数学史覚え書き

 「自由と平等の国」アメリカの憲法が、教育を受ける権利を国民の基本的人権として保障していないことをあなたはご存知だろうか。実際最低限の教育を受けられない子どもも多く、アメリカは国連が採択した子どもの権利条約も批准していない。
 二〇一五年になって南スーダンとソマリアが相次いで批准したため、国連加盟国一九三ヵ国中、署名しておきながら未だに批准していない国はとうとうアメリカだけとなった。『崩壊するアメリカの公教育~日本への警告~』6ページ


 ご無沙汰しております。季節もすっかりオータムとなり毎年恒例の体調不良です。最近もいろいろと面白い本や映画はあったんだけど、ブログでまとまった記事にする体力と根性がなくなりつつあって、とうとう今日まで更新できずにいました。
 それでも鈴木大裕さんの『崩壊するアメリカの公教育~日本への警告~』は、マイケル・ムーア監督の『キャピタリズム~マネーは踊る~』に匹敵する衝撃を受けたから、この場を借りてご紹介。まずは、そんなインパクト受けたての当時のツイートが残っているのでご覧下さい。

 『崩壊するアメリカの公教育』一気読み。アメリカ公教育のニューパブリックマネジメントの話。ハリケーンカトリーナで壊滅したニューオーリンズの公立学校をそのまま潰して、民間のチャータースクール(認可制の学校。業績が悪いと認可が取り消され廃校になる)にしちゃったとか、統一テストにスポンサーがついちゃっているとか、幼稚園児に手錠とか驚愕の事実続出!

 経営学的な経費節減で言えば、大学で教員免許を取得した「プロの教員」より、5週間の研修を受けただけのバイトの方が安く済むし、さらに賃金の安い発展途上国から教師を大量に引っ張っちゃうほうがいい。フォードがこの手法で自動車産業に革命を起こしたけど、それの教員バージョンなわけだ。教師は誰にでもできる、と。

 じゃあこういう先生は生徒指導はできるのかって話だけど、生徒指導は武装した警察に任せちゃうので問題ないらしい。小学生でも幼稚園生でも反抗的な子どもは犯罪者予備軍ってことでゼロトレランスでしょっぴいちゃう。小さい子は手錠がゆるいので、手首じゃなく上腕部にかけるんだってさ、ohボーイ。

 そんな感じで貧しい地域の学校に通う、黒人、知的障害者、低学力の子どもは、学力テストの点数という一元的な尺度で容赦なく切り捨てられる一方、富裕層の通う学校では、文学や美術、音楽など、テストの点数に直結しない分野も含んだ多元的で豊かな教育を受けているという逆転現象も考えさせられた。


 ・・・あらためて思うと、やべえな、資本主義のアメリカやべえなっていう。しかもこういった教育産業の市場化、合理化(コーポラトクラシー)ってイギリスのサッチャー政権でも既に試みられたし、そのサッチャーの教育政策を著書で高く評価しているのが、なにを隠そうイエッス安倍さんだからね。そしてそんなアベっちの余計なお世話な制度のせいで私は来年度から再び大学で講習を受けるのであった。

 つーか、自由な市場競争は経済的にはいいことなのかもしれないけれど、アダム=スミスも指摘するように、この手のレースには公平かつ一元的なルールが必要なわけで、ほいでそれは得てして数値的な客観的データになりがちなんだけど、教育っていうのは言ってみれば複雑系なわけで、数値に変換される際にスポイルされる部分がすごい重要だったりするわけだっていう。
 そういう今まで私が懸念していた案件について「ああ、やっぱりそうか。そうなるわな」って事例を紹介してくれたのが、この本なわけです。
 だいたい学校などには個々のご家庭に関するプライベートな情報の守秘義務があるわけで、全部アカウンタビリティなんてやれるもんならやってみろって話なんだよ。

 こういう無理くりな価値観の一元主義に対するアンチテーゼは当然アメリカにもあるわけで、この前鑑賞したクリント・イーストウッド監督の『ハドソン川の奇跡』がめっちゃそういう内容なのが面白かった。
 欧米と日本のビジネスの仕方で大きく異なるのが、客観的なデータを重視するか、それとも主観的な感覚や経験を重視するかだって言われていたんだけど、アメリカの映画でめっちゃ後者を主張する作品って珍しいなっていう。まさに職人礼賛の映画なんだ。シミュレーションや数値的なデータを過信しすぎるばかり、人的なファクターを軽視するのは我慢ならんっていうカタルシス。
 つまり、一言で言うと
 
 万国の数学嫌いよ、団結せよ!

