33.今西錦司のダーウィン批判

 ワイズマンやモーガンらによって遺伝の法則が徐々に解明されつつあった20世紀初頭、一人の関西人が生まれた。わいは好きなことしかせえへん!!でおなじみの今西錦司だ。
 主にフィールドワークを専門とする今西は、アジアやアフリカの様々なフィールドを探検し、1552の日本の山に登った精力的な登山家でもあった。

 今西は京都の鴨川でカゲロウの研究をしていた。そこで川の中に暮らす微妙に形の異なるカゲロウの幼虫4種が、種族ごとに住む場所を変えている事に気付いた。
 最も流れの強い場所に住むカゲロウの幼虫は偏平な体型、少し流れがある場所に住む幼虫は細長い体型、ゆるやかな流れしかない場所に住む幼虫は、ずんぐりとした体型で、酸素を取り込みやすいようにエラが発達していた。
 これを見た今西は「ダーウィンはんは、種の中にある様々な形質の個体が生息環境を取り合うこと(=生存競争)で淘汰されたり適応したりすると言いはったけど、それはちゃうわ。生物ってのはこいつらカゲロウのように環境を分かち合うことで競争を避けるもんなんや」と考えた。
 これが今西の棲み分け理論だ。

 この発想自体は今西以前からあったようだが、前回のオカピの話を読んでくれたちびっ子諸君は、特にこの棲み分け理論が、ダーウィニズムを反証することにはならないことを理解していただけるだろう。ネオ・ダーウィニズムはこの棲み分けの理論を決して否定していない。

 今西はアンチ・ダーウィニストだった。そして戦後日本のダーウィン進化論の受け入れを大きく遅らせたという。

 彼のダーウィニズムへの批判はもうひとつある。それが「ダーウィン進化論は適者生存を掲げるが、サバンナでは決してそうなっていない」というものだった。
 足の速いインパラはダーウィンの話ではライオンから逃げきれる為に進化したと言うが、足が速くても方向音痴でライオンの方に逃げたインパラや、転んでしまったインパラ、そして大して足が遅くないのに運がよくて生き伸びたインパラなど、自然選択の作用はかなり曖昧だと批判したのだ。

 今西の話では、足の速いインパラはどんな時も必ず100%ライオンから逃げきれなければダーウィン進化論は正しいとは言えないらしい・・・

 繰り返すが、これはダーウィニズムの反論にはなっていない。自然選択と言うのはインパラの群における遺伝子プールの確率的な頻度に影響を与えるからである。

 それは学校テストにおけるクラスの平均点のようなもので、先生が頑張って分かりやすい授業を生徒に提供すれば、平均点は上がる。いうまでもない。
 しかし今西はクラスの中のはなから授業を放棄し勉強ができない子や、いつもは100点だが今回だけは点が伸び悩んだ子などという個別な特殊事例を取り上げて、クラスの平均点の改善を否定してしまった。

 さて、では今西はダーウィニズムのモデルに対して、一体どのような進化のモデルを考えたのであろうか?
 今西は「変わるべき時が来たら、種は一気に変化する」と考えた。なんか哲学的だが、つまりキリンの群れにおける全ての個体の首が、ある時一度にニュッと伸びたというのだ・・・。

 Oh!今西はんそりゃあかんで!強引すぎまんがな!
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