名
関ヶ原直前もしくは以後に徳川方に従った大名。石高は多いが江戸から離れた僻地に配置された。
言うまでもなく参勤交代で掛かる予算が一番厳しい。
徳川家康
初代将軍。しかしこの時既に高齢だったので、江戸幕府を開いた2年後の1605年にすでに将軍職を息子の秀忠に譲っている。これにより江戸時代のトップは徳川一族の世襲であることをアピールした。将軍職を引退した家康は静岡県の駿府に引っ越したが、大御所として実権を握り、未だに強い力を持っていた秀吉の息子の豊臣秀頼に方広寺を作らせた挙句、その鐘に掘られた文字(国家安康、君臣豊楽)が気に入らねえと、本当にひどい言いがかりを付け、1614~15年に大阪冬の陣と夏の陣で滅ぼしてしまった。
この時の武力解除は当時の元号にちなんで元和偃武(げんなえんぶ)と呼ばれた。
その後、家康は秀忠名義で、大名の居城は一人一つまでにする一国一城令を出し、さらに大名たちを厳しく統制するため武家諸法度(元和令)を制定した。
徳川秀忠
2代将軍。家康の死後に実権を引き継ぐ。
1617年、秀忠は大名と公家と寺社に出した確認文書によって、全国の土地の所有者は将軍であり、大名たちは将軍に与えられた土地で藩の執政を行うという幕藩体制を明らかにした。
これはパッと見中世の封建制度を思わせるが、封建領主が各自に支配していた司法権や軍事権がすべて幕府に引き渡されており、絶対王政と封建制度のハイブリッド的なところがあった。
彼は、とにかく律儀な性格だったらしく、どんな相手であろうと法令を遵守した。
例えば、関ヶ原の戦いの功労者の福島正則を、城の修築を幕府に無断に行った武家諸法度違反で改易(領地や役職を没収)、大阪夏の陣で真田幸村を倒してくれた松平忠直に対しては、あまりに暴君だということで強制的に隠居させている。
家康にも「生真面目すぎる」と言われた、この秀忠の実直な政治手腕によって江戸幕府の統治体制は確固たるものになったのかもしれない。彼は1623年に将軍位を息子の家光に譲り、家康同様大御所となった。1632年没。
徳川家光
3代将軍。
肥後の外様大名の加藤忠広を、忠長(家光の弟)が計画する謀反に参加していたとして改易し、さらに全国の大名に軍役を命じて30万人の軍勢を作り、彼らと共に京都に入ることで、将軍の軍事指揮権を見せつけた。
彼は1635年に有名な武家諸法度(寛永令)を発布した。これにより国元と江戸を一年おきに往復(国元に一年、江戸に一年の繰り返し)する参勤交代と、大名の妻子が江戸屋敷に定住することを義務付けられ、殿様が藩にいないあいだに家臣が悪巧みをするという水戸黄門恒例のパターンが確立された。
幕藩体制の財源
①17世紀末には400万石にもなった幕府直轄領からの年貢
②世界有数の主要鉱山からの収入
③重要都市直轄化による経済規制
江戸幕府の統制①中央及び地方
評定所:最高司法機関で、老中と三奉行が合議して決定。
譜代大名の中から任命されるポスト
大老:普段はいない臨時の最高職。古代ローマのディクタトル的な。
老中:幕政を統轄するポスト。定数は4~5人。年寄という重臣が任命された。
若年寄:どっちなんだって話だけど老中の補佐役。定数は4人。
側用人:将軍の側近。将軍の命令を老中に伝える役職。
寺社奉行:三奉行の筆頭。寺社の行政を担当。
京都所司代:京都の警備及び西国大名の監察。
大阪城代:大阪城の警備及び西国大名の監察。
老中統括部門(旗本の中から任命)
町奉行:江戸の町の司法、行政を管轄。
勘定奉行:幕領の租税徴収と領地管理。
大番頭:江戸城と江戸市内の警備。つまり警視庁。
城代:駿府、伏見、二条城の警備。
大目付:大名を監察。
遠国奉行(おんごくぶぎょう):長崎、佐渡、日光、堺などの江戸から遠いけど重要な場所の諸奉行。
若年寄統括部門(旗本の中から任命)
書院番頭:江戸城の警備。将軍の護衛。
