『芸術による教育』の要約⑥

6.「第6章 無意識的な統合の形式」要約
 この章で主に取り上げているのはフロイトやユングなどの心理学である。
 
 人間の精神生活は単純なものでない可能性は、原始的な社会を構成する民族にも確認できる。(アニミズム・魔術的な信仰)そして、F・フォン・ハルトマン(フロイト以前の無意識理論の研究を総括した人物)以降、無意識の仮説は精神分析によって広く認知されることとなる。そもそも意識とは、気がついている状態であり、主体・客体・その二つをつなぐ感覚器官を含んでいる。人間の感覚は不断であるが、注意深く集中しなければ、感覚の内容について意識するようにはならない。
 この意見についてリードはピアジェを例に挙げている。ピアジェによる子どもの「唯我論」とは、自分と同じ感覚を他者も共有しているとみなす、自己と世界の混同である。このことは、子どもの自己の意識は、初期の運動には生得的に備わっていないことと、他者の行動と共に経験される接触の相関として徐々に子どもの感覚の内容が明確化することを示している。

 意識と無意識の論考をする前段階として、リードは次に中枢神経系における「三種の中枢」を区別したパブロフをとりあげる。パブロフの三種の中枢とは以下のようなものである。
①皮質に最も隣接した神経節の皮質下の中枢組織 
複合無条件反射、本能の部位・・・感情、欲望 空腹、自己防衛、性的興奮を担う。※無条件反射(種族反射)とは生得的な反射。先天的、本能的なもの
②大脳組織 (大脳半球の灰白質の大部分)
条件反射、一時的反射 感覚知覚器官を通して生命と外界の橋渡し。大多数の動物では最も高度な精神活動。※条件反射とはある条件化において個体レベルで獲得する反射。
③第二の組織の基礎の上に形成される器官
直接的な投影の活動を総合し一般化する。抽象の能力を実質的な基盤として作用。 

 このような脳の構造の分布は、フロイトが三層に定義した精神的人格(イド、自我、超自我)の身体的所在を示す可能性を示唆するとともに、意識がゆっくり段階的に発現する漸進性を、系統発生、個体発生の両面から説明するものであるとリードは指摘している。
 またパブロフによれば、心理学や生理学の最新の学説では、意識とは複雑な精神構造、あるいは条件反射が形成され分化が進んだ領域であるとし、人間の物質的、社会的環境に対する関係から発展したものであるという仮説を支持している、とされている。つまり意識とは、高度な精神領域であり、それは環境に対する適応の産物ということである。

 そこでリードは、意識が(社会的経験と個人的教育によって形成されるような)相対的なものであるならば、環境や訓練を根本的に変えることによって修正できることになると論じる。そして、そのもっとも根本的な変化は「話す」能力の発明であるとした上で(この機能の重要性は晩年のパブロフも注目していたという)リードの観点では、人間の言語機能と文化の発展の関連性を見いだすことは重要であるとしている。
 またパブロフは人間の思考について興味深い見解を示している。パブロフは思考とは三層の覆いに覆われて発現するとして、もっとも真実に近い「行動」、次に真実に近い、文字や図形といった「記号・象徴」、最も表面的である「言葉による交信・話し言葉の記号体系」の三つを定義した。この見解を受けてリードは「話し言葉とは、人間にとって、自らの思考を隠すものであるだけでなく、思考そのものが、感情を偽るものであるように思われる」と論じている。

 心を意識と無意識の二つの層に分ける考え方は、フロイトによる「自我」「超自我」「イド」の三つに分ける考え方へ転換することになる。この精神の三つの要素は明確な境界によって隔てられているのではなく、異なった濃度の液体の層が変化したり、浸透し合っている(グラデーション)。
 リードはフロイトやユングの学説を丁寧に紹介しているが、注目すべきは昇華についてだろう。リードは昇華を個人と社会の均衡をもたらす心的作用であるとして、そのような均衡をもたらす過程のモデルとして、初歩的で未発達な精神活動の形式が、感覚によって提供された創造的イメージを形成するという=結晶化が生じる可能性を示唆している。

 またリードはユングの集合無意識について、それを明らかにするためにマンダラを分析している。そこでマンダラ的配置(四面構造)の傾向は東洋、西洋、古代、中世問わず普遍的に現れることを発見し、中学生のマインドピクチャーを特徴によってグループ分けすることで、集合無意識の存在をさらに確かめようと試みた。するとどのグループにも十字形や四面分割といった一貫性がみられ、さらにより組織だったイメージは、バランスの取れた安定した性質の子どもたちだけが描けることを考察している。普遍的で組織だったマンダラは深い無意識の状態の状態に入りこんだときにだけ到達可能であり、元型的秩序は個人的なものではなく、感覚器自体の身体的構造の相関物であると論じている。
 では、なぜマンダラやマインドピクチャーがどれも同じような四面構造のような規則性を示すのか、それは元素の周期性、蜂の巣、結晶など自然界に見られる数学的規則性と同じく美的な普遍性が、人間の精神にも存在しているからであり、意識の層の下で起こる過程、活動は不規則で未発達なイメージを、調和的なパターンへと整えていく傾向があるのである。そしてあらゆる平静さと知的な統合の基礎である精神の均衡は、意識下の層にある形態的要素の統合がなされた時のみ可能である。それは特に創造的な活動によって行なわれ、環境への適応の基礎をなすと論じている。

 リードは、国家的社会主義の合理的な制度が非現実的で成功しないのは、論理的で、個人の自発的な創造性を抑圧し、美的な構造をしていないからであると述べ、本書によって述べられている「広い意味での教育」が、生命がその自然の創造的な自発性を十分に発揮させて生きること、感覚的、感情的、知的に十分に生きることを確かにするとしている。
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