集合的無意識について

 今日は美術教育の在り方について二時間半も教授と議論しました。私みたいな素人の質問に長時間丁寧に答えてくださって、美術教育における膨大な知識、幅広い教養を感じました。テープレコーダーで録音しておきたい有意義な議論でした。

 昨日の疑問点を今日先生にぶつけたことで「無意識」については何とかイメージがつかめたのですが、新たな厄介な敵が現れました。
 それがユングの「集合的無意識」なのですが、これも言葉が誤解されやすいと思います(日本語の訳のせいかもしれませんが)。
 そもそも「集合的無意識」という言葉が差す考え自体は、そこまでぶっとんではいません。それは、どんな細胞でも基本的な構造(核、細胞質)が同じだったり、「ヒト」という種類が大体同じような(核酸情報やタンパク質情報による)生物学的特徴をもっていたりするのと同じく、どの人においても大体共通する普遍的かつ基礎的な精神の構造や類型(=元型)のことです。
 
 リードの『芸術による教育』では、「どの国や、どの時代のマンダラも、四面分割などといった特徴が、文化が伝わったわけでもなく(←とりあえずそう仮定して)大体似たようなものとしてみられる」という事例の理由として「集合的無意識」を取り上げています。
 
 しかしその「集合的無意識」という言葉の感じから、ユングの考えは発表当初、学術的な意味をなさないオカルトだ、と受け入れられなかったそうです。トンデモ扱いされちゃった、と。
 その原因はおそらく、当時の学者さんが個人主義的であったのと、「集合的無意識」をSFなどで出てくる、個人と個人の意識の共有「集合精神」みたいなもの(『スターシップトゥルーパーズ』の宇宙昆虫「アラクニド」みたいな)だと捉えてしまったからかもしれません。
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