小姓組番頭:将軍の護衛。
目付:旗本を監察。
江戸幕府の統制②朝廷
徳川家康は1611年に御水尾天皇を即位させると、その4年後に幕府による朝廷の統制基準を定めた禁中並公家諸法度を制定、天皇領の禁裏御料や公家領を最小限にし、朝廷統制のイニシアティブは摂家に持たせた上で、京都所司代に朝廷を監視させた。
また朝廷との連絡は公家から選んだ武家伝奏に行わせた。
2代将軍秀忠になると、幕府の朝廷への規制はさらに強化されることになる。
1620年、秀忠は自分の娘を御水尾天皇の内裏に入れさせ、朝廷の残りの権限、官位制度、改元、改暦権についても幕府の許可制にしてしまった。
この力関係を象徴するのが、1627年に起きた紫衣事件(しえじけん)で、幕府は、御水尾天皇が十数人のお坊さんに勝手に紫衣(名誉あるお坊さんが朝廷から賜る紫色の法衣)を与えたとして、御水尾天皇の紫衣の授与を無効としている。
この幕府の措置に抗議した大徳寺の沢庵和尚らは流罪になってしまうが、さすがの幕府もこれはちょっとやりすぎたと思ったのか、秀忠が死ぬと、この時流罪された僧侶たちは全て許され、なんと沢庵和尚は徳川家光の帰依を受けていたりする。
江戸幕府の統制③宗教勢力
出家した皇族や摂家が入る門跡寺院を理由に、じゃあ寺社は朝廷と一緒、なら寺社も幕府の支配下というロジックで、幕府は寺社も支配した。
寺社の領地の門跡領も最小限にし、寺院法度によって宗派ごとに中心寺院(本山)を限定。その他の寺を末寺としてその下に組織させた(本末制度)。
1665年には寺と僧侶全体を支配する諸宗寺院法度と、神社と神主全体を支配する諸社禰宜神主法度(しょしゃねぎかんぬしはっと)を制定、さらに日蓮宗不受不施派(にちれんしゅうふじゅふせは)とキリスト教を禁教に指定した。
禰宜は神様の心を和ませるという意味。日蓮宗不受不施派とは日蓮宗アンチには施しや説教はしないぞという派閥。
1637年に島原天草一揆が起きると、幕府はキリスト教への弾圧をさらに強め、絵踏(えぶみ)を実施、さらに禁教を信仰しないように、寺檀制度によって、すべての家に檀那寺の檀家になることを義務付け、それを証明させる寺請け制度で宗門改めを行なった。
江戸幕府の統制④農民
農民内の格差を広げないために1643年に出された田畑永代売買の禁令(でんばたえいだいばいばいのきんれい)、分割相続による田畑の細分化を防止するために1673年に出された分地制限令、商品作物を勝手に栽培することを禁じる田畑勝手作りの令などによって、年貢の徴収を安定させた。
江戸幕府の統制⑤身分制度
いわゆる士農工商。
武士は特権階級かつ支配身分ということで政治や軍事を担当。苗字や帯刀権を持つ。
同じレベルとして天皇家や公家、僧侶や神職がいた。
最下層が非人、かたわ。
非人は物乞いや清掃、芸能に従事した人。貧困や罪を犯して転落する人もいた。
かたわ(えた)は百姓のように村を作って農業を行い、皮革やわら細工などを作ったが、差別され、死んだ馬や牛、人(死刑囚)の処理をさせられた。
江戸時代の村
17世紀末には6万を超える村が全国にあったらしい。
ほとんどが農村だったが、漁村や山村、定期市などによって村が都市化した在郷町もあった。
村では村人が自治的な運営を行い、幕府や大名もそれを認めて年貢を徴収した(村請制)。
村の運営は、いわゆる庄屋さんの名主(なぬし)、名主を補佐する組頭、村民代表の本百姓の三者(村方三役)が村掟に従って行なった。
本百姓は高持とも呼ばれ、検地帳に登録された田畑や屋敷を所有し、各種の年貢を請け負った。
一般的に百姓の生活は貧しく、田畑を持たず、日雇い労働をする百姓は水呑百姓と呼ばれ、本百姓に隷属した名子(なご)、被官(ひかん)、譜代という人もいた。なんか名称がややこしいな。
田植えや稲刈りなどの作業は結(ゆい)と呼ばれた。
