英米文学2覚え書き②

 イギリス文学史近代編。

参考文献:荒巻哲雄、岡地嶺著『英文学読本』

Milton時代(1625~60)
清教徒の時代。
トラファルガー沖でスペインの無敵艦隊を退け、北米に植民地を作り、インドに東インド外社を設立し、国威を発揚したエリザベス女王だったが、子どもがいなかったためテューダー朝は終わり、スチュアート朝になる。
ジェームズ一世と、その子のチャールズ一世王権神授説を唱えて議会と衝突、オリヴァー・クロムウェル率いる議会軍に敗れたため、この時代は清教徒の勢力が強かった。
この時代を代表する大詩人、ジョン・ミルトンもまた清教徒であり、彼の芸術は文芸復興と宗教改革の両精神を融合させ、基督教(キリスト教)と異教を完全に調和させているところに特徴がある。
ミルトンの作家生活は三期に分けられる。
第一期(1629~38)は叙情詩の時代である。ケンブリッジ大学在学中の『キリスト降臨の朝に』に始まり、牧歌風の哀歌『リシダス』で終わる。リシダスは溺死した友人エドワード王を追悼する歌であるが、当事の宗教的堕落に対する激烈な怒号が効かれる。
第二期(1639~60)は散文の時代である。大陸旅行中に、故国の急変を知り、帰国して政界入りした。それはクロムウェル政府の週末まで続いた。
特に1641年の『スメイクティムニューアス』は、国教会派と清教徒派に宗教論争を引き起こした。ミルトンはほかにも、言論の自由についての散文『アレオパジチカ』や、『離婚論』、『教育論』なども発表している。
第三期(1660~74)は叙事詩の時代である。三度目の結婚をし、すでに失明してしまったミルトンだったが、その中で宗教文学、また英国叙事詩において最高峰と仰がれる『失楽園』12巻を執筆した。崇高なこの作品は、アダムとイヴの物語を中心に、神と悪魔の戦いを荘重な文体で書き上げている。
この時代の思想家には、主権者に絶対的権利を与えんとするトマス・ホッブスがいる。これに対し、ジェームズ・ハリントンは政治小説の『ザ・コモンウェルス・オブ・オセアナ』(洋上の共和政治)で反駁した。
劇においては、シェイクスピアなど未曾有の最盛期を迎えたエリザベス時代が過ぎ、ジェームズ一世の時代には衰微の兆候が見られたが、これは優れた劇作家が少なかった理由以外に、清教徒たちの潔癖な演劇廃止論の影響があった。これはチャールズ一世の時代にはさらに極端になり、1642年にはとうとう劇場が法律で閉鎖、王政復古まで禁止されてしまったのである。

