男女がうまくいかない理由

 なんと女性は定年などで夫がずっと家にいると、ストレスで病気になりやすいらしいのですが、その理由は男女で思考の仕方がまったく異なるからだそうです。
 最近やたらめったら「脳、脳」とテレビでは脳ブームっぽいですが、なんか最早血液型診断みたくなってて、「これって本当に科学的なのか?」って感じがします。
 例えば男女の価値観の違いは、男女で脳の構造、詳しく言えば脳りょうの太さが違うことが原因で、男は結論を求め、女性は同意を求める傾向がある・・・などと言うのですが、まあそうかもしれないとは思うものの、その科学的な根拠をテレビではなかなか説明しない(おそらくできないのでしょう。個体レベルの行動は普遍化するのが難しいから)。

 この説が一見真理だと思うのは、血液型診断を正しいと思う心理と似ていて、誰にでも当てはまることを、あなたの個別性だと言っているからなんだと思います。
 つまり女性だって結論を求める論理的思考はするのですが、人である以上誰かに同意してほしいのは当たり前だし、その逆も然りと言う事です。男女どうこうでなく、皆大体結論も同意も求めるんだと思います。皆当てはまるから、それを信じてしまう。

 私が思うに、男女における脳の普遍的な違いがあったとして、「脳が違うから仕方がない」としてしまうのは、コミュニケーションのあり方としてどうかと。男女の違いをふまえて、そこまで依存し合わないというのは正しい付き合いだと思いますけど、それって他人を自己と同一化しないということだろうし、異性だろうが同性だろうが人付き合いの基本ですよね。
 問題なのは、脳の違いという一見科学的な理屈によって、一昔前にあった男女のある種のセパレートと言うか、ジェンダーフリーの真逆の現象が起きないかなと言う事です。
 私が思うに個体や性別における脳の違いなんて、言語と想像力である程度は乗り越えられると思うし、そもそも夫がずっと家にいるとストレスって、これ同性だって毎日ずっと顔を合わせればウンザリしますよ。

 しかし脳や意識にまつわる問題と言うのは科学でもあるけど、半分哲学を含んでいるからややこしいと思います。H・リードが言うように、人間の目だってカメラのように正確にものを見ているのではなく、視覚情報の取捨選択をやっていて、目に入るもの全てを注意深く克明には見ていないんですよね(それを見れるのが直観像らしいが)。
 私は経験論のジョン・ロックに現在の科学の立場は近いような気がします。つまりモノには客観的側面(モノの第一性質=質量、位置、運動)と主観的側面(=手触り、味、色、香り)があるという事ですが、高校の頃生徒会の先輩は「脳さえあれば電気刺激で私たちは世界を“感じれる”から、案外実験室で自分の脳が電極ささっているだけで、自分が思っている人間の体が本当は無い可能性も否定はできない」と面白いことを言っていました。
 ビャクルリの発想(観念論)では「存在とは知覚されなきゃ成立しない(よって存在もしない)」といったことを言うのですが、この理屈で言えばデカルトのように、それを知覚している“もの”(ここでは電極が刺さった脳)は存在しないとならないから、やっぱりロックの方が科学的で的を射ているのかもしれません。
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