「無意識」という言葉

 リードの『芸術による教育』「第6章――無意識的な統合の過程」の論考は重要な分、慎重に考えていく必要があります。素人くさい話で恐縮ですが「無意識」って「意識がないこと」ではないですよね。いわゆる「意識不明」では。
 言葉通りに受け取れば「無意識」って「意識が無い」って取れてしまいますが、それは「意識」という言葉と、「意識的」が違うように、「無意識」とは「無意識的な意識」という意味で使われてますよね。本当にややこしい。

 「意識せずに瞬きをした」という時の「意識」と「重態で意識が無い」という時の「意識」って同じ言葉なのに、ニュアンスが少し異なります。それとも「意識の度合い」なのかな?そもそも「意識」って何?
 「意識不明の重態」も「死」ではないから意識は若干あるんですかね。外部には分からないだけで。こういうふうに、思考の坩堝に陥っちゃうからこの章は何とも納得しづらいです。

 そもそもこういった「意識」の議論は少々頭でっかちというか、注意深く集中したものが「意識的な意識」であり、普通は「無意識」という考え方って、なかなか自然に入ってきません。それは「意識があるけど気がついてない」って言えばいいのでは。
 
 絵を描くことと、運動をすることって、似てないようで、意外と肉体的というか近い気がするんですけど、とっさにボールを奪ったり、滑らかな線を引いたりしている時って、すごいそれだけに集中していて、頭の中は「ああだこうだ」と理屈こねくり回してはいなくて、いわば無の境地みたくなっていますが、あれも意識の集中であって「無意識」ではないですよね。

 じゃあ「無意識」ってなんだ?それをあらかじめ用意された、どの人も大体平等に持っている先天的な心理の構造とするならば、「無意識」なんて言わずに「先天的心理構造」って言えばいいわけだし・・・

 よくアニメとかで、記憶をなくした主人公が、忘れた記憶を思い出す旅に出るとかいう内容のやつがありますけど(今や結構ベタ)ああいった本人の記憶なのに、意識に表出しない要素が無意識なんですかね。フロイト氏。
Calendar
<< March 2024 >>
SunMonTueWedThuFriSat
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31
search this site.
tags
archives
recent comment
recent trackback
others
にほんブログ村 科学ブログへ にほんブログ村 科学ブログ 恐竜へ カウンター
admin
  • 管理者ページ
  • 記事を書く
  • ログアウト