Dryden時代(1660~1700)
王政復古~名誉革命の時代。
清教徒の厳しい倫理と武力政治に抑圧された共和制は12年で崩れ、チャールズ二世が議会に迎えられ王政復古となった。しかしチャールズ二世は民権を無視し、旧教の回復を図ったため、議会は旧教徒を官吏や議員から締め出した。この頃、王権を主張する保守党と民権を主張する自由党が生まれた。
最終的にウィリアム三世の頃に名誉革命が起き、王位相続者は新教徒に限ることを決議した。
この時代の文学は知性的で、風刺や喜劇が栄え、本質的に散文の精神が出来上がり、18世紀文学へと発展していった。
この時代を代表する作家ジョン・ドライデンは、詩、劇、批評を書いた。
ドライデンは最初はクロムウェルを称える詩を書いたが、その後チャールズ二世の時代になると王に迎合した。
『驚異の年』は、初期の傑作とされる風刺詩である。
しかしドライデンの風刺の真骨頂は、ジェームズ二世の王位継承問題を扱った政治的風刺詩の『アブサロムとアキトフェル』である。
宗教問題でもドライデンは新教から旧教へあっさり乗り換えたが、『俗人宗教』で国教会を擁護し、『牡鹿と豹』ではカトリック教会を牡鹿、国教会をヒョウなどとそれぞれ動物に見立てて宗教論争をイソップ的に風刺した。
ドライデンが詩において多用した、ヒロイック・カプレット(英雄対連。高尚な雰囲気の対句)は次のポープに代表される擬古典派の詩形となった。
また、ドライデンは近代散文の父であり、英国批評の父でもある。1668年の『劇詩論』では、テムズ川に舟を浮かべ、そこで文学について対話する内容で、ドライデンがすでにチョーサーやシェイクスピアの才能を高く評価していることがわかる。
この時代の新ジャンルとして日記文学がある。これは政治家のジョン・エヴェリンと、海軍官吏サミュエル・ピープスという二人の優れた日記から生まれた。特にピープスの日記は、暗号を駆使して自分の身辺から宮廷生活までが赤裸々に綴られている(文学として書いていたのだろうか)。
思想では、ジョン・ロックがカントの批評的経験論の先駆けとなり、ベーコンの認識論をさらに発展させた。主著の『人間悟性論』は17~18世紀のイギリス思想に大きな影響を与えた。
清教徒の時代に禁止されていたは、王政復古の反動で最も隆盛した。
ドライデンの作品では、チャールズ二世が好んだ悲喜劇『スカーレット・ラブ』や、悲劇『グラナダ征服』、喜劇『当世の結婚』などが代表作として挙げられる。
当時はフランス好みのチャールズ二世の影響を受けて、フランスの劇作法が流行った。
また、喜劇のほとんどが散文で書かれ、悲劇は韻文(詩など規則性のある文章のこと)で書かれた。

Pope時代(1700~50)
散文と理性の時代。
アン女王はスコットランドを併合し、英国をグレートブリテンと称した。またアメリカに13の植民地を作り、国政を振るった。
次の王ジョージ一世は、ほとんどドイツに居住していたので政治的責任は国王ではなく内閣が取るという責任内閣制が確立した。
その次のジョージ二世は、植民地政策に力を入れ、競争国フランスを圧倒した。
文壇も、この気運を反映して隆盛した。常識や良識が尊ばれ、想像力は理性の強い制約を受けたため、詩よりも散文が栄えた。この時代の詩は擬古典主義と呼ばれている。
ドライデンの死後、名実ともに詩壇の王者となったのがアレクサンダー・ポープである。ポープはドライデンに倣って、ヒロイック・カプレットを駆使して、シェイクスピアに次ぎ、ミルトンと並ぶほどの格言を作った。
ポープはホメロスの翻訳によって9000ポンドを得たため、生活が安定しパトロンから自由になった。この独立は文学史上画期的な出来事だった。ポープの作家人生は三期に分けられる。
第一期が模倣時代である。詩的であり独創的な点はほとんどない。しかしポープっぽくない真っ当な詩である『髪盗み』など傑作がある。
第二期が翻訳時代である。ホメロスの『イリアス』や『オデッセイ』をヒロイック・カプレットの形式で翻訳した。
第三期が創作時代である。ドライデンの風刺詩の伝統を受け継いで、自分の気に入らない連中を攻撃する『馬鹿者の歌』を書いた。
また書簡体詩『人間論』は宇宙は神の意思に基づいて完全であるという18世紀的思想を歌った。
ポープは仲間と共にスクリブレルス・クラブという学識の濫用を風刺するグループを作り、文学、政治、宗教、社会などを論じていた。
その中にはドライデンの弟子で『ガリヴァー旅行記』の作者のジョナサン・スイフトがいた。本作は航海記の形式をとり、第一部は小人の国リリパット、第二部は巨人の国ブロブディンナグ、第三部は空飛ぶ島ラピュタと哲学者や科学者の国バルニバービ、第四部は知能のある馬と、知能のない人間ヤフーの国フウイヌムを冒険する。これは決して子ども向けの童話ではなく、全てメタファーで人間痛罵の叫びである。
また英国小説の父と呼ばれるダニエル・デフォー『ロビンソン・クルーソー』を発表している。これもやはり航海記で、無人島に漂着したひとりぼっちの水夫のサバイバルライフが写実的に描かれている。
しかしポープやスイフトの作品が上流階級の教養人に受けたのに対し、デフォーは新興のブルジョワ層に迎えられた。そして、その両方の層に受け入れられたのがジャーナリズムの発展によって一層一般化したエッセイだった。

