陽のあたる教室

 「面白い度☆☆☆☆☆ 好き度☆☆☆☆☆」

 高校時代のぼくは学校から逃げ出したかった。先生も同じ気持ちだったなんてね。

 コロナウィルスが良くも悪くも風邪でも絶対に休めない働き方に一石を投じている昨今、働くことの本質をすごい考えさせられる映画に出会いました。というか、これテレビで断片的に見た記憶があったんだけど、すっかり内容を忘れてた。
 教師モノの洋画ってことでマロさん一押しの『今を生きる』みたいな感じなのかなって思ってたら、どっちかというと内館牧子さんの『塀の中の中学校』に近かったという。というか、内館さん、この映画からキャラのインスピレーションを得たんじゃないかって感じ。
 つまり、若い頃から生徒第一で突っ走り、定年ギリギリで自信をなくす金八先生と対極的で、このホランド先生は作曲家という自分の夢の踏み台というか、当面生活していくための腰掛けのつもりでなんとなく教師やっちゃいましたパターンで、プライベートを犠牲にするのが当然な日本の教育界では大顰蹙を買いそうな人物なんだけど(で、定年ギリギリで教師に生きがいを見出す)、私も個人的には学校教育に全てを捧げますっていう人物しか採用されないんだったら、けっこう思想的にやばいことになりそうだし(だから多様性や柔軟性がいつまでたっても育成できない)、なんか「この先生やる気ないけど肩の力が抜けてて癒されるなあ」っていう先生の方が私は好きだったりする。教師ヅラしてこないというか。

 つーか結果的にそんなモーレツ社員や企業戦士しか働けなくなっているんだとしたら、その労働環境の方を早急に見直すべきだと思うしね。まあ、見直さないんだろうけど。コロナでもインターネット授業とかやれないだろうしな。インフラがないもん。それでよくプログラミング教育とかうそぶいてるよな。
 これはコロナウィルスで必死に働いている医療現場の人もそうで、ああいう人たちの労働環境を「自分で選んだ仕事なんだから辛くても耐えるのは当たり前」とか「弱音を吐くのはプロとして甘え」とか、あろうことか、院内感染している可能性があるから差別しようとか、本当にこういう聖職ハラスメントってマジで愚かっていうか、私はわりと性善説を信じている人間だから、そんなこと本気で発言するやつって絶対に全人口の1%もいないと思うんだけど、その1%未満のバカにも人権があるから、一応言い分を聞いちゃって、それでシステムに大きなダメージが出ちゃうっていうのは、現代社会の大きな問題だと思うよ。
 全世界の医療関係者にナイチンゲールやシュバイツァーを求めるのはあまりにも残酷だよ。

 なんか話がそれちゃったけど、とにかくホランド先生は教師という仕事や生徒の人生よりも、自分の夢の方が大事な人で、もっと言えば、家族よりも自分の夢が大切な、愛すべきドリームエゴイストなわけよ。
 ネットの記事とかだと、ホランド先生は妻が妊娠したことを喜びアパートから一軒家に引っ越すとか書いてあるけど、断言してもいい。違うから。
 (あ~あ、教師の仕事で多忙な上に、さらに子育てでオレの作曲時間が減っちまうよ・・・)みたいな心の声だだ漏れだったから。本当、自分もプライベート第一主義者だから分かるよ。大人になりきれてないんだよね。文化人崩れなんて得てしてそういうもんだけどな。
 だから、すごい感情移入できるわけ。幸い、今の自分は割とプライベートも仕事も満足してて、なんか人生をRPGに例えるとレベル99になっちゃって、なんか目標がなくて、ここが人生のピークであとは落ちるだけだなって憂鬱になってたりするくらいなんだけど、やっぱり今でも漫画とか描いているからね。周りにももう一度プロ目指したらどうですか、とか言われるし。今はけっこう時間があるしね。
 
 でも、この映画ってそこで終わっていなくてさ。あれなのよ。『フォレスト・ガンプ』でもあるのよ。なんか生徒一人ひとりの交流あっさりだな、あのクラリネットが吹けない地味子のくだりとか超駆け足だなって思ってたら、作中カバーする時間軸が長いのよ。半生記だったのよ。
 で、葛藤しながら、自分の夢と折り合い付けようとするのよ。自分がやりたいこと、夢を叶えることだけが人生の目的なのかっていう。
 その葛藤ボルテージが最高潮になるシーンが、あの淀川長治さんも怖かったというバス停のシーンなわけ。あれはすごいシーンですよ。ホランド先生の年齢的にも夢を叶える人生最後、かつ最大のチャンスなわけだからね。
 あのシーンが怖いのは、あのシーンに至るまでにおいても、ホランド先生はそこまで教職に人生を懸けました!オレが本当にやりたいことは音楽教師でした!作曲の夢キッパリ諦めます!っていう感じでもないからだろう。惰性でなんとなく続けているけど、まあまあやりがいもありますっていうふうにも見える描き方をしているからだよね。あそこ下手な人だと、もっと「作曲家<教師」ってやっちゃった上でバス停やるもんな。
 
 で、惰性でたった一度の人生をなんとなく教師にかけてしまったホランド先生に、『ジュラシックパークⅢ』の教頭が、「もう学校教育は読み書きそろばんだけでいいわ。芸術教育いらないわ」っていう某総理的な発言をして、皮肉にもそこで嫌々やっていたはずの教師の日々が自分にとってどんなにかけがえのないものだったか気づくという。
 本当に、最後までホランド先生はプロ教師なんかじゃないんだけど、それが逆に胸を打つっていう。歴史に名を残す作曲家にもなれなかったし、言ってみればごく平凡な人生なんだけど、歴史に名を残せなかった人達はみんな不幸なのかっていうとそんなことないよっていう暖かい話だからこそ、見ている人の救いになるんだと思う。
 「教師は学生に知識を与えるだけではなく、その知識をどう用いるか、そのコンパスにならなければならないの。」と作中で校長先生がホランド先生をたしなめる。

 そのコンパスは別に偉人でも、グレートティーチャーでなくてもいいってことなんだ。
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