 ・・・ってことで、今回は数学の歴史のお話です(なんつー前フリ)。
 理科の教科書とかには巻末資料で科学の歴史の年表とかあるけど、数学ってそういや見たことないなってことで、小中高で習う定理や公式を中心に作成してみました。

古代

古代エジプト
世界最古の数学の書物アーメス・パピルスに方程式的ななぞなぞが残されている。
またナイル川の氾濫による土地の所有権争いから、測量術や天文学が発展。
ロープの長さを3:4:5にわけて直角三角形を作っていたらしい。
全国の数学嫌いの最初の関門の分数もこの時にはすでにあった。

古代メソポタミア
60進法を開発。円周率も3.1くらいだと計算していた。
そろばんも作られた。

古代インド
無限の概念や、数列の規則性を表す式である漸化式も作られる。
インドのピンガラは紀元前300年頃にゼロを発明した。

古代中国
紀元前1世紀あたりの『九章算術』という数学の本において、平方根や立方根、負の数や方程式が登場。ちなみに方程とは「右と左を比べる」という意味で、この本の中国語に由来する。

古代ギリシャ

タレス
相似の考えを使ってピラミッドの高さを測る。
また、円に内接する直角三角形の斜辺は直径だというタレスの定理を考えた。

ピタゴラス
万物の根源は数だと言った人。
竪琴の調律(ピタゴラス音階)などから、この世界は整数と分数で出来ていると高らかに宣言したが、外ならぬ彼のピタゴラスの定理から弟子が無理数(平方根)を見つけてしまった。

ゼノン
ストア派の哲学者。アキレスとカメの例え話を使って空間や時間を無限に分割することを批判した。また「AはBである」を証明するために、あえてその逆の「AはBでない」の矛盾を検証する背理法も考えた。

ユークリッド
幾何学をしっかりまとめた最初のテキスト(原論)を作る。小中で習う図形分野、また高校の三角比や正弦定理、余弦定理はだいたいここで完成している。
ユークリッドは素数の数は無限にあることも発見した。

アルキメデス
円の面積を非常にたくさんの角がある多角形と考えて計算する取り尽くし法(積分的アイディア)で求め、円周率を計算する。

ヒッパルコス
星の明るさのグレードを作った天文学者。三角測量の実績から、角度と弦の対応表を作成。

プトレマイオス
地理学者。円の一周の角度を一年365日に基づいて360分割する。
三角関数の加法定理も考えた。

1~10世紀

ディオファントス
アレクサンドリア(エジプト)。方程式をはじめとする代数学をまとめる。中学校ではディオファントスの一生という方程式の文章問題で有名。

パッポス
アレクサンドリア(エジプト)。双曲線や放物線を分類。回転体の表面積や体積の求め方という数Ⅲ的な内容を考えた。

ブラフマーグプタ
インド。7世紀あたりに二次方程式の解の公式を作り、以後全国の中学三年生が強制暗記させられる羽目になった。

フワーリズミー
ペルシャ。ゼロを小さい○である0で表すこと紹介。この時のアラビア式の計算法がアルゴリズムの語源。

バッターニー
ペルシャ。正弦、余弦、正接をsin、cos、tanを用いて表したパイオニアだと考えられている。

ジェルベール
フランス。インド・アラビア数字の1~9をヨーロッパに紹介。
また10~11世紀あたりに分数の表記に例の横棒がアラビアに倣って使われだす。
割り算のマークである÷もこのあたりの時代だが作者不詳。

中世

ウイッドマン
ドイツ。+と-のマークを考える。

フィボナッチ
イタリア。自然界でよく見られるフィボナッチ数列で有名。現在の小学校から中学校あたりまでの計算方法をまとめる。

ルネサンス(14~15世紀)