Johnson時代(1750~98)
啓蒙主義の時代。
この時代最大のできごとは、1776年のイギリスからのアメリカ独立である。大陸ではヴォルテールやルソーによる啓蒙主義が盛んになり、自由・平等・博愛を唱えて1789年にフランス革命が起きた。イギリスでは産業革命が始まりつつあった。
イギリスの思想界は、前世紀末にロックが理性を重んじ、今世紀に入るとジョージ・バークリが唯心論を唱え、懐疑的実証主義者のデヴィッド・ヒュームが先人の思想体系を是正し独自の経験主義を説いた。これらの偉業はドイツのカントに引き継がれた。
ヒュームの友人のアダム=スミスは『道徳感情論』や『国富論』を著し、倫理学や経済学に大きく貢献した。
サミュエル・ジョンソン博士は英国中部のリッチフィールドの書店の子として生まれ、オックスフォード大学を貧しさのために中退した。かなり年上の未亡人と結婚し、ロンドンに上京、雑誌に教訓的な風刺詩や小説、批評を投稿して生活していた。
ジョンソンは記憶力に優れ、トークが上手で人情に厚かったので、当時の文壇の中心人物となり、その人となりは、伝記文学の最高峰ジェームス・ボスウェル作『サミュエル・ジョンソンの人生』に描かれている。
ジョンソンの文学会には、大物政治家のエドマンド・バーク、小説家は詩人のオリヴァー・ゴールドスミス、劇作家で政治家のリチャード・ブリンズリー・シェリダン、名優デヴィッド・ギャリック、歴史家エドワード・ギボン、音楽家チャールズ・バーニー、肖像画家ジョシュア・レイノルズ、経済学者アダム=スミスなど各界の一流人物が集まった。
正義と自由の闘士バークはホイッグ党の代議士で、フランス革命の非を説いた『フランス革命への反省』は大陸に大きな影響を与えた。
散文ではスイフトとデフォーのあとを受けて、教育はないがラブレターの達人サミュエル・リチャードソンと、彼のライバルで貴族出身のヘンリー・フィールディングが活躍した。
手紙書きが大好きで、それがきっかけで作家になったリチャードソンは、書簡体小説『クラリッサ・ハーロー』で、これまで王侯貴族や英雄だった恋愛小説の主人公に市井の庶民を選び、イギリス本国を越えて大陸でも広く読まれた。これはフランスの『新エロイーズ』やドイツの『若きウェルテルの悩み』などに影響を与えている。
フィールディングの代表作『ジョゼフ・アンドリュース』はイギリス版ドン・キホーテといった内容だった。また『トム・ジョーンズ』は18世紀イギリス小説の最高傑作とされている。これは捨て子のジョーンズが、金持ちに拾われて成長し、美少女ソフィアと結婚するまでを描いた写実小説である。
この時代の詩は、ロンドンと遠く離れた地方の神秘的な民間伝説や中世の物語などが歌われるようになった。民謡や歌謡の編纂も目立ち、アラン・ラムゼイはスコットランドの古歌を集めて出版し、トーマス・パーシーは古い民謡や中世の叙情詩を集めて『英国古詩集』を作った。

