夏目漱石の単位。
本編はともかく、そのあとに載っている解説みたいなのが偉そうでムカつく。文章も衒学的でさ、普通よ~、本編が難解なら、解説は初見の人にもわかりやすいように平易な表現で、その作家の魅力を紹介するもんだろ、『ソフィーの世界』の解説本とか見習えよ!あれ、ぶっちゃけゴルデルの書いた本編よりも面白かったからな!
だいたい自分が書いたわけでもねえのに、漱石が理解できるオレは崇高だぜ、良さがわからない奴はそのレベルに達していない馬鹿だぜ、鎌を振りかざす姿わくわくするほど決まってるぜ、みたいなスノビズムぷんぷんで、少なくとも私はこんな国語教師には教わりたくない。
夏目漱石は、講演で
「学者はわかったことをわかりにくく言うもので、しろうとはわからないことをわかったようにのみこんだ顔をするものだから、非難は五分五分である。」
とか言ったらしいけど、今のご時世それは通用しねえよ。民主主義は成り立たねーよ。つーか、こいつは意外と自分がわからないものをわかりにくく言ってんじゃねーのっていう気もする。
それに文学なんて読んだやつがどう感じるかなんだから、つまんねーって思ったらそれがそいつの中で正解なんだよ。で、夏目漱石といえども、わかんねーもんはわかんねーし、つまんねーものはつまんねーよ。この人だって人間なんだから、たまには駄作もあろうよ。
そういう、放送コードがない深夜番組的なユルい雰囲気がクラスにないと、誰もアクティブに発言しないし、現代文をラーニングしねえよ。
で、十中八九、高校の国語の先生なんかは、ちょっとこじらせた文学マニアに決まってるじゃん。困った困った!!
ちなみに、自分が高校の頃の現代文の先生は、慶応大卒で器が大きい人で、好き勝手に評論したけど通知表で10くれた。美術でも生物でも取れなかった10・・・(´;ω;`)
さすが学生も教授もフラットに君付けで呼び合う学校だな。そういう環境じゃないとアクティブラーニングはどだい無理だよ。
『夢十夜』
書き出しが「こんな夢を見た」と、夢オチを冒頭で暴露した上で始まる異色のドリームノベル。
夏目漱石自身が実際にこういう夢を見たかどうかは謎だが、作品っていうのは意識的にしろ無意識的にしろ、その人の深層心理が表出しちゃうものだから、言ってみれば夢日記みたいなようなものなのかもしれない。
ちなみに第七夜みたいな夢は私も見たことがあって、その夢をもとにこんな漫画を描いたことがある。
以下は各チャプターごとの叙述と注釈である。
第一夜
ロマンチックを通り過ぎて、ちょっと読んでて恥ずかしいエピソード。リリカルなつめ。
女が死に、生き返って、再び会いに来ることを百年待ち続けるという物語である。
登場人物は「女」と「自分」のふたりだけで、構成は極めて単純で、前半は死んでいく女の様子、後半で百年待ち続ける自分の心情を述べている。一青窈か。アクエリオンか。
うりざね顔
浮世絵などに描かれる、色白で目鼻立ちがはっきりしている面長な顔のこと。
美人な顔の典型とされていた。漱石のタイプだったらしい。
大きな潤いのある目で、長いまつげに包まれた中は、ただ一面に真っ黒であった。
血色もよく、見た感じ死ぬ感じには見えないが、目が真っ黒ということは、瞳孔が開いているので、彼女の明確な死を暗示しているともとれる。
大きな真珠貝
ルネサンス期のボッティチェリの作品『ヴィーナスの誕生』の引用かもしれない。
真珠貝から美の女神が生まれる様子を描いた作品だが、その象徴的な貝殻で墓穴を掘らせることで女の死を対極的な美と生に重ねて暗示している。
星の破片
燃え尽きて地球に落ちてきた恒星の成れの果てなわけであり、逆に死(=女)を暗示させるアイテム。
拾って、軽く土の上に乗せたという記述とともに、抱き上げてという表現も用いられており、星の破片の大きさに矛盾が生じるが(抱き上げなければ持ち上がらない隕石はおそらく重い)、これはむしろ星の欠片を死んだ女の象徴と描いているがゆえの表現だろう。
「百年、わたくしの墓のそばにすわって待っていてください」
人間の寿命的にかなり無茶な年月だが、それを意を決した様子で要求することで、永遠の愛を切実に求めていることがわかる。
人間の寿命と比較したら永遠と思える程の長い時間を生きる恒星の欠片を墓標としておかせるのも、これに通じる。
苔
『君が代』にも出てくるように悠久の年月のメタファー。
唐紅の天道
からくれないとは濃く美しい真紅を指す。つまり、美しい日の出の表現。
白い百合
生の象徴。自分が接吻したことから、死んだ女の生まれ替わりの可能性もある。
彼女が百年後に合いましょうとこだわっていたのがフリであったのもわかる。
また、花弁に落ちた露は死ぬ間際に流した涙と重なる。
暁の星
明けの明星ということで、金星である可能性があるが、むしろ墓標として置いた星の欠片が輪廻転生し再び輝いているのかもしれない。
星が再生しているのを見て「百年はもう来ていたんだな。」と「自分」は確信したのだろう。
第四夜
第四夜の「自分」は子供であり、茶屋で出会ったふしぎな「じいさん」が、手ぬぐいを蛇にしてみせると笛をふくのにさそわれて、後についていくが、じいさんは河に消えていき、期待が裏切られた話。なんだそりゃ。
前半で、じいさんの様子を描き、後半で、手ぬぐいを蛇にしてみせるというじいさんの動作と、その後についていく自分の心情を描いている。
こういう胡散臭いおじさん昔小学校周辺によくいたよなwこういう人に裏切られることで無垢な少年はまた一つ社会の厳しさを知るっていうw
床几(しょうぎ)
映画のロケなどで使っているアウトドア用の簡易的な折りたたみ椅子のこと。
煮しめ
汁が残らないほど長い時間に詰めた煮物。よく、おせち料理に入っている。
茶屋
『草枕』や『道草』にも出てくる漱石の幼少時代の原風景と思われる。
顔中つやつやして
このじいさんが年齢不詳であることが分かる。案外じいさんじゃないのかもしれない。
へその奥だよ。
どんなじいさんも生まれる前は母親とへその緒でつながっていたわけで、とんちの効いたうまい返しである。これも年齢そのものを相対化する演出となっている。
浅葱色
薄い青色。じいさんは蛇になるという手ぬぐいと同じカラーコーディネートをしていることが分かる。アオダイショウのような青い蛇の化身である可能性もある。
真鍮でこしらえた飴屋の笛
真鍮は銅と亜鉛の合金。当時の飴屋は唐人の格好をし、チャルメラのような笛(ラッパ)を吹いていた。
かんじんより
和紙を細く切ったものを合わせたもの。鼻に突っ込んでくしゃみさせるやつ。こより。
柳の下を抜けて、細い道を真っすぐ降りていった。
なかなか蛇に変わらない手ぬぐいを箱に入れてじいさんが歩いて行ったルート。
冒頭でじいさんが吐いた息が流れていった先と同じなのが興味深い。
第六夜
夢ならでは、よく考えると時系列のつじつま合ってない系。
鎌倉時代の彫師である運慶が、護国寺の山門で明治の世の人々が見物する中で仁王を彫っている。その無造作なノミの使い方は木の中に埋まっているのを掘り出すかのように思われたので、「自分」も家に帰って仁王を彫ってみたが、明治の木には仁王は埋まっていないものだと悟る話。作者の芸術観や心情を夢に託している。
護国寺
東京のお寺。運慶が奈良の東大寺南大門の金剛力士像を掘った史実と食い違っているが、東京に住んでいた漱石が散歩しながら気軽に見に行ける場所ということで、場所がチェンジされたのだろう。
冒頭の描写がかなり写実的で詳細なのも、漱石にとっては何度も見慣れた風景だったからなのかもしれない。
下馬評
第三者があれやこれやということ。
甍(いらか)
屋根瓦のこと。
辻待ち
客を待つこと。
委細とんじゃくなく
委細構わず。事情がどうであろうと関係なく。
どうして今時分まで運慶が生きているのかなと思った。
夢を見ている最中はこういう矛盾は気づかないものなので、護国寺同様、夢から醒めて改めて考えてみるとおかしいというメタ的な描写である。
鎌倉時代に生きた芸術家の仕事ぶりとその作品を、明治時代の人々と一緒に鑑賞しているという、このシチュエーションは、作者が現代(明治時代)の尺度で運慶の真髄に迫ろうとしていることのメタファーである。
あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あのとおりの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。
ルネサンス期のミケランジェロも同じような感覚で石彫を掘り出したらしいが、それも現代の研究者が考えるひとつの仮説である。
このセリフを経験ではなく知識として、批評家気取りの若い男に言わせているのがうまい。
不幸にして、仁王は見当らなかった。
明治時代には、運慶のような芸術家や作品は現れないというオチだが、表現が巧みで皮肉も効いている。また、運系の仁王像が歴史的存在になってしまった以上、それらは永遠に追いつけない“完全な芸術”として後世の追従者に認識されるという、作家漱石の創作に対する苦渋も見て取れる。
第七夜
スティーブン・キングの『グリーン・マイル』的な人生について考えさせる哲学的なエピソード。
茫洋とした海を行くあてもなくさまよう船の上に乗っている「自分」がその心細さと退屈さのあまり、船の上から飛び降りようとするが、いざ飛び降りたらやっぱり飛び降りるんじゃなかったと後悔し、さらに足が永遠に水につかないという無限の恐怖を味わうというナイトメアである。
人間の存在そのものに対する本質的不安感、そしてそれを画一化する文明社会に対する批評が見て取れる・・・が、単純に留学時での船旅が単調で死ぬほど退屈なものだったという経験から書きたくなったのかもしれない。そんなもんである。
何でも大きな船に乗っている。
人生のメタファー。
蘇枋の色
黒味を帯びた赤。
乗合はたくさんいた。たいていは異人のようであった。
人生の孤独感を強調させるシチュエーション。西洋に対する劣等感、拒絶感のようなものもあるのかもしれない。
更紗
花や鳥、幾何学模様をプリントした木綿、もしくは絹の布。
一人の異人
宣教師風で、自然科学(天文学)や、キリスト教といった西洋文明を親切に、かつ、押し付けがましく教えてくれる。
戦後、政治学者のリチャード・ホフスタッターが『アメリカの反知性主義』という本を著したが、これは知識階級やエリート階級の啓蒙活動そのものの独善性に対する大衆の反発を分析したもので、この偉人に対する「自分」のリアクションは、これに当たるように思われる。
しかし、「自分」すなわち夏目漱石は、まごうことなく知識人であり、また、近代的な個人主義者でもあった。つまり合理性をつきつめるがゆえに孤独で、神への信仰によりかかることができないのである。言い換えれば、彼はいちはやく西洋を消化したからこそ、西洋を拒絶するのである。
二人は二人以外の事にはまるで頓着していない様子であった。
人生の意味とか目的とかそんな考えても埒があかないことは考えず、日々のデカダンスに溺れる人たちのメタファー。そういった無知蒙昧な大衆には「自分」はなれず、さらにこの世に絶望するのである。
思い切って海の中へ飛び込んだ。
自殺をタブーとするキリスト教に反発するがごとく、意識的に船から飛び降りたのであるが、その結果、無意識的な生への執着が生まれ、死に対する恐怖と強い後悔に襲われるのである。
足は容易に水に着かない。
脳の機能が落ちるとすべてがスローモーションになるというが、死ぬ刹那はその速度が∞にスローなるのかもしれない。つまり、死の本質とは、死の永遠の留保なのかもしれない。
水の色は黒かった。
バッドエンドを象徴する色である。合理主義で捉えようとすればするほど、死は不条理であり、その解釈を拒むのである。
生が虚無に過ぎないのと同時に、死も虚無なのである。
ならば生が虚無であることに絶望して、死を選ぶ合理的な理由はないということになる。
これは、第一夜の死に対する楽観的で耽美的なロマンチシズムを徹底的に破壊する結末であると言える。
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