年貢①本途物成(ほんとものなり)
四公六民ということで、石高の約40%の米や貨幣を納める。年貢率は免と言い、その年の収穫量に応じて変わる検見法と、一定期間変動しない定免法(徳川吉宗が導入したことで有名)の二種類があった。
年貢②小物成(こものなり)
農業以外の副業にかかる税。
山林、原野、河川、海などの用益、生産物など。1500種類以上あったらしい。
年貢③国役
河川の土木工事といった労働。国単位で課せられた。
年貢④伝馬役
公的な人や物の輸送のために人馬を差し出す。街道周辺の村に課せられた。
江戸時代の町
特に城下町が発展した。
町内は武家地、寺社地、町人地に分けられ、城下町の大半は武家地だった。
商人や手工業者の住む町人地は小さかったが、経済活動の中心となり全国と領地を結んだ。
町の運営は、名主、町年寄、月行事(がちぎょうじ)などの代表が町法に従って行なった。
ほかにも地借(宅地を借りて家を建てた人)、借家、店借(たながり)などが町にいたが、彼らは町の運営には参加できなかった。
徳川家康の積極外交
1600年に大分県に漂着したオランダ船リーフデ号に乗っていた航海士ヤン=ヨーステンと案内人のイギリス人ウィリアム=アダムス(三浦按針)を、徳川家康が江戸に招いたことがきっかけになって、1609年にオランダ、1613年にイギリスが平戸に商館を開いた。
家康はスペインとも積極的に貿易をし、さらにスペイン領のメキシコとの取引も望んだがこれは実現しなかった。ちなみに仙台の伊達政宗もメキシコとの貿易を目指し、スペインに家臣の支倉常長(はせくらつねなが)を送ったが、これもやっぱりダメだった(慶長遣欧使節)。
糸割賦制度(いとわっぷせいど)
これまで日本は中国産の生糸をポルトガル商人の仲立ちで購入していたが、家康は京都、堺、長崎の商人に独占輸入権と独占卸売権を与えることで生糸を一括購入させ、ポルトガルの利益独占を排除した(日本の商人間で市場メカニズムが発生しないため、ポルトガル商人は不当に生糸の輸入価格を上げられない)。この時結成された組織を糸割賦仲間といい、その後江戸と大坂の商人も加わり五ヶ所商人となった。
そんな中国の明とは、戦国時代につながりがあった大内氏が滅んで以来国交が途絶えており、その後、朝鮮と琉球を通じて明に国交回復を呼びかけたが、拒否されている。
朝鮮通信使
家康は、秀吉の朝鮮出兵によってこじれた日朝関係を修復し講和を実現、1609年に宗氏と朝鮮との間で己酉条約(きゆうじょうやく)が結ばれ、釜山には和館が置かれた。
幕府は、朝鮮との外交で毎度お世話になっている宗氏に対朝鮮貿易を独占させ、朝鮮からは計12回の使節が送られ、4回目から通信使と呼ばれるようになった。
琉球王国
1609年に薩摩藩に征服された琉球は、琉球国王の代が変わるごとに謝恩使を、江戸の将軍の代が変わるごとに慶賀使(けいがし)を幕府に送った。
蝦夷地
室町時代にコシャマインの反乱を鎮圧した蠣崎氏が相変わらず勢力を保っており、蠣崎氏は松前氏と名前を変え、松前藩は1604年には家康からアイヌとの交易独占権を与えられた。
1669年には、アイヌの首長のシャクシャインの戦いが起きるが、松前藩はこれを鎮圧、多くの交易対象地(商場)が和人の請負となった。
朱印船貿易
幕府は海外進出をする日本人に朱印状というパスポートを与え貿易を促進した。
その為、海外移住する日本人も増加し、ベトナム、カンボジア、フィリピンなどに日本町が作られた。
その中でも最大のものはタイのアユタヤのもので、山田長政はアユタヤ王朝に重用された。
鎖国政策
家康は海外との公益に積極的だったが(キリスト教は割と規制してたけど)、秀忠が将軍に就くと、幕府はキリスト教徒と、貿易による西国の大名たちの強大化に危機感を感じるようになる。
