家族が破壊された時代に恋人を作る意味はあるのか

 お盆休みに入ってまた時間ができたので、特にお盆は予定がないし(さみしい)引き籠って漫画描いてます。『超音速ソニックブレイド』の小説から『イッツアドリームワールド』に再びバトンタッチ。

 vicさんが『80日間宇宙一周』を読んでくださって「こんなん、どこが強い女の話だ」ってがっかりさせちゃったみたいですが、女性が好きな男の為に命をかけるのは『イッツアドリームワールド』の『走れシンデレラ』シリーズでした。すいません。
 『80日~』は結局男に助けられてるもんな。こういうの女性にとっちゃ、もはや屈辱なのだろうか?(笑)そう考えると本当に時代は変わったかも。
 私もできれば強くて優しい女性に食わせてもらいたいけど(本心が出やがった)、そんなの「ヒモ」だって、まだ世間は許さないだろうな。「男として情けなくないの?」って。
 実際そんな女性はいないだろうけどね。

 こういう話をしていると恋人欲しくなってくるな。このままひとりで30代になっちゃうんじゃ、まじで自分の漫画の「ミグ」と一緒だよ。危ない奴って思われないかな?別にいいか。
 私は大学とかで、まわりがみんな女の子と付き合ってると、自分がすごいみじめに思えて嫌だったんだけど、こうやって居心地の悪いキャンパスライフからついに脱し、自分の周りにカップルがいなければ全然大丈夫。みんな持ってるおもちゃが欲しくなっちゃう現象なだけなのかもしれない(女性に失礼発言)。

 しかし思うんだけど、恋人って言うかつまりは「家族」がいないと人ってダメなんだろうな。頼れる人がいないとやっぱり人っておかしくなるじゃん。個人と個人を強く結ぶ関係性で最も強いのはやっぱり家族だし。家族だって煎じ詰めれば他人なのになんかみんなで世話焼きあって、腐れ縁だよね(くされてないかw)。

 んでリベラルだか知らないけど左翼的な流れで、家族をはじめとする共同体の形式がことごとく壊されて、「個人」のレベルにまで分解されてしまったのが現代だとしたら、これは「個人の自由」(バーガー)とセットで「孤独の恐怖」(ポテト)ももらったね。
 この現代特有の孤独は、ネットで補完しろって言っても、まあ無理。現実の友だちや家族の方が強固だもん(オフ会がある??)。そして友だちは「学校」という共同体が存在しなければ作れなかっただろうし、家族の絆だって良くも悪くも「家制度」が形成してたよね。

 民主党や一部の社会学者が言っている「夫婦別姓」も、私は大学の授業では「ああ平等でいいな~」って思ったけど、あれ面倒くせえよ。
 民主主義国家なのに、ろくに投票もいかない連中が「家族の形態」までいちいち個人で考えれると思う?
 つまり昔は「家族は、父親は、女はこうあるべきだ」っていう考え方の枠組みをトップダウンで個人はもらってそれを共有していたけど、今は個人それぞれが自分に合った生き方を考え選んでいくボトムアップをやれってことでしょ?

 でも、そこまで個人って忍耐強くないよ。だから今って鬱病になったり、自殺する人が多いんじゃないの??
 そもそも哲学が好きでもない限り「自分に合った生き方・・・」の“自分”がどういう存在なのか分からないもん。
 もし本当に個人単位に自己実現のレベルを落とすならば、学校で哲学は絶対やらせるべきだ。んで狂って自殺する奴がいようとも、それはそれで仕方がないと。

 私は明治や昭和に戻りたいとは決して思わないけど「個人が自由=幸せ」だって言う短絡的主張は現代において反省しないといけないかもしれない(保守のじいさんみたいな事言ってるのかな?)。
 だってほとんどの人って一人で生きていけるほど才能もないし精神的に強くないもん。

 まあだから私は強い女性に甘えたいってこと。この思いはかなり「革新」だよね。

 追記:ピクサー映画を別タグにまとめようと思ってます。暇だから。
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