ルドルフ
ドイツ。平方根を示すマークを、スクエアルーツの「ル」の字(r)を変形させてとした。

大航海時代(16世紀)

カルダノ
イタリア。複素数と確率論の創始者。三次方程式や四次方程式の解を紹介。

ネイピア
スコットランド。自然対数を作る。

オートレッド
イギリス。掛け算のマークの×と、非常に面倒な計算を対数の原理を利用させ大雑把に求めるひみつ道具の計算尺を作る。

科学革命(17世紀)

デカルト
フランス。文字式をxとyのグラフとして表すデカルト座標を開発。解析学ができるきっかけを作る。
また未知数はアルファベットの最後の方(x、y、z)、既知数はアルファベットの最初の方(a、b、c)としたのも彼で、さらに指数も彼の表記方法が一般的だが二乗だけはxxと表記していた。

カバリエリ
イタリアのボローニャ大学教授。円柱と円錐と半球の体積におけるカバリエリの定理。最近では中1ですでに習う。
また、線の長さの比と面積の比が二乗になっていることを見つける。

フェルマー
フランス。ディオファントスの『算術』に意味深なメモを残し、のちの数学者たちの人生をメチャクチャにする。

メルカトル
デンマーク。軍用の航海図の人のイメージがあるが、双曲線の面積を求めようとした際にベキ級数展開を考える。

ウォリス
イギリス。虚数の発見。物理では運動量保存の法則。

パスカル
フランス。賭博についてのフェルマーとのメールのやり取りで“同様に確からしい”という確率論の前提を考え、それを発展させる。また、数学的帰納法を完成。

ホイヘンス
オランダ。確率における期待値(平均値)。遠心力の発見。

近代化(18世紀)

ニュートン
イギリス。物理学(運動の変化の割合)の研究から微分法を考案。

ライプニッツ
ドイツ。微分法を使って曲線の極大・極小を求める。
また微分の逆の計算が積分だったということに気づく。
座標や関数などの用語も考案し、さらに二進法や計算機も開発。すごい。

ド・モアブル
フランス。1733年に正規分布を発見。

ベイズ
イギリスの牧師。1761年に最近話題のベイズの定理を考案。

19世紀

ガウス
ドイツ。1811年に複素数平面を考える。

ラプラス
フランス。1814年に古典的な確率論を本にまとめる。

ガロア
フランスの革命家。生き様がハチャメチャで面白い(女絡みの決闘でハタチで死んじゃう)。
1832年に群論を考案し五次以上の方程式では解の公式が作れないことを証明、のちの科学(相対論や量子力学など)を大いに発展させる。

リーマン
ドイツ。1859年に素数の分布の規則性に関するリーマン予想。ちなみに今だに未解決。

20世紀

ピアソン
イギリスの優生学者。全数調査を確立。ヒストグラムも考案。

フィッシャー
アメリカの経済学者。標本調査を確立。

フォン・ノイマン
アメリカ。1928年にゲーム理論を考案。40年代にはコンピューターを使って円周率を2000桁まで計算する。ちなみに現在ではスパコンで1兆桁くらいまで計算ができる。

ゲーデル
チェコ。1931年に、ある公理はその公理の正しさをその公理の枠組みだけでは証明できないという不完全定理を導く。

ワイルズ
イギリス。1994年に人生を懸けてフェルマーの最終定理を解く。
フェルマーの最終定理とは、ピタゴラスの定理は指数が2だが、これが3以上では絶対に不可能だという証明。何と360年近くかかった。

21世紀

ペレルマン
ロシア。2003年にポアンカレ予想を解く。終わりのない二次元的な曲面のある一点からロープを伸ばし、元の点に戻るとき、そのロープを引っ張ってひっかからずに回収できれば、その曲面は球面と同じであるが、それは三次元でもそうなのか?という問題。

 こうしてまとめると、小学生で習う計算の表記法がわりと歴史的には後で作られたことがわかるな。易しい分野が必ずしも古くから発見されているわけじゃないっていう。むしろちびっこにもわかるような説明の仕方こそ最も難しいのかもしれない。若かりし頃にピカピカの小学1年生に足し算教えたことあるけど、地獄だったもんな。ゲーデルの定理を痛感したよ。
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