Wordsworth時代(1798~1830)
ロマン主義の時代。
産業革命の結果、都市化が進み、人口が増大し、食糧問題や移民問題も発生した。
資本主義の確立は、中産階級の勢力が増した。科学の研究も進んだが、アダム=スミス以後、功利主義のミルや、人口論のマルサス、資本主義経済学のリカードなど経済学に多くの業績が出た。
またフランス革命を批判したバークを鋭く反駁したトマス・ペインは『人権論』『理性の時代』などを執筆し、フランス革命を擁護、イギリス急進派の中心となった。
19世紀前半は18世紀に反抗した時代で、理性に代わって、想像と感情が重んじられた。文芸復興期にも重ねられる、このロマン主義時代はウィリアム・ワーズワーズとサミュエル・テイラー・コールリッジの合作詩集『叙情民謡集』の出版から始まった。
ロマン主義の特徴は、自然愛好、中世趣味、超自然主義、異国情緒、革命精神、ギリシャ精神などが挙げられる。
ワーズワースの仲間たちはイギリスとスコットランドの国境地方の湖畔に住んでいたので、湖畔詩人と言われる。
ワーズワースは若い頃フランス革命に共鳴したが、やがて保守的になった。コールリッジとの友情の結晶『叙情民謡集』は、コールリッジの中世、異国趣味、超自然の神秘に満ちた長編『老水夫の歌』から始まる。続いてワーズワースの『ウィーアーセブン』『イディオット・ボーイ』など新奇なバラードがあって最後に自然と人間との神秘的な関係を歌った『ティンタン寺院の詩』で終わっている。
コールリッジは、中世趣味の物語詩『クリスタベル』、騎士の悲哀を歌った『愛』、フランス革命の幻滅を歌った『フランスの詩』、自身の詩的想像力の衰えを嘆いた『落胆』などを書いた。彼の詩の世界はロマン情緒の精華であり、この境地を開いた詩人は、ほかにはスペンサーとキーツだけである。
ウォルター・スコット卿は、エジンバラ生まれの詩人で『スコットランド国境の歌』で国境地方の民謡を集大成し、『最後の吟遊詩人の歌』『マーミオン』『湖上の美人』などの傑作は、中世的な雰囲気の中に面白く筋が発展しており、その舞台を一目見ようとスコットランドの山野に旅行者が押しかけたほどだった。しかし、その人気もバイロンの登場により衰えたので、小説に転向したが、これまた大ヒット作家になった。
ジョージ・ゴードン・バイロン卿の詩は、スコットの小説とともに大陸で最も読まれた。彼は最初ポープ流の風刺詩『イギリス詩人とスコットランド批評家』を出した数年後、ポルトガル、スペイン、ギリシャ各地を旅行して、異国情緒の詩『チャイルド・ハロルドの巡歴』を書き、英国社交界の花形となった。しかし女性問題でイギリスから大陸に渡り、作家活動を続けた。バイロンは情熱と自由と力の詩人で、推敲せず一気呵成に作品を作り上げるため、ときに詩が散漫になるのが欠点とされる。
ちなみに『かの女(ひと)は美に包まれて歩む』は『いまを生きる』で引用されている。
また、バイロンは、『無神論の必要』を出版してオックスフォード大学を追放された叙情詩の名手パーシー・シェリーとともに因習道徳に反抗したため、悪魔派詩人とも呼ばれる。シェリーは愛と革命の詩人であり、愛する海で溺死した。
シェリーよりも若くして病気でこの世を去ったジョン・キーツ美と青春の詩人である。キーツはロンドンの貸馬車屋の長男で、教育はあまり高くなく、一時は外科医の見習いになったこともあったが、熱心に詩を創作し、ハントやハズリットと知り合い、本格的に詩人として生きる決意をした。先輩詩人ではスペンサーやミルトン、シェイクスピアを尊敬し、同時代ではワーズワースの強い影響を受けた。
この時期の詩壇の層の厚さは驚異的だったが、散文では小説、批評、随筆などの活躍が目立った。小説では前述のスコットや、『高慢と偏見』『エマ』『説得』などで知られる女流作家のジェーン・オースティンがいる。中産階級のごく平凡な日常生活を女性らしい微妙な感情で描いたオースティンはロマン主義よりは自然主義に近い作風を残した。
劇においては上演や批評は盛んだったが、創作は極めて低調だった。
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