秀忠は1616年に外国船(中国船除く)の寄港を平戸と長崎のみにし、1624年にはスペイン船の来航を禁止。
これが家光の代になると、1633年に許可証(老中奉書)を得た奉書船以外の海外渡航が禁止され、1635年には日本人の海外渡航は全面禁止、在外日本人も帰国ができなくなった。
中国船の寄港も長崎のみになり、オランダとの競争に負けたイギリスは1623年に平戸の商館の閉鎖し、日本から撤退した。
1637年にクリスチャンの反乱である島原・天草一揆が起きると、幕府のキリスト教への締めつけは当然更に厳しくなり、1639年にはポルトガル船の来航が禁止、1641年にはオランダ商館を平戸から長崎の人工島、出島に移転させ、長崎奉行に厳しく監視させた。
これにより日本は鎖国体制に入り、オランダ、中国、朝鮮、琉球の4カ国だけと貿易をするようになった。
オランダと中国
ヨーロッパ情勢については、唯一ヨーロッパで日本とつながりを保ったオランダ商船が、日本に来航する際に提出するオランダ風説書でわずかに知るくらいになった。
なんでヨーロッパの国でオランダだけが幕府との貿易を許されたのかというと、プロテスタントのオランダはキリスト教を熱心に布教しなかったので、日本も「まあいいか」となったのだ。
しかしこれにより日本の近代化は大きく遅れた。
ちなみに1644年になると、明から清に中国の王朝が変わり、日本と通商をはじめるが、日本から大量の銀が流出すると、中国船の輸入も制限するようになった。
島原・天草一揆
かつては乱と呼ばれたが、最近の教科書では一揆になっている。
これは飢饉にもかかわらず無慈悲な年貢を課し、キリスト教を弾圧した長崎県島原と熊本県天草の領主に対して3万人もの百姓たちが立ち上がった事件で、リーダーは様々な奇術で農民たちから人気があった天草四郎だった。
島原と天草はかつてキリシタン大名(天正遣欧使節団を送った有馬晴信や小西行長)の領地だったためクリスチャンが多く、天草四郎も熱心な信者だった(しかも美少年)。
この反乱を鎮圧するために、家光は戦国時代並みの13万人もの軍隊を送り込み、国家予算の3分の1を使ってしまった。
寛永文化
17世紀前半の江戸時代の文化。寛永の元号の頃に新しい傾向が見られたためこう呼ばれる。
朱子学
上下の秩序を重んじる学問(上下定分)なので江戸時代の身分制度を正統化するうえでマッチした。
大御所は藤原惺窩で、彼の紹介で幕府の御用学者になったのが林羅山である。
朱子学とは、儒教的な思想(目上の人を敬おう)と仏教が組み合わさったような理論で、自分が正しいと思うなら行動で示せというテーゼは後醍醐天皇の原動力にもなった。
寛永文化の建築
権現造(ごんげんづくり)と数奇屋造が普及。
権現造は、先祖の霊を祀る神社建築で、桃山文化を思わせる豪華な彫刻が特徴。
神君家康公をまつる日光東照宮がそれ。神となった彼の遺骨は塔に封印されている。
数奇屋造は、書院造に、千利休が完成させた草庵風の茶室を取り入れたもの。
桂離宮の新書院がそれ。現代では高級料亭などで取り入れられているイメージ。
寛永文化の芸術
大徳寺方丈襖絵:幕府の御用絵師、狩野探幽の作品。
風神雷神図屏風:修飾画の新様式、琳派の創始者、俵屋宗達の作品。
舟橋蒔絵硯箱:本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)の作品。丸くて可愛い。
有田焼:酒井田柿右衛門が赤絵の技法を完成。窯は現代も続き、ビートたけしさんによれば柿右衛門はいい色を出す父(14代目)と、いい絵を描く息子で技術を高めあっていたらしい。
寛永文化の文学
仮名草子:教訓と道徳を説く。
貞門俳諧:松永貞徳が徘徊を連歌の入門編として独立させた。
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