ギフテッド

 「面白い度☆☆☆ 好き度☆☆☆」

 私の先生よ。1+1を教えに来たわ。

 この前、自分の7歳の頃の写真を見たんだよ。めかしこんでいるから753かなんかのなんだろうけど。
 で、これがまた、生意気そうなガキなんだよね。こんなやつの担任になったら絶対ぶっとばすよなっていう。そういう意味で自分はつくづく学校の先生方に恵まれたなっていう。
 まず、授業に参加しないからね。この映画の天才児みたいに、授業が簡単すぎて退屈してるんじゃなくて、それよりもしたいことがあって、その欲求を抑えられずにパージしているわけだから、本来なら通知表はオール1でもいいところなのに、そんなに悪い成績をつけなかった先生方は大人だったんだなあっていう。
 まあ、勉強なんて個人的にはやりたい奴がやればいいだけだとは思っているんだよ。ただ、やりたくないやつよりは、将来設計の関係でちゃんと勉強したい人の方が多数派なんだから、やりたくない奴はそいつらの迷惑にならないように、せめて授業中くらいはおとなしくしとけよ、それが民主主義社会だろって思うんだけど、これも、勉強以外にやりたいことが私なんかは体を動かさないお絵かき(マンガ)だからよかったものの(少なくとも授業中ほかの子の迷惑にはならない)、運動とか多動性の子なんかは厳しいんだろうなって思う。
 
 別の記事にも書いた気がするけど、欧米だと知的障害とかある子は特別支援教育を受けさせる義務が親にはあって、本人や親の同意がないと特別支援学級に入級できない日本とは事情がかなり違う。
 また、知能が高すぎるのも障害っていう話になると、この映画のイギリスのばあちゃんみたいな考え方(メンサ的なセパレーティズム)は、アメリカにおいては義務として正当化されることになる。
 ただ、ギフテッド教育については、数年前に特別支援教育を専門にやっている素晴らしい先生とその是非を議論したことがあって、その当時は私は割と肯定派だったんだよ。英才教育。
 実際、公立中学でも、数学に関してだけは突出して計算能力ある子がわずかながらいるんだよね(不思議なことにほかの教科では見られない)。
 だから、数学は授業のレベル設定をどの層に合わせるのかが大変だったりするんだけど、その先生はわりとギフテッド教育には否定的で、とどのつまり一部の突出した才能だけを見て、周囲が特別扱いすると、そいつはろくなやつにならないって言ってた(笑)マロさんいわく『アルジャーノンに花束を』がそんな皮肉の効いた映画らしいんだけどね。

 だから、まあ、そうなのだ。この映画のメアリーも結局、数学の能力が突出しているだけで(ちょっとマンガっぽいレベルでリアリティがないが)、それ以外はまあ、そこそこ幼女として可愛い部類なんだろうけど、性格は難があるし、総合的なアベレージとしては、決してそれほど高くないっていうね。
 人間って一人に与えられる功績ポイントはだいたい決まっていて、普通はまんべんなく振り分けられるんだけど、たまに振り分け方がすごい偏った奴が生まれちゃっているだけな気もする。
 つまり偏っているってことは、大多数の人で構成される社会とは齟齬を起こす可能性が高いわけで、そういう社会で生きる以上は、普通の人々と切り離すのは、むしろ逆効果で人生のリスクを高めるだけであるという話なんだ。
 つまり、予算をけちりたいとかの問題が大いにありそうなんだけど、文科省が推奨する通常学級に特別な支援が必要な生徒を積極的にコミットさせるインクルーシブ教育は、一応理念としては説得力はあるんだよね。先生の負担は置いといて。
 そうすると、あれだよな。『ちびまるこちゃん』の花輪くんの親はすごい賢いよね。あの御曹司を公立小学校に通わせて、実際花輪くんはまる子などのド庶民とちゃんと分け隔てなく交流できているんだから、教育効果は絶大だよね。最強の帝王学だよ。
 まあ初登場では、ああいうキャラじゃなくて、どっちかというといじられキャラだったから、後付けであんな感じになっちゃったのかもしれないけど、でも花輪くんの人格形成に深みを与えてはいるよ。はまじやブー太郎とのコミットは。

 これが、天才児だけの集団で教育させちゃうと、社会に対するイメージが貧困になるよね。まずバカの存在が理解できなくなるじゃん。
 よくさ、頭のいい人は、バカが問題を理解できないのがわからないって言うけど、本当に頭のいい人は、バカがどこでつまづくのかを分析し、ここまで認識できて、こっからは認識が難しいんだよなって把握して、バカにも適切なアドバイスやサポートができるはずなんだ。
 つまりギフテッド教育は、そういう本当の知性を養う機会を捨てていることになる。
 例えば計算に関して言えば、もうコンピューターの方が全人類束になっても勝てないわけじゃん。でもそんなコンピューターですら最も困難としているのが対人的なコミュニケーションだからね。
 まあ、あの映画に言わせれば、天才はバカにかまっている暇はねえとかうそぶくんだろうけど、大学の数学で本当に難しいのは1+1の証明だったりするからね。乗法はなんで交換法則が成り立つか、とか。
 ほいで、よく、現代社会は不寛容になったとか言うけど、結局大人社会って所属する集団をある程度任意に選べるからさ、学区みたいにお前ここに住んでいるから、この人と結婚して、この仕事をやりなさいとか言われないじゃん。中世の封建制度じゃないんだから。
 つまり、大人社会っていわば私立学校でさ、そう考えると社会にでろとか言うけど、その社会もかなり限定的なものに過ぎないってことなんだよね。
 ならば感受性が豊かで多感な時期こそ、様々な刺激を受ける機会をたくさん与えてやるべきだろう。

 まあ、しかし、数学やギフテッド教育どうこうよか、あの女の子をただ愛でる映画だった気もする。ちなみに私は幼女とか全然好きじゃないし。あとネコも。
 ただ、『ベイブ都会へ行く』のフリーリクとかもそうだけど、身体障害をもつ動物キャラは好きなんだよな…くそ~
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