数学的思考の二つの側面

 科学の言語とも言われる?数学。
 しかし「中学生の嫌いな教科のナンバー1」としても名高いらしく、数学の教育実習生は「つまらない教科」というレッテルをはなから貼られるから大変だそうです。私は美術だったのでその先入観(ハンデキャップ)は無かったけど・・・頭使わないですからね、美術なんて(あえて暴言)。馬鹿でも絵は描けるけど、機械は作れませんから。

 今は美術教育を専攻した私も数学を塾で教えているのですが、これってなんで嫌われるかというと、中学校の数学になると話が抽象的すぎて日常生活の役に立たないから「やっても意味がない」と生徒が無意識的に感じているんだと思います。
 普段なじみがないものはまずイメージがつかないし(具体的なイメージがつかないと理屈の解釈ができない)、私も日常で使うのは小学校の算数位で、たまに平均、方程式や幾何学なんて生活で役に立ったためしなし。

 じゃあ数学はまったく必要ないのか?といわれればそうではない。私たちが生きていく上で実は「数字」という概念は日常的に用いているし、つまり中学校から習う方程式などと、日常的に使う算数は道具としての意味が若干違うということ。

 算数レベルの思考はいわば「自然界への適応」のために使う思考。周りの世界の情報を効率よく解釈、処理するために必須な抽象概念。

 しかし中学校からの数学は「自然界への適応」的側面も含まれますが、「自然界のメタ的解釈」として使う思考。
 この思考は自然界の適応だけにとどまらない、人間の高い頭脳が用いるいわば「ボーナスステージ」。

 自然界に必死に適応し続けていれば、私たちは人生について悩むこともないのですが、肉食動物に襲われる心配などがなくなった人間は、自然界との戦いに使っていた頭脳をもてあましてしまうようになり、佐倉統さんが言うように自分のいる世界についてメタ的に探究するようになったのです。
 この安全な生活をできるだけ楽して持続させたいなぁ・・・と思った時、世界の探求=思想の歴史は始まった。
 自然界に受動的に適応するのではなくて、自然界を研究すれば自然界を能動的に制御できるかもしれない・・・と。
 さまぁ~ず大竹さんの座右の銘?は「一生無事」らしいですが、まさにそのモットーの下生まれたのが宗教や哲学、そして科学。

 でも中学生・・・いや大多数の人は日常生活を生きるので必死で、そんなメタ的なことを考える余裕がおそらくない。
 そもそも「自然界のメタ的解釈」は人生の上での余剰的な「お遊び」。しかしこのお遊びが、時に人類に文化や技術の発展という希望をもたらし、自分も地球も宇宙もいつかは消滅という絶望ももたらしてくれる。

 結論:数学は好きな人だけやればいい。やると論理的思考力はつくかもしれないけど。というか具体的な概念を突き詰めれば、遅かれ早かれ抽象的かつ普遍的な概念の探究に行きつくので(りんごとミカンの共通点ってなんだろう?ってなるから)その時に数学をやってもいいと思う。
 あと高校の数学はわざと英語を式に使って難しくしている!いくらシグマやシータ、logが世界共通でも、まず最初に教える時は日本語にしてくれねえかなあ?θ→